2019年10月28日 / 最終更新日時 : 2021年9月7日 keitokushoin 旅日記 甲府にて(一)-武田神社から- 今月10月10日から13日にかけて、甲府に出掛けてきた。従兄弟の佐野眞人さんと会い、佐野家の歴史に関してあれこれと話を伺うためであった。もともとは、前年の秋に訪ねるつもりでいたが、団地の管理組合の野暮用に明け暮れていたた […]
2019年8月31日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 瀬戸内周遊の旅へ-2017年暮、鞆の浦、尾道、松山-(完) 私自身に向かう旅へ ところで、せっかくの機会なので子規についても一言触れておきたい。『坂の上の雲』の副主人公でもある彼は、生涯松山藩士にこだわり続け、志士に憧れて身を立て英雄的な人間になるのが夢だったようである。当時 […]
2019年8月25日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 瀬戸内周遊の旅へ-2017年暮、鞆の浦、尾道、松山-(六) 「栄光の明治」の虚妄 ところで、この「坂の上の雲ミュージアム」であるが、こうしたものを作ることを、生前の司馬が許したかどうかはわからない。映像化を断ってきたとのエピソードから推測するに、許さなかったようにも思われるの […]
2019年8月16日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 瀬戸内周遊の旅へ-2017年暮、鞆の浦、尾道、松山-(五) 「坂の上の雲ミュージアム」にて 話があちこちに飛んでしまって、何とも纏まりのない文章になってしまっているので、再度旅の話に戻そう。尾道で一泊した私たちは、翌日しまなみ街道を渡って四国松山に向かった。夕刻に出掛けたのは […]
2019年8月12日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 瀬戸内周遊の旅へ-2017年暮、鞆の浦、尾道、松山-(四) 「東京物語」断想 尾道と言えば、小津安二郎についても触れておかなければならないだろう。誰もが一度は見ているに違いない彼の不朽の名作「東京物語」(1953年)の、冒頭と結末の舞台として登場するのが尾道である。私はそれほ […]
2019年8月6日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 瀬戸内周遊の旅へ-2017年暮、鞆の浦、尾道、松山-(三) 『放浪記』と尾道 次に取り上げたいのは、志賀直哉や小林和作とはあまりにも対照的な世界から、逆境に負けることなく、文壇に這い上がってきた林芙美子である。「文学のこみち」にあった彼女の碑文は、『放浪記』の二部から引かれて […]
2019年8月1日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 瀬戸内周遊の旅へ-2017年暮、鞆の浦、尾道、松山-(二) 尾道と千光寺 福禅寺を後にしたわれわれは尾道に向かい、ロープウェイで千光寺公園に登った。瀬戸内が一望出来る見晴らしのいい公園だった。冬なので花を見ることはなかったが、暖かくなれば様々な花々が咲き誇るのだという。山頂か […]
2019年7月26日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 瀬戸内周遊の旅へ-2017年暮、鞆の浦、尾道、松山-(一) 「玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-」と題した投稿の初回で、私は次のように書いておいた。ブログの読者の方々は、そんなことはすっかり忘れておられると思うので、あえて再録しておく。 現在私は、「裸木」と題 […]
2019年7月15日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(完) 大宰府政庁跡に佇む 厳原を発って博多に向かったわれわれは、再び船中の客となって玄界灘を渡った。今回もまた拍子抜けするほど穏やかな海だった。福岡では九州経済調査会の方から、北部九州と韓国南部の経済交流についての話を聞い […]
2019年7月11日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(六) 半井桃水と吉田弦二郎 対馬では他にも見たいものがあった。樋口一葉の師でもあり恋人でもあった半井桃水の生家跡に建てられた「半井桃水館」もそうであったし、「島の秋」で知られる吉田弦二郎の文学碑などもそうである。時間の関係 […]