カメラを片手に(中)-散歩と撮影の日々から-

 年金者組合の文化展に写真を出品したことは、前回のブログで触れたが、そうしたら文化展の終了後に、出品しての感想を求められた。組合のチラシに載せるので、短い文章を書いて欲しいとのことである。いつも雑文を書き散らしている私なので、快く引き受けた。書いたのは、「年金者組合の文化展に出品して」と題した以下のような文章である。前回のブログと少し重なるところもあるが、そのあたりはご容赦願いたい。

 年金者組合の組合員になってまだ間がないこともあって、毎年8月に開催されている「年金者文化展」に顔を出したのは、去年が初めてである。珍しさも加わって、さまざまな作品を丁寧に眺めた。展示されていたのは、俳句、短歌、川柳、絵手紙、ちぎり絵、人形、書、写真、絵画などである。いずれも高齢の方々に愛好者が多いのであろう。

 今年文化展への出品依頼のチラシを眺めているうちに、自分も写真を出品してみようといった心持ちになった。去年顔を出して様子は分かったので、自分のようなまったくの素人が出品しても大丈夫だろうという気がしたからである。それを後押ししたのは、たまたま知り合いから譲り受けた大型のカラープリンターである。

 このプリンターでA4の感光紙に印刷し、それを額に入れて出品してみることにした。この文化展は、年金者組合の宣伝も兼ねているように思われたので、そうであれば毎月熱心に顔を出しているウオーキングで撮影したものがいいだろうと考えた。タイトルを「年金者組合のウオーキングから」とし、この間出掛けた3カ所の写真を出品してみた。

 A4なら十分に大きいだろうと思っていたが、飾った自分の作品を眺めてみてA3にすべきだったと反省した。迫力が違うからである。私が撮影に使っているのは、どこにでもあるようなデジタルカメラなのだが、性能はなかなかよくて、拡大して印刷してもあまりぼやけない。来年も同じテーマで、A3の写真を3枚出品させていただこうかと考えている。毎月のウオーキングに出掛けて、いい写真を撮りたいものである。

 以上がチラシに書いた文章なのだが、これを読むといかにも出品意欲が満々で、今となっては何とも気恥ずかしい。しばらく前に、知人から「カメラ小僧」ならぬ「カメラ爺(じじい)」だねと冷やかされたことがあったが、まさにその通りであろう。しかし考えてみれば、「小僧」の対となりそうなのは「坊主」でもあるので、私としては「カメラ坊主」を自称しようかとも考えている。しかし、これでは写真愛好家を呼ぶ際の愛称にはなりにくいかもしれない(笑)。

 そんなわけで、このところ外に出る時には、必ずと言っていいほど手提げのカバンにカメラを放り込んでいる。写真を撮ろうと思って外に出る時に、ごくたまにカメラを忘れることがあるが、これはたんなる惚けである。そんな時は、仕方がないからスマホで撮ることになる。いつもカバンにカメラを入れているのは、いつ何処で気になる風景に巡り会うか分からないからである。そうしたチャンスを逃さないようにしたいと思っているとは、なかなか殊勝な心掛けではないか。

 風景を撮るなどと書くと少しは大きな景色を思い浮かべそうだが、私が撮ろうとしているのは、近隣に出掛けた際に見付けたごくごく小さな風景である。だから、「遠景」よりも「近景」の方に、「大景」よりも「小景」や「寸景」の方に、あるいはまた「万景」よりも「私景」の方に(これは私の勝手な造語である)、親近感を抱いている。散歩途中の通りすがりのふとした光景に、何故か心を奪われることがある。心安らぐのはそんな時である。ついでに書いておけば、上述したようなこととも関係があるのかもしれないが、撮る写真は横ではなくて縦のことが多い。

 私はどうも何か目的がないとなかなか外に出掛けにくい。きっとそんな性分なのであろう。運動不足を解消するために、散歩を勧められているのだが、なかなかうまく習慣化できない。これではならじと、散歩の途中で写真を撮ることにしたら、何となく出掛けやすくなった。写真の撮影にかこつけての散歩ということか。同じ団地に住むカメラマンのSさんや医者のNさんが、撮影を兼ねて散歩していることをたまたま知ったので、真似をさせてもらうことにしたのである。

 カメラを片手に散歩していると、時々ちょっと恥ずかしいことにぶつかる。区役所の側になかなか素晴らしい作品があった。モザイクで川の流れを巧みに表現しているものだった。草に蔽われて隠されているのがもったいないように思い、足を踏み入れて写真を撮ろうとしたら、「そこには入らないでください」と注意された。彫刻の裸婦像を撮ろうとして眺め回していたら、通りすがりの人々の視線を感じたりもした。道端で個人宅の屋根を入れて雲の写真を撮っていたら、「調査でもしているんですか」と詰問調に尋ねられたこともある。不審者と間違われたのであろう(笑)。

 デジタルカメラを片手にした「カメラ坊主」のような存在は、もともと不審者に見られやすい存在なのかもしれない。大きなカメラであればその手の人、すなわち写真愛好家だとすぐに分かるのだろうが、小さなカメラではそうもいかない。この10月からは毎日のように病院通いが始まったので、これを散歩に見立てて、隣にある都筑中央公園あたりで撮影するのが無難なのかもしれない。運動不足の解消のために病院通いをするというのも、何だか可笑しな話ではあるのだが…。

 もしかしたらお気付きの方もおられるかもしれないが、ここ3回ほどのブログには、文章の最後に載せている写真の頭にPHOTO ALBUM「裸木」と入れて、写真を文章とは別物であることを強調するとともに、掲載した3枚の写真にそれぞれタイトルを入れている。例えば前回の場合は、見出しをPHOTO ALBUM「裸木」(2022/09/30)としたうえで、それぞれの写真に「川の流れのように」(青葉区役所にて)、「藪の中に屹つ」(青葉区役所にて)、「晩夏暮色」(川和町にて)といったタイトルを付けてみた。

 そんなことをしたところで、それがどうしたと言われるのが落ちではあろうが、「ふーん」とか「へえー」とか「ほおー」とか、あるいはまた「はあー」とかの何かしらの反応があるようなら、「カメラ坊主」としてはたいへん嬉しいのだが…。老後の道楽に耽ったあげくに、羞恥心まですっかりなくすことができるのが、知り合いのFさんが言うように、「後期」高齢者にとっての「好機」なのではあるまいか

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2022/10/08)

川の流れのように(青葉区役所にて)

 

藪の中に佇つ(青葉区役所にて)

 

晩夏暮色(川和町にて)