2019年8月6日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 瀬戸内周遊の旅へ-2017年暮、鞆の浦、尾道、松山-(三) 『放浪記』と尾道 次に取り上げたいのは、志賀直哉や小林和作とはあまりにも対照的な世界から、逆境に負けることなく、文壇に這い上がってきた林芙美子である。「文学のこみち」にあった彼女の碑文は、『放浪記』の二部から引かれて […]
2019年8月1日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 瀬戸内周遊の旅へ-2017年暮、鞆の浦、尾道、松山-(二) 尾道と千光寺 福禅寺を後にしたわれわれは尾道に向かい、ロープウェイで千光寺公園に登った。瀬戸内が一望出来る見晴らしのいい公園だった。冬なので花を見ることはなかったが、暖かくなれば様々な花々が咲き誇るのだという。山頂か […]
2019年7月26日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 瀬戸内周遊の旅へ-2017年暮、鞆の浦、尾道、松山-(一) 「玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-」と題した投稿の初回で、私は次のように書いておいた。ブログの読者の方々は、そんなことはすっかり忘れておられると思うので、あえて再録しておく。 現在私は、「裸木」と題 […]
2019年7月15日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(完) 大宰府政庁跡に佇む 厳原を発って博多に向かったわれわれは、再び船中の客となって玄界灘を渡った。今回もまた拍子抜けするほど穏やかな海だった。福岡では九州経済調査会の方から、北部九州と韓国南部の経済交流についての話を聞い […]
2019年7月11日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(六) 半井桃水と吉田弦二郎 対馬では他にも見たいものがあった。樋口一葉の師でもあり恋人でもあった半井桃水の生家跡に建てられた「半井桃水館」もそうであったし、「島の秋」で知られる吉田弦二郎の文学碑などもそうである。時間の関係 […]
2019年7月6日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(五) 「海ゆかば」雑感 しかし、「防人歌」との繋がりで直ぐに思い起こされるのは、巻十八にある大伴家持の長歌からとられた「海ゆかば」であろう。「海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍 大君の邊にこそ死なめ かえりみはせじ」という […]
2019年6月29日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(四) 「太古の心性」と笑い こんなことを紹介して一体何が言いたいのかといえば、韓国の人間も日本の人間も、玄海灘を行き来してきただけあって、いかにも似た者どうしだとの素朴な思いである。社研の『月報』582号で、「性にまつわる […]
2019年6月23日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(三) 解放的な「エロばなし」のこと ところで、宮本の対馬に関する文章は、『日本残酷物語』の第二部「忘れられた土地」(平凡社、1960年)や『忘れられた日本人』(岩波文庫、1984年)にも登場する。前者には、「対馬はむかしか […]
2019年6月17日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(二) 宮本常一と対馬 対馬は、朝鮮半島に最も近い日本であり、日本と韓国はよく「一衣帯水」の関係だと評される。距離としてはわずか50㎞ほどしか離れていないのだから本当に近い。われわれは3月16日の昼に釜山港を発って、ジェット […]
2019年6月11日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(一) 現在私は、「裸木」と題したシリーズものの冊子の完成を急いでいる。タイトルも「カンナの咲く夏に」と決まり、三部構成の原稿も揃い、いまは校正に精を出しているところである。この第3号の第三部には、「さまざまな旅のかたち」と題 […]