2018年12月19日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 海外探訪の記(二) 海外を探訪して書いた文章は、この「フィリピンかけある記」が最初である。かながわ総合科学研究所の『所報』No.60(1993年2月)に掲載された。随分昔の文章を今から読み返してみても、どれほどの意味があるのかよくわからな […]
2018年12月13日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 海外探訪の記(一) ●海外探訪事始め 先日専修大学の社会科学研究所(以下社研と呼ぶ)で、研究所の70年史編纂のための会合があった。私は、1991年4月から1995年3月までこの研究所の事務局長を務めたので、歴代の所長、事務局長の一人と […]
2018年12月6日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 身辺雑記 理事長奮戦中! 団地の管理組合の『広報誌』は、年に3回発行される。各理事は、そこに自分の担当する業務に関して何かを書くわけだが、理事長の場合も同じである。1号には就任の挨拶、3号には退任の挨拶を書くことになる。ではこの2号はどうだろう […]
2018年11月30日 / 最終更新日時 : 2019年8月24日 keitokushoin 身辺雑記 定年前夜のこと(完) 四 暮れから正月へ そのほかにも書き留めておきたいことがある。専修大学での教授歴が20年以上の教員であれば、余程のことがない限り、定年退職時に大学から名誉教授の称号が授与されることになっている。そんなわけで、特に辞退 […]
2018年11月29日 / 最終更新日時 : 2019年8月31日 keitokushoin 身辺雑記 定年前夜のこと(三) 三 定年退職を前にして 私が勤務していた経済学部には4つのコースがあり、私が所属していたのはそのうちの「福祉と環境コース」であった。このコースの教員の一人として、経済学部のホームページに受験生向けの文章を書いてくれと […]
2018年11月20日 / 最終更新日時 : 2019年8月24日 keitokushoin 身辺雑記 定年前夜のこと(二) 二 年賀状のことなど これまで触れてきたものの他に、冊子に入れておけばよかったと思ったのは、毎年の年賀状に書いてきた文章である。今年も11月の半ばを過ぎて、そろそろ年賀状の季節が近付いてきた。いわゆる近況報告とは一味 […]
2018年11月15日 / 最終更新日時 : 2019年8月24日 keitokushoin 身辺雑記 定年前夜のこと(一) はじめに 当たり前のことではあるが、人には人それぞれの人生というものがある。十人十色と言うぐらいだから、その色模様はじつにさまざまであるに違いない。にも拘わらず、誕生から死に至る時間の経過のなかで、比較的共通したライ […]
2018年11月7日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 晩夏の日本海紀行(五)-おわりに- おわりに 取り留めもなく長々と書き散らしてきた拙稿も、そろそろ終わりにしなければなるまい。纏まりのない文章に纏まりを付けるのは至難の業である(笑)。しばらく前にネットで検索していて知ったのだが、新潟県議会での質疑にお […]
2018年11月3日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 晩夏の日本海紀行(四)-新潟編- 第三部 新潟・新潟湊にて 山形での二日目は、月山ワインで知られるワイナリーや酒田にある米菓工場などの視察が続いた。月山の麓まで来ると、渓谷や吊り橋もあってやはり山峡の地に来たという感じがする。月山は、湯殿山や羽黒山と […]
2018年11月1日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 晩夏の日本海紀行(三)-山形編- 第二部 山形・酒田湊にて 山形は私の育った福島県の隣県なので、少しは知っているとは言うものの、私にとっての山形は、せいぜいが米沢市や山形市止まりで、その先は勿論、酒田や鶴岡(ここには藤沢周平記念館がある)のような日本 […]