シリーズ「裸木」と名付けた冊子を作成するのが、「敬徳書院」の店主である私の老後の愉しみ、いわゆる「道楽」ということになる。辞書によれば、道楽にもいろいろな意味があって、本職以外の趣味であったり、酒色や博打などの遊興であったり、あるいはまた、仏道修行によって得られた悟りの愉しみであったりもする。でき得るならば、「悟りの愉しみ」にまで至りたいところだが、私のことだから恐らく無理であろう。「遊興」あたりがせいぜいのところである。

  この先何号まで続くのかわからないが、もしも元気であれば、一年に一冊のペースで作成して、友人や知人やゼミの卒業生などに配ろうかと考えている。できうれば10号まで刊行し、それを終刊号とするつもりである。他人が老後の愉しみで作るようなものを、身銭を切って買うような奇特な人は恐らくいないであろうから、定価を付けてはあるが大部分は贈呈するつもりである。「時間はあるが金はない」身となった年金生活者にしては、身の程もわきまえない大盤振る舞いと言うしかなかろう。

 ところで、そうした冊子を作成するためには、勿論ながら何かを書かなければならない。次から次へと文章が湧き出るような文才を持ち合わせている人であれば何の問題もないのだが、この私はそんな人間ではない。仕方がないから、ブログに雑文を綴りそれらを纏めて冊子にすることにした。雑文を書くのは昔から嫌いではなかったので、何とかなるだろうと考えたわけだが、いささか安直な姿勢であると思わなくもない。もっとも、年寄りが道楽で始めるものなのだから、安直でいいと開き直っている節もある。

 ブログなる言葉を聞いたことはあったが、何のことか今ひとつわからないまま暮らしていたような、何とも「時代遅れ」の私であった。そんな人間が、突如「店主のつぶやき」と題したブログを始めることになったのは、上記のような事情があったからである。勝手につぶやくのは「天主」でも「天使」でも「天子」でもない、「店主」である。間違いのないように願いたい。『現代用語の基礎知識』によると、ブログとは、日記感覚で日々更新していくような形式のホームページで、ウェブログの略だとある。「日々更新」とは何とも恐れ入谷の鬼子母神である。「日々更新」しなければならないような出来事に溢れていて、しかも「日々更新」し続けるような人がいるらしいことに、驚きを禁じ得ない(こうした物言いには、いささか皮肉が混じっているはずである)。

 もしかすると、現代は自己表現や自己実現や自己承認の欲求が途方もなく膨らんだ時代なのかもしれない。それはもはや「社会の病い」とでも言うべきものであり、かく言う私もまた、たとえ今のところは軽かったとしても(しかしながら、この先重症になる可能性は大いにある)そうした患者の一人であるに違いなかろう。私のブログに対する向き合い方は、まったくもってレトロである。自分の文章を好き勝手にのんびりと紡ごうとしているに過ぎないからである。日記感覚などで書いてはいないし、書けもしないし、書く気もない。しかしながら、書いたものを公表すると、やはりどこかしらに読んでくれる人はいるようで、誤りを指摘してもらったこともある。このあたりはブログの良さなのかもしれない。一度投稿してしまった文章でさえも、何度でも自分が納得するまで書き直せるというのが凄いし、嬉しいし、楽しい。

 編集と更新を繰り返したということで言えば、ホームページ内の文章についても同じである。あれこれの著作を広げたり、資料を目にしたりしていると、あるいはまた、僅かばかり残った記憶の襞を一人静かに辿ったりしていると、新たに書き加えたくなることがらがあれこれと頭に浮かんでくるからである。こんなふうにして、もはや誰にも制約されることなしに、自分なりに満足した文章に仕上げていくことができるのは、何とも素晴らしいことではないか。すっかり年を取った私は、いつの間にかそうしたことが好きになってきたのである。閑居の身となったのだから、あとは好きなことをやるにしくはない。

 『徒然草』の冒頭は、誰もが知っているように、「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ、ものぐるほしけれ」で始まる。一見何だか現代のブログのように読めなくもない。しかし、ここで大事なことは、やはり「あやしうこそ、ものぐるほしけれ」と記されていることだろう。 兼好は、何かに憑かれたように筆が止まらないと言っているのであるが、現代のブログには、こうした感覚は果たしてどの程度あるのだろうか。さらに付け加えておけば、彼は151段で「世俗の事に携はりて生涯を暮すは、下愚(かぐ)の人なり」と指摘している。なりたくはないが、私も「上知の人」ならぬ「下愚の人」なので、こんなふうにブログを始めたりもするのであろう。

 では、『枕草子』の場合はどうだろうか。清少納言は跋文で次のように書いている。「この草子、目に見え心に思ふことを、人やは見むとすると思ひて、つれづれなる里居のほどに書き集めたるを、あいなう、人のために便なき言ひ過ぐしもしつべきところどころもあれば、よう隠し置きたりと思ひしを、心よりほかにこそ漏り出でにけれ」。言い過ぎのところもあるので隠しておいたのだが、心ならずも世に知られてしまったと言っているわけである。

