2024年12月18日 / 最終更新日時 : 2024年12月19日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(一)-日本遺産のまち・倉敷へ- あれだけ厳しかった残暑の名残りなど跡形もなく消え去り、師走に入って冬が大分が深まってきた。9月の初旬に社会科学研究所の調査旅行で倉敷に出掛けてきたが、処暑の頃のあの暑さが嘘のようである。調査に出掛けてからまだ3ヶ月程し […]
2024年12月9日 / 最終更新日時 : 2024年12月9日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(完)-旅の終わりに- 長らく書き継いできた「盛夏の北海道アイヌ紀行」も、ようやくにして最終回まで辿り着いた。アイヌに関して何も知らなかった私のような人間が、一体何を書いたらいいのか当初迷わないでもなかったが、旅の前後に買い込んだ何冊かの本や […]
2024年12月4日 / 最終更新日時 : 2024年12月6日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(九)-啄木と武四郎のこと- 今回のブログでは、釧路と繋がりの深い二人の人物に触れてみることにした。その二人とは、石川啄木と松浦武四郎である。まずは石川啄木(1886~1912)から。釧路では、釧路市立博物館の見学の後、旧釧路新聞社の社屋を復元した […]
2024年11月28日 / 最終更新日時 : 2024年12月4日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(八)-帯広から釧路へ- 帯広では、馬の資料館を見た後帯広百年記念館にも立ち寄った。この記念館は広々とした公園の敷地内にあった。ここで注目すべきは、開拓当時の様子が詳しく紹介されていたことであろう。この私でさえ先人たちの並大抵ではなかった苦労が […]
2024年11月20日 / 最終更新日時 : 2024年11月23日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(七)-神田日勝の描いた馬のこと- 初日に、ウポポイから新ひだか町に向かう途中で、門別競馬場に立ち寄った。翌日は、二風谷コタンから帯広に向かったのだが、そこでは帯広競馬場と馬の資料館を眺めてきた。馬をここまで間近に見たのは初めてだったので、その予想外の大 […]
2024年11月14日 / 最終更新日時 : 2024年11月22日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(六)-シャクシャイン像を仰ぎ見て- 前回触れた2つの施設以外にも、日高町立門別図書館郷土資料館や帯広百年記念館にも出掛けたし、9日にはビート資料館で話も聞いたし、釧路市立博物館も訪ねた。最終日の10日には、旧太平洋炭礦の炭鉱展示館にも出向いた。昔美唄で炭 […]
2024年11月7日 / 最終更新日時 : 2024年11月20日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(五)-二つの博物館を巡って- 今回の人文科学研究所の総合研究は「北海道道央・道東総合研究調査」と銘打たれていただけあって、道央と道東にある多くの博物館や資料館を巡った。そのなかでも主要な訪問先は、初日の8月7日に訪ねた民族共生象徴空間ウポポイであり […]
2024年10月30日 / 最終更新日時 : 2024年11月20日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(四)-アイヌの哀しみに触れて- これまで紹介してきたような歴史があるからこそ、アイヌの人々の間では和人に対する蔑称であるシャモが使われたりもしてきたのであろう。もともとは隣人を意味するシサムがなまった言葉だとも言われているようだが、今日では蔑称として […]
2024年10月24日 / 最終更新日時 : 2024年11月20日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(三)-アイヌとは誰のことか- ではアイヌという呼称は、アイヌの人々にとってどのようなものとして受け止められてきたのであろうか。そこにはいささか複雑な経緯がある。アイヌという言葉が、長い間の差別と同化の歴史の中で、一時期アイヌの人々の間でも敬遠される […]
2024年10月18日 / 最終更新日時 : 2024年11月20日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(二)-映画『シサム』を観ながら- こんなふうに北海道の思い出を辿っていて今頃気が付くことは、これまでの私には、先住民族としてのアイヌの人々に対する関心が皆無だったことである。昔一度だけ阿寒湖の畔にあったアイヌコタンを覗いたことがあったが、それとても観光 […]