届けられた友人からの手紙(上)

 4~5日前に、毎年作成しているシリーズ「裸木」の第8号となる『空と雲と風と』の校正紙が届いた。初校はもう済んでいるので、届いたのは再校紙である。同封された手紙には、7月中に完全原稿をいただければ有り難いとあった。まだ十分に時間はある。この1週間いささか慌ただしい時間を過ごしたので、今日からまた落ち着いて校正に向かうつもりである。私ももうすぐ喜寿となる。今更ではあるが、この年になれば好きなことをやるにしくはない。こんな台詞は毎度毎度口にしていることではあるが、そうやってことある度に自分に言い聞かせているのである。そうしないと、雑用に追われ紛れ埋もれていつの間にか「好きなこと」を忘れる。

 先日病院に出向いたところ、2年間続いた前立腺ガンの治療がほぼ完了したので、あとは半年に1回検査を受ければいいだけの身となった。この間もごく普通に暮らしてきたので、今後特に変わったことが生ずるわけではないものの、やはり気分が違う。やれやれといったところである。今日はのんびりとブログに向かえるので、どうやら至福の時間を過ごせそうだ。城山三郎に『毎日が日曜日』(新潮文庫、1979年)というタイトルの本があるが、これからしばらくの間私は「毎日が夏休み」である(笑)。

 何時の日か、戻るあても定かではない長い旅に出掛けることにしているので、それまでは夏休みで我慢しておくことにしたい。それでも、結構長い休みとなるはずなので何ともわくわくする。わくわくするなんていかにも子供っぽいような気もするが、年寄りは子供に還っていくとのことだからそれでいいのであろう。そう言えば、糸井重里が新潮文庫のために作った「インテリげんちゃんの夏休み」というなかなか秀逸なコピーがあったことを思いだした。「インテリ爺さんの夏休み」ではちょっと恥ずかしいので、「道楽爺さんの夏休み」なんてどうだろうか。

 今回のブログには、先日友人からもらった手紙について書いてみることにした。大分長い、そして読み応えのある手紙であった。中身は、贈呈した冊子『いつもの場所で』への礼状を兼ねた読後の感想である。こちらが無理矢理贈呈したようなものだし、同封の手紙にもわざわざ礼状など必要ないと書いておいたから、こんな手紙が来るとは思いもよらなかった。手紙の主であるS君とは中学校の時の同級生であり、昨年福島で開かれた同窓会で久しぶりに会った。こんなことをしては迷惑だろうと思ったが、冊子を贈呈させてもらうことにしたのである。その顛末に関しては、しばらく前にブログで触れたことがある。

 便箋で6枚にもなる手紙をもらったので、たいへん恐縮して、嬉しかったことをメールで伝えようとしたが、名簿に記載されていたメールアドレスが間違っていたようで、宛先不明となって戻ってきてしまう。仕方がないから電話をしてみた。親しい友人と言うよりもちょっとした知り合い程度の間柄だと思っていたので、話がうまく続くのかどうかいささかの不安を感じながらの電話であった。そうしたら不安はまったくの杞憂であった。「案ずるよりも産むが易し」とはよく言ったものである。電話口で話を交わし、メールを遣り取りしたこともあって、二人の距離は急に縮まったように感じられた。そんなわけで、ブログのタイトルを「届けられた友人からの手紙」としてみたのである。

 調子に乗って、もらった手紙をブログで紹介させてもらいたいのだがと尋ねたところ、「どうぞ、どうぞ」との嬉しい返事であった。そこで、言葉に甘えてブログに載せさせてもらうことにした。冊子をただ褒めあげるだけの手紙であったなら、私のことだからブログに載せることなどないはずだが、内容があれこれと考えさせるものだったのでその気になった。本来であればまとめて1回で紹介すべきところであろうが、長文なので2回に分けることにした。S君の了解もなく分割するのだが、彼も許してくれることだろう。以下に紹介するのがその手紙である(いささか読みにくいと思われたところにのみ、若干手を入れさせてもらった)。それにしても、手紙の冒頭が笑える。そこには「チョットいやな厚さの本だなぁ」とある。素直な本心であろう。

 せっかく本を送ってもらったのに長い間返礼もせずすみません。色々ありまして(コロナ感染、右脚打撲、やっぱり妹の永眠がこたえました)こんな状況になってしまいました。最近読書量が激減(とにかく集中力の欠如がひどい)して、チョットいやな厚さの本だなぁ(すみません)手に取りましたが、大変興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。なるほどなるほどと思い、感ずるところ多数ありましたのでまとまりのない駄文ですがご一読ください。

 多喜二を殺害した人間とはいったいどんな連中か?戦後をどのように生き延びたのか?本当に知りたいですね。保阪正康が大日本帝国軍人の性質を①精神論が好き、② 妥協は敗北、③事実誤認は当り前と評してます。つまるところ「自省がない」「知的でない」ということでしょう。石原莞爾が、東條英機には思想も意見もないと毛嫌いしたとか。石原のバカ呼ばわりもそれはそれで困ったものですが…。多分、特高警察官も同様のメンタリティと思われます。いわゆる東京裁判での指導者たちの責任転嫁や逃げ隠れを見ればおぼろげながら想像がつきます。

 軍官僚だった瀬島龍三の戦後の身の処し方に明瞭に表われています。史実を隠す、事実をすり替える、虚偽の回想、平然と嘘をつく。なにやら安倍政権下の国会審議のようで、とにかく自己保身!貴兄は余り好きではないようですが、多分司馬遼太郎が憎んだのが、これらの事柄だったのではないでしょうか。昭和の軍人指導者よりは明治を作った人々の方が何ほどか素晴らしかったと。といっても、明治政府によるマインドコントロールはいまだ我(?)を捕えて放さないのも事実なので、要注意ですが。この前読んだ武澤秀一『伊勢神宮と天皇の謎』(文春新春、2013年)で、伊勢神宮の古い形式の社殿が古代から変わることなく忠実に今も守られているなんて話は神話に過ぎないと知り、明治のおそろしさを知りました。同じ様な事はそこら中に転がっているのでしょう。

 「夏は来ぬ」と「賤の女」と「早乙女」の話ですが、そもそもは曲が先にあって、後で信綱に作詞依頼があったようです(明治33年)。池田小百合の「なっとく童謡・唱歌」に詳しく書かれてます。 ネットで調べてみてください。それが昭和17年のラジオ番組「国民合唱」放送時に(確かにビミョウな時期ですネ)他の数箇所と共に改めたようです。私見ですが(多分間違いかナア)、ホトトギスの異称「賤島(しずとり)」と古代の織物「倭文」(しず)」と裳裾との連想から「賤の女」はスッと浮かんだのでは…。 信綱に差別用語の意識があったので直したのか否かは私には分かりませんが、「賤の女」の方の懐しさ一杯のモノクローム写真が、「早乙女」で土産物屋のカラー絵ハガキになったようで悲しいのですが、どうでしょう?

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2024/06/21

イタリア山庭園にて(1)

 

 

イタリア山庭園にて(2)

 

イタリア山庭園にて(3)