 現代のブログは、「よう隠し置きたりと思ひし」ものなどではなく、読んでもらいたい、読ませたいという思いが全開である。私の場合も同じである。彼女には、「すさまじきもの」、すなわち興ざめだとからかわれるに違いなかろう。読んでもらいたい、読ませたいとの思いはあっていいのだが、それが度を超せば「すさまじきもの」になってしまうのである。こうした逆転現象は世の中にはままあることである。年寄りであれば尚のこと自戒しておかねばなるまい。

 ところで、当初私は定年後には好きなことを、好きなときに、好きなだけできるようになるはずだと、勝手に思い込んでいた。そんなわけで、例えば文章を書くということについても、きっと同じようなものだろうと高を括っていたのである。しかしながら現実は三つの意味で違った。まずは単純なところから。好きなことを、好きなときに、好きなだけやっていたら、身体を壊しかねないことがわかったからである。飲みたい酒を、飲みたいときに、飲みたいだけ飲んでいたら、身体の具合がてきめんに悪くなるのと同じである。もしかすると、身体は、頭の中で勝手に膨らんでいく欲望を制御する装置なのかもしれない。

 次に気付いたことは、何の制約もなければ、書きたい時にだけ書けばいいわけだが、そうなると、書きたいと思えなければ書きたくなるまで待つことになり、その結果、書かないままに時は過ぎていくことがわかったからである。「締め切り」というものがないのだから、そうなりがちなのである。もしかしたら、こんなふうにして、当初は旺盛だったはずの書くことに対する意欲が、徐々に減退していくものなのかもしれない。いつの間にやら精力が減退していくのと同じなのだろう。思いもかけぬ落とし穴である。主体的な判断や自発的な意志にもとづいて書くと言えれば格好いいが、店主のような人間は、それだけでは文章を綴り続けることができないような気もしてきた。強くなくていいが、何らかの強制が必要なのである。今は、1週間から10日に一度ぐらいの頻度で、投稿してみようかと考えている。

 毎年作成予定の冊子には、シリーズ「裸木」と名付けたのであるが、何故そんな名称にしたのか。とりたてて深い意味はない。店主の私としては、花も実も葉も落ちて幹と枝だけにはなったものの、晩秋の澄み切った空に向かって、誰に煩わされることなく一人すっと立つ木を、自分自身の今の姿に見立てたかったのである。勿論ながら、そうありたいという願望に過ぎないのだが…。そうした意図からすれば、「はだかぎ」ではなく「らぼく」と読ませた方がぴったりのような気がする。偉そうに見られるのが嫌なあまり、人前では「『裸体』ではなくて『裸木』ですので、お間違いないように」などと口にすることがある。ついついふざけ過ぎるのが、店主のいつもの悪い癖である。こんなことを笑いながら語っていると、その手の下がかった話が好きな人物のように思われることもよくあるが、そうした感受性の鈍い人を私はもともと相手にするつもりはない。

 「裸木」といった言葉に惹かれるようになったのは、還暦を迎えてからである。2010年の年賀状に書いたことがあるのだが、たまたまある時、「晴耕雨読」(耕す田畑など何もないのだから、正しくは晴遊雨読とでも言うべきであろうが…)の合間に新聞の切り抜きを整理していたところ、昔好きだった作家畑山博の小さな文章を見つけた。若い頃は気負って「俺はもう枯れている」が口癖だったという彼は、高校中退後に旋盤工などの職を経て、1972年に「いつか汽笛を鳴らして」で芥川賞を受賞し、2001年に亡くなった。その彼が、丹沢に出かけた折に、群生している仲間の木々から少し離れて立つブナの枯れ木を見て、次のように書いている。

 去年の秋、20年ぶりに登った丹沢で、とてもいい枯れ木を見た。仲間の木々の群生しているところから少し離れて、一本だけ雑木林の中にいたブナの木。/紺碧の空。灰色の木肌。そして私はこう思った。/枯れ木は、そいつが本物なら、どこから生えているのか、異質なその姿からすぐに根元を見分けることができる。拠り立つ所が分かる。きっ先が天のどこを指しているかも、むだな葉や花がないのでよく分かる。そんな枯れ木になりたいものだ。(『朝日新聞』2000年8月18日夕刊)

 「偽物」とまでは卑下しないにしても、「本物」などとはほど遠い人間なので、とても畑山の言うような枯れ木になどなれそうにはない私だが、こんな文章を読むと、「枯れる」というのもなかなか味わい深い人生の営みなのかもしれないなどと思えてくる。そこには、「裸木」の持つもう一つの興味深いイメージが示されているのではなかろうか。似たような捉え方は、他の作家の書いたものからも読み取ることができる。結城信一の「冬木立の中で」には、以下のような文章がある。

 落葉したあとの無数の樹木は、先細りになりながら、空を抱きこみ、明るく賑やかに絡みあひ、睦