2019年1月20日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 韓国再訪(三) ●交錯する「過去」と「過去」 この「韓国再訪」が書かれた2008年の時点から見ても、光州事件からはや30年近くが経とうとしていた。この間、1988年には盧泰愚が光州事件を「民主化のための努力」と認めるとともに、全斗 […]
2019年1月14日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 韓国再訪(二) ●独立記念館における「歴史的時間」 今回の韓国再訪に気持ちが動かされたのは、その行程に独立記念館と光州の訪問が組み込まれていたからである。なぜそのような場所に強く惹き付けられるのか。おそらくは、そうしたところに私 […]
2019年1月8日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 韓国再訪(一) 以下の文章は、韓国を再訪した機会に書いたエッセーである。『専修大学社会科学研究所月報』のNO.553・554合併号(2009年8月)に掲載された。比較的長めのエッセーとなったので、3回に分けてブログに投稿することにした […]
2018年12月24日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 海外探訪の記(三) 前回(二)で、海外を探訪して書いた最初の文章である「フィリピンかけある記」を紹介したが、それに続いて書いたのが「韓国かけある記」である。これも、かながわ総合科学研究所の『所報』No.63(1993年8月)に掲載された。 […]
2018年12月19日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 海外探訪の記(二) 海外を探訪して書いた文章は、この「フィリピンかけある記」が最初である。かながわ総合科学研究所の『所報』No.60(1993年2月)に掲載された。随分昔の文章を今から読み返してみても、どれほどの意味があるのかよくわからな […]
2018年12月13日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 海外探訪の記(一) ●海外探訪事始め 先日専修大学の社会科学研究所(以下社研と呼ぶ)で、研究所の70年史編纂のための会合があった。私は、1991年4月から1995年3月までこの研究所の事務局長を務めたので、歴代の所長、事務局長の一人と […]
2018年11月7日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 晩夏の日本海紀行(五)-おわりに- おわりに 取り留めもなく長々と書き散らしてきた拙稿も、そろそろ終わりにしなければなるまい。纏まりのない文章に纏まりを付けるのは至難の業である(笑)。しばらく前にネットで検索していて知ったのだが、新潟県議会での質疑にお […]
2018年11月3日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 晩夏の日本海紀行(四)-新潟編- 第三部 新潟・新潟湊にて 山形での二日目は、月山ワインで知られるワイナリーや酒田にある米菓工場などの視察が続いた。月山の麓まで来ると、渓谷や吊り橋もあってやはり山峡の地に来たという感じがする。月山は、湯殿山や羽黒山と […]
2018年11月1日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 晩夏の日本海紀行(三)-山形編- 第二部 山形・酒田湊にて 山形は私の育った福島県の隣県なので、少しは知っているとは言うものの、私にとっての山形は、せいぜいが米沢市や山形市止まりで、その先は勿論、酒田や鶴岡(ここには藤沢周平記念館がある)のような日本 […]
2018年10月30日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 晩夏の日本海紀行(二)-秋田編- 第一部 秋田・土崎湊にて 出発の日となった9月3日は、東京はあいにくの小雨そぼ降る天気だった。まずは秋田市に向かったのであるが、私は秋田新幹線が、盛岡を経由し奥羽山脈を横断し、大仙市で大きくカーブして秋田市に至ること […]