2019年7月6日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(五) 「海ゆかば」雑感 しかし、「防人歌」との繋がりで直ぐに思い起こされるのは、巻十八にある大伴家持の長歌からとられた「海ゆかば」であろう。「海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍 大君の邊にこそ死なめ かえりみはせじ」という […]
2019年6月30日 / 最終更新日時 : 2019年8月24日 keitokushoin 社会探訪 安倍政権とどう対峙するのか 昨日、昔の研究会の仲間と会う機会があり、久し振りに飲み食いしながら雑談を交わした。もうみんな年なので健康談議にひとしきり花が咲いたが、それも済んで近況報告となった。正しく言えば、私が皆の近況を尋ねたのではあるが…。その […]
2019年6月29日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(四) 「太古の心性」と笑い こんなことを紹介して一体何が言いたいのかといえば、韓国の人間も日本の人間も、玄海灘を行き来してきただけあって、いかにも似た者どうしだとの素朴な思いである。社研の『月報』582号で、「性にまつわる […]
2019年6月23日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(三) 解放的な「エロばなし」のこと ところで、宮本の対馬に関する文章は、『日本残酷物語』の第二部「忘れられた土地」(平凡社、1960年)や『忘れられた日本人』(岩波文庫、1984年)にも登場する。前者には、「対馬はむかしか […]
2019年6月17日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(二) 宮本常一と対馬 対馬は、朝鮮半島に最も近い日本であり、日本と韓国はよく「一衣帯水」の関係だと評される。距離としてはわずか50㎞ほどしか離れていないのだから本当に近い。われわれは3月16日の昼に釜山港を発って、ジェット […]
2019年6月11日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(一) 現在私は、「裸木」と題したシリーズものの冊子の完成を急いでいる。タイトルも「カンナの咲く夏に」と決まり、三部構成の原稿も揃い、いまは校正に精を出しているところである。この第3号の第三部には、「さまざまな旅のかたち」と題 […]
2019年6月4日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 身辺雑記 管理組合の仕事を終えて 先月の5月18日には最後の理事会があり、翌週の25日には総会があった。理事長の任期は、前年度の総会後から今年度の総会までとなっているので、総会を終えればようやく「自由」の身となる。理事長の仕事が大変だということだけでは […]
2019年5月27日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 映画日記 二つの映画から この短いエッセーは、もともとは「韓国再訪」と題した投稿のイントロとして書いたものである。かながわ総研の事務局長の石井洋二さんから、『研究と資料』(No.213、2019年4月1日)の巻頭言に何か書いてくれと頼まれた際に […]
2019年5月23日 / 最終更新日時 : 2019年8月24日 keitokushoin 社会探訪 東日本大震災私記(完) おわりに 浄土ヶ浜から岩手の県央を抜けて盛岡に戻ってみると、夕方の駅ビルは土産物を抱えた多くの客でごった返していた。同じ県内でも雲泥の差である。ここには寂しさは見えなかった。東京駅に降り立ったら、震災の記憶などはもは […]
2019年5月18日 / 最終更新日時 : 2019年8月24日 keitokushoin 社会探訪 東日本大震災私記(六) 第5章 再び被災地へ-気仙沼、大船渡、田老- 人間は年を取ってくると、未来ではなく回想に生きるようになり、昔出かけたことのある場所を再び訪れたくなる存在なのかもしれない。古風に表現すると、曾遊(そうゆう)の地を巡ると […]