to give more than receive
今週はこれまでとは趣向を変えて、ある日の出来事のようないかにも身辺雑記と言えそうな文章を綴ってみる。今住んでいる団地に私が転居してきたのは1986年の夏。あれから40年近くの歳月が流れ、団地も大分老朽化が進んできた。当然ながら住民の高齢化も進んでいる。そんなわけで、現在団地は何度目かの大規模修繕の時期を迎えており、関係者はその準備に追われている。
今回の大規模修繕に合わせるかのように、我が家もまた人生最後のリホームに取り掛かることにした。これを機に、終の棲家をさらに快適で居心地の良い場所にしたかったからてある。今回のリフォームでは、これまでと違って業者に仕事を丸ごと依頼する前に、自分でできることは自分でやってみることにした。強力な助っ人も現れたし、私も時間に余裕があるので、細部にも拘りたかったからである。
業者にすべて丸投げするとお金が掛かりすぎるのは勿論だが、自分でできるところは自分でやった方がより完成度の高いものになると、子供からも強く勧められた。最終的には業者に頼まなければできないところもあるが、それがすべてというわけではない。やり出してみたらリホームも案外面白い。住処が自分の好みに合わせて改造されていくのは、実に嬉しいし楽しい。
そんなことに熱中しているのは、高齢者介護施設にやっかいになるまでは、可能な限り団地住まいを続けようと決断したからである。だとすれば、まだ少しは元気が残っており自由に動ける間に最後のリホームに取り組みたいと考えるのは、ごくごく自然のような気もする。老い先が短くなり、身動きがとれなくなってから快適な住まいを実現してみても、あまり意味はなかろう。どこかで聞いたような台詞だが、「リホームに取り組むのは、今でしょ」といったところか。
団地の大規模修繕が引き金となって始まったリホームだが、それと併せてこれまた最後となるであろう断捨離にも取り組み始めた。既に何度も断捨離を試みてきたので大物はもはやないが、これが最後だと思って改めて身の回りを点検し始めると、意外にもあれこれと見つかるものである。仕舞い込んでいて使わなかったものは、すべて片づけることにした。
そのなかに、団地の高齢者クラブによって作られたDVDがあった。2001年から2023年までの間に発行された随想集をまとめたものである。この機会に処分しようと思ったが、DVDまで作られた知り合いのMさんのことを思うと、一度も開くことなく捨ててしまうのは申し訳なかろう。そこで開けるだけは開けてみることにした。言ってみれば義理だけで開けたのである。
2001年の創刊号には、昨年亡くなったNさんの寄稿文があった。Nさんの存在は知っていたが、亡くなるまで一度も言葉を交わしたことはない。亡くなった後で彼の文章を読んで、何だか奇妙な感慨に囚われた。その文章から故人の人物像がクリアに浮かび上がってきたからである。タイトルは、「心に残るご婦人達」とあった。下世話な私のような人間を、読む気にさせるタイトルではある。しかし中身はまったく違った。ここでは、4人目の女性に関する話だけ紹介してみる。
1971年12月8日のことだった。その日の日付は、間違いようがない、 真珠湾攻撃から30年目の、 記念すべき日だった。 私はハワイに、観光客として滞在していた。街にもホテルにも、 白い水兵帽をかぶった元軍人達が大勢、闊歩していた。私は観光バスに乗ったが、まわりの乗客が、日本人である私に、とげのある視線を投げかけた。少なくとも、そのように思えた。 カルチャーショックというか、文字通り針の蓬(むしろ)というか、かって一度も味わったことのない心理状態であった。そんな中で、一組の老夫婦が、私にとても親切に接してくれた。昼食の時になり、その老夫婦と相席となった。ご主人方は白い水兵帽をかぶっており、元軍人であることを示していた。
戦争の話題は極力避けたかった私は、 別の話題を探し求め 「長い結婚生活がうまく行く 秘訣は何ですか」と、拙い英語で問うた。ご主人が奥様に、答えをうながした。夫人は少し考えてから「to give more than receive」と静かに判り易い英語で答えてくれた。上手な 日本語に訳せないが、大意は 「相手にしてもらうこと以上のことを、 相手にしておあげなさい」ということだろうか。あれから30年の歳月が経過したが、 その間、私達夫婦にも、 度々諍(いさか)うことがあったが、 その都度、あの老夫人のアドバイスを思い出し、事無きを得ている。戦争の記憶のない私は、12月8日がめぐってくる度に、名前も知らない、あの老夫人のことを思い出す。
to give more than receive、若い頃から幾度となく仲違いと仲直りを繰り返してきた、狭量で我が儘な私のような人間には、いたく心に響くフレーズであった。最後の断捨離がもたらした、今は亡きNさんからのプレゼントとでも言えばいいのか。