2024年10月30日 / 最終更新日時 : 2024年11月20日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(四)-アイヌの哀しみに触れて- これまで紹介してきたような歴史があるからこそ、アイヌの人々の間では和人に対する蔑称であるシャモが使われたりもしてきたのであろう。もともとは隣人を意味するシサムがなまった言葉だとも言われているようだが、今日では蔑称として […]
2024年10月24日 / 最終更新日時 : 2024年11月20日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(三)-アイヌとは誰のことか- ではアイヌという呼称は、アイヌの人々にとってどのようなものとして受け止められてきたのであろうか。そこにはいささか複雑な経緯がある。アイヌという言葉が、長い間の差別と同化の歴史の中で、一時期アイヌの人々の間でも敬遠される […]
2024年10月18日 / 最終更新日時 : 2024年11月20日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(二)-映画『シサム』を観ながら- こんなふうに北海道の思い出を辿っていて今頃気が付くことは、これまでの私には、先住民族としてのアイヌの人々に対する関心が皆無だったことである。昔一度だけ阿寒湖の畔にあったアイヌコタンを覗いたことがあったが、それとても観光 […]
2024年10月11日 / 最終更新日時 : 2024年11月20日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(一)-北海道の思い出から- この間溜まっていたあれこれの仕事を片づけて、ようやく表題のテーマに落ち着いて向き合えることになった。何とも幸せな気分である。ここ2、3日急に暑さが和らぎ始め、周りの景色も一気に秋めいてきた。先般の猛暑日続きの残暑が嘘の […]
2024年6月14日 / 最終更新日時 : 2024年9月11日 keitokushoin 旅日記 「早春の台湾感傷紀行」を書き終えて 10回にも渡った「早春の台湾感傷紀行」をようやくにして書き終えたので、しばらくはほっとした気分であった。ブログの文章は毎週綴っているので、10回ともなると2ヶ月を超える連載となる。この間季節も晩春から初夏へと移ろいつつ […]
2024年6月7日 / 最終更新日時 : 2024年8月23日 keitokushoin 旅日記 早春の台湾感傷紀行(完)-「幌馬車の歌」のことなど- 「早春の台湾感傷紀行」もようやく最終回に辿り着いた。書きたいことがあるのなら何回でも書いていいようなものだが、ブログの読者からすれば、やはり10回あたりが限度というものだろう。いい加減飽きてくるからである。それにこの私 […]
2024年5月31日 / 最終更新日時 : 2024年6月3日 keitokushoin 旅日記 早春の台湾感傷紀行(九)-台湾人日本兵・高砂義勇隊・台湾少年工- あれこれと台湾のことについて調べ、思いつくままにブログに文章を綴っていたりすると、ふと記憶の底から浮かび上がってくるものもある。そんな話を書いておこう。日本の植民地であった台湾の戦時下の様相はどんなものだったのだろう。 […]
2024年5月24日 / 最終更新日時 : 2024年5月24日 keitokushoin 旅日記 早春の台湾感傷紀行(八)-牡丹社事件の顛末から- 恒春から屏東に向かう途中、「牡丹社事件祈念公園」に立ち寄った。私は恒春古城で転倒したばかりだったこともあって、この公園をしっかりと見て廻るだけの余裕がなくなっていた。帰国してこのブログを書き始めたところ、牡丹社事件が台 […]
2024年5月17日 / 最終更新日時 : 2024年5月16日 keitokushoin 旅日記 早春の台湾感傷紀行(七)-台湾の原住民族のこと(下)- 前回のような話を前提にしたうえで、われわれが訪問した先を順次紹介してみよう。まず花蓮の「阿美族民族中心」であるが、台湾で最も大きな原住民のグループがアミ族であることはよく知られており、その多くは花蓮から台東にかけての海 […]
2024年5月10日 / 最終更新日時 : 2024年5月13日 keitokushoin 旅日記 早春の台湾感傷紀行(六)-台湾の原住民族のこと(上)- 今回の調査旅行のもう一つの柱となっていたのは、台湾の東部に集中している原住民族の遺跡を訪ねることであった。どこを見学してきたのかと言えば、4日目の花蓮での「阿美族民族中心」であり、5日目の台東での「卑南遺跡公園」と「国 […]