「敬徳書院」の店主を自称している私は、1947年に埼玉県の深谷市で生まれた。葱(ねぎ)の産地として知られたところである。しかしながら、そこに住んだのはわずか6ヶ月程で、その後は高等学校を卒業するまで福島県福島市の五月町で暮らした。こういう場合、略歴などをどう記せばいいのか気になるところだが、しばらく前から、似たような状況にあった友人の真似をして、「埼玉県深谷市で生まれ、福島県福島市で育つ」と書くようになった。
小中は福島市立第一小学校、福島大学学芸学部附属中学校に通い、そして高校は県立福島高等学校で学んだ。だから、吾妻連峰が聳え、信夫山や弁天山があり、阿武隈川や須川が流れ、その川に松齢橋や信夫橋、八木田橋等が架かった福島の地は、懐旧の情が溢れる懐かしい場所なのである。魚すくいやバッタ取り、ゴム動力の模型飛行機作りに熱中していた幼なかりし頃の記憶は、これからも薄れることはないのだろう。小学校の恩師長田イナ子先生の子息である詩人の長田弘は、「やわらかな曲線と開かれた眼差しをもつ風景の記憶を、子どもの私にくれた」のが、故郷の福島という街だったと書いている。その通りかもしれない。私も似たような風景の記憶を持っている。
大学進学を機に上京してからは、井の頭線の池ノ上から始まり、最後となった中央線の阿佐ヶ谷まで、下宿先を転々とした。今から考えると、住居に関しては何とも落ち着きのない生活を送ったような気がする。もともと田舎者だったので、都会にそれほど馴染めなかったこともあって(こうした感覚は、派手なものを好まないという形で、今でも残っているような気がする)、いつまでも居心地のいい場所が見つけられなかったためであろう。学生運動に熱中していたことなども、関係があったかもしれない。大学卒業後に24歳で早々と結婚してからは、港北区、緑区、都筑区と区は変わったが、同じ横浜市内で暮らしている。
高校卒業後の経歴を簡単に記しておくと、1966年3月に県立福島高等学校を卒業し、同年4月に東京大学(文科2類)に入学した。そして、1970年4月に経済学部経済学科を卒業したが、大学が大荒れの頃であったために、諸事情で留年しなければならなくなった。しかしながら、たんに留年するというのでは苦労して送金してくれている両親に申し訳ないと思い、引き続き同じ学部の経営学科に学士入学した。こちらであれば1年で卒業できるからである。そして、学士入学したまま、同年10月に財団法人労働科学研究所(通称は労研)に入所した。経営学科の方は、翌年に無事卒業することができた。
学生時代の友人であるIの父親が、労研の藤本武さんと知り合いだったので、その友人が労研で研究員を募集しているとの情報を提供してくれた。「お前行く気はあるか」と聞いてきたので、直ぐにその気があると返事した。会社勤めよりも研究所の方が、自分には向いているように思ったからである。就職先が決まったことを報告しに就職課に出向いたところ、職員の方から「まだまだいいところはありますよ」などと言われたが、まったく気にならなかった。若かった所為もあっただろう。私の就職に関しては、父も母も何も言わなかった。もしかしたら、私と似たような思いでいたのかもしれない。
労研の社会科学研究部に1985年3月までの15年間勤務した後、同年4月に労研の近くにあった専修大学に転職し、経済学部の教員になった。この時もまた、労研でお世話になった下山房雄さんから、専修大学で教員を募集しているとの情報を提供してもらった。専修大学では、長らく専門科目の「労働経済論」や「ゼミナール」などを担当した。2018年3月に32年間に渡った教員生活を終えて、70歳で定年退職した。特段の感慨も抱くことなく退職できたのは、やるべきことは一通りやり尽くしたような気分でいた所為もあるだろうし(表現を変えれば、新しいことに挑めなくなったということでもある)、退職後には「敬徳書院」のようなものを立ち上げたいと思っていたからなのかもしれない。そんなわけで、別に肩肘張って言うわけではないが、大学にも研究にももはや何の未練もない。
2018年9月の71歳の誕生日を前に、自分出版社である「敬徳書院」を立ち上げ、現在そこの店主を自称していることは既に紹介した通りである。勿論のことではあるが、店主などというのは戯称(ぎしょう)に過ぎない。いわゆる戯れ言の類いである。何人かの知り合いから、「自己満足」ではないかと冷やかされたりもしたが、まさにその通りで、年寄りの冷や水ならぬ年寄りの道楽である。「老骨にむち打つ」だの「老いの一徹」だの「老いてますます盛ん」だのといった気分は、店主の私にはさらさらない。そうした強ばった姿勢を維持するのが、何とも面倒臭くなってしまったのである。どうせなら、「老いらくの恋」にも似た道楽であるなどと言いたいところなのだが…。
これまでに単著として刊行した労働問題関係の研究書は、以下の6冊である。これらの著作の中でとりわけ印象深いのは、最初の著作となった『企業社会と労働組合』と、最後の著作となった『「企業社会」の形成・成熟・変容』である。誰しも同じことではあろうが…。
『企業社会と労働組合』労働科学研究所出版部、1989年
『企業社会と労働者』労働科学研究所出版部、1990年
『労働者のライフサイクルと企業社会』労働科学研究所出版部、1996年
『現代日本の労働問題』労働科学研究所出版部、1999年
『現代日本における労働世界の構図-もうひとつの働き方を展望するために-』旬報社、2013年
『「企業社会」の形成・成熟・変容』専修大学出版局、2018年
なお、上記の単著以外に共著や編著、訳書の類いがあるが、そのうち2010年以降に刊行されたもののみに限って紹介しておくと、以下の7冊となる。もしも興味があるようであれば、是非お読みいただきたい。専修大学出版局を始め、関係した出版社の販売促進に少しでも役立つようであれば、私としては嬉しい限りである。
『新自由主義と労働』御茶の水書房、2010年
『現代労働問題分析―労働社会の未来を拓くために―』法律文化社、2010年
『危機の時代を観る―現状・歴史・思想―』社会評論社、2010年
『雇用と生活の転換―日本社会の構造変化を踏まえて―』専修大学出版局、2014年
『ワークフェアの日本的展開―雇用の不安定化と就労・自立支援の課題―』専修大学出版局、2015年
『図説 労働の論点』旬報社、2016年
『アベノミクスと日本経済のゆくえ』専修大学出版局、2017年