贈られた本を読みながら(三)
岩波書店の労使関係は、創業の理念とも重なり合う「自由、平等、友愛」や「自主、民主、公開」と言った原則に彩られているように見える。こうした労使関係は、わが国の世間の労使関係に関する「常識」からすればありえないものなのかもしれない。しかしながら、それ故にこそ何時までも光彩を放っているようにも見える。登場する群像のなんと魅力的なことだろうか。大塚さんには不満もあるのかもしれないが、私のような古臭い年寄りには何とも興味深い。そんなふうに感ずるのは、私がまったくの部外者だからなのかもしれない。
もっとも、上記のような評価はことの反面に過ぎず、経営の維持という重圧もあって、とりわけ編集業務に携わる人々は長時間労働を余儀なくされ、疲弊しているのだという。健康を害したり、早期に離職する人も生まれているらしい。注目されるのは、そうした事態を労働問題として表面化しにくくさせているのが、先に触れたような岩波書店の「特異」な労使関係ではないかというところにある。
自発的に働く労働者のその自発は、経営によって強制されているようなものではない。そうした側面がまったくないとは言えないだろうが、基本的には本の世界が大好きな人々の、「いい本をつくりたい」という信念と熱意にもとづいた自発である。それはまた、新しい文化の創造に貢献しているとの自負にもとずいた自発でもある。だからこそ、簡単には解決策が見付からないやっかいな問題となるのであろう。時代遅れのように見える「強い」労働組合が存在し続けるのは、もしかしたら自発の強さの所為なのかもしれない。その辺りのところが、小説仕立てで大変興味深く描かれている。
大塚さんは、岩波書店の「特異」な労使関係を裁断する審問官としてこの小説を書いているわけではないので、話は行ったり来たりする。それをまどろっこしいと思う読者もいるかもしれないが、私はどちらかと言えば、あれこれ惑うような柔らかな姿勢や思考の方が好きである。ブログにこの文章を投稿しようとして、たまたま竹内洋の『革新幻想の戦後史』(中央公論新社、2011年)を手にしてみた。『岩波書店取材日記』にも重要な人物として紹介されている吉野源三郎(彼は戦前の『君たちはどう生きるか』の著者として著名である。しばらく前にコミックにもなった。)が竹内の本にも登場するので、この機会に読んでみたのである。
戦後の「革新」が「幻想」として終始一貫小気味よく、そしてまた手厳しく批判されているので、読んでいて痛快に思う「正論」の「諸君」も多かったのかもしれない。私はと言えば、竹内の本に描かれた事実から学ぶものはたくさんあったのだが、どうしても肌に馴染まなかった。「革新」を批判しているからそう言うのではない。そうではなくて、著者のまったくためらいのない批判の筆致や、迷いのない審問の姿勢が、何とも嫌だったのである。
そうした審問の最後に登場するのは今日の「大衆」であるが、その大衆は実体をなくした「空」(「そら」ではなく、こちらは「くう」である)の如き存在である。当然であろう。審問だけであれば、そこから何ものかが生み出されることなどあり得ないからである。読み終えた後に広がるのは、あまりにも空漠とした、あるいは色をなくした「空」(こちらは「そら」である)でしかない。博覧強記の著者自身が、そのことに気付かぬはずはなかろうとも思ったのだが…。
話が横道にそれたので元に戻す。私自身の過去を振り返ってみて思い出される岩波書店の姿を、この機会に少しばかり書き留めてみたくなった。高校時代の恩師であった世界史の教師のS先生は、戦後の革新を体現したような人であった。中央の岩波文化人を敬愛する地方の文化人でもあり、また労働組合の幹部として総評の「組織綱領草案」の作成にも関わるような人でもあったからである。岩波書店の本もよく読んでいたような気がする。そう思うのは、自宅に招かれた際に岩波新書がずらりと並んでいるのを見た記憶がかすかにあるからである。
この恩師の存在に多大の刺激や影響を受けたが、私自身はそれほど熱心な岩波書店の刊行物の読者にはならなかった(正確に言えば、なれなかったのではあるのだが…)。岩波文庫や岩波新書や雑誌『世界』などを、ごくたまに手にする程度だった。頻繁に岩波書店の世話になり始めたのは、大学の教員になってからである。ゼミナールのテキストによく岩波新書を取り上げた。私自身読んでみて面白かったからテキストに取り上げたわけだが、どこかに岩波書店の本作りに対する信頼のようなものがあったからでもあろう。
また、岩波書店から著書を刊行することが一流の学者の証となっている、そんな雰囲気を垣間見たことも何度かあった。もちろん、遠くから眺めていてかすかに感じたに過ぎなかっただけではあるが…。岩波文化人と称されるような人々のその教養のレベルの高さには驚き、そしてまた圧倒されもしたが、だからと言って憧れたりはしなかった。もともと人種が違うようにも感じていたし、私は別な道を歩もうと思ってもいたからである。敬して遠ざけたとでも言えばいいのであろうか…(笑)。
ある時、教養人でもあった年上の先生に誘われて「岩波ホール」で映画を一緒に観たこともあった。立派な映画のようだったが、あまりにも退屈で何度も居眠りする始末だった。それ以来足を運んだことはない。岩波書店から刊行された書籍を扱っている信山社にも、岩波文庫を買うために何度か足を運んだことがある。そこで、同じく教養人でもあった別のある先生に出くわしたりもした。正直に書けば、私のように猥雑で不勉強な人間にはあまり縁のないところのようにも思われた。立派過ぎる本ばかりが並んでいたからである(笑)。
そんな人間なので、岩波書店に特別の感慨はない。大塚さんが編集長を担当した岩波現代文庫や、同時代ライブラリーなども何冊かは持っているが、読んだのはごく僅かである。それにも拘わらず『岩波書店取材日記』が気になるのは、岩波書店が戦後的な価値と言うべきものの一角(一角どころか、頂点なのかもしれないが…)を明らかに担ってきたと考えているからであろう。なんのかんの言いながら、教養の宝庫や文化の殿堂として仰ぎ見ているからなのかもしれない。
私のような外部にいた人間であっても、やはり何処かにその影響は及んでいるような気もするぐらいだから、内部にいた大塚さんであればかなり大きな影響を受けたに違いない。『岩波書店取材日記』を読みながら感じたのは、そのことである。その重圧を払いのけて自由になりたいと思い、大塚さんは「ユーモア小説」仕立てにしてこの小説を書いたのであろう。過去から決別して、自分の眼で自分自身の空を見上げようとしている大塚さんは、これから先何処へ向かうのであろうか。楽しみである。
(追 記)
大塚さんの『岩波書店取材日記』を読みながら心に浮かんだことを、勝手気儘に綴ってきた。最後まで書き上げて通して読んでみたら、構成上どうも3回に分割して投稿した方がいいように思われた。そんなわけで、既に投稿済みのものにまで修正を加えることになった。どうせそれほどの読者がいるわけではないのだからいちいち断るまでもないのだが、ここで一言触れさせてもらうことにした。