2025年2月25日 / 最終更新日時 : 2025年3月1日 keitokushoin 旅日記 冬晴れの岬巡りから(下) 小網代の森に出掛けたその二日後、今度は黒崎の鼻というところに顔を出してみた。小網代湾で気に入った写真がたくさん撮れた(ような気がした)ので、それに味を占めてまたまた行こうという気になったのである。ここを知ったのは、しば […]
2025年2月20日 / 最終更新日時 : 2025年2月22日 keitokushoin 旅日記 冬晴れの岬巡りから(上) 二泊三日の一人旅に出たら、何だか急に腰が軽くなってあちこちに出掛けたくなり、12月の初めには三浦半島に二度足を延ばしてみた。家を出るまでは億劫に思ったりすることもないわけではないが、家からそしてまたパソコンから離れてみ […]
2025年2月16日 / 最終更新日時 : 2025年2月23日 keitokushoin 旅日記 鎌倉から江ノ島へ この日は二つの美術館に顔を出したわけだが、その印象は余りにも違った。中川一政美術館では画家のスケールの大きさに圧倒されたが、湯河原美術館で観た高良眞木の作品は、如何にも私小説風であった。ところで、ミュージアム・ショップ […]
2025年2月12日 / 最終更新日時 : 2025年2月27日 keitokushoin 旅日記 真鶴から湯河原へ この間、二つの旅日記を続けてブログに書い継いできた。一つは「盛夏のアイヌ紀行」であり、もう一つは「処暑の岡山・倉敷紀行」である。前者は計10回、後者は計9回の長期に渡る連載となった。調べてみたら、「盛夏のアイヌ紀行」の […]
2025年2月3日 / 最終更新日時 : 2025年2月27日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(完)-倉敷から小野へ- 今回の「処暑の岡山・倉敷紀行」も、いつものように大分長い連載となってしまった。前回のブログで調査旅行に拘わった話はすべて書き終えたのだから、そこで終わりにしてもよかったのだが、倉紡記念館の見学を終えてから小野に向かうこ […]
2025年1月30日 / 最終更新日時 : 2025年1月30日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(八)-大原孫三郎と労働科学研究所のことなど(下)- 大原孫三郎は三つの研究所の創設と維持に深く関わった。その研究所とは、大原農業研究所と大原社会問題研究所と労働科学研究所である。農業研究所は、大地主の息子である孫三郎が小作人の窮状を知ったことに端を発しており、大原社会問 […]
2025年1月26日 / 最終更新日時 : 2025年1月26日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(七)-大原孫三郎と労働科学研究所のことなど(上)- 水島から倉敷に戻ったこの日は、調査旅行の最後の晩だということもあって、地元の居酒屋で皆で楽しく飲み食いした。水島の続きから言えば、朝鮮焼肉にビールというのも悪くはないと思ったが、折角瀬戸内に来たのだからということで、魚 […]
2025年1月21日 / 最終更新日時 : 2025年1月27日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(六)-水島の公害に挑んで(下)- 今回の水島を巡る研修では、みずしま資料交流館(あさがおギャラリー)を訪ねて、福田憲一館長からレクチャーを受けた。話のタイトルは、「『一医療従事者』が取り組んだ『環境問題』の経験から~患者の想いに寄り添って~」となってい […]
2025年1月13日 / 最終更新日時 : 2025年1月17日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(五)-水島の公害に挑んで(上)- 水島にコンビナートができあがったことによって、地域社会には大きな変化が現れた。先に紹介した「みずしま財団」の『水島の公害と未来』によれば、魚が湧いて出てくるとまで言われた海が汚染され、1961年ごろから水島沖でとれる魚 […]
2025年1月7日 / 最終更新日時 : 2025年1月7日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(四)-水島コンビナート瞥見- 三日目は、今回の調査旅行のメインとなる水島地区の見学である。倉敷の美観地区から僅か20キロほどの距離であるが、両地区の様相は余りにも対照的である。この日はじつに盛りだくさんのスケジュールであった。出掛けた先を列挙してみ […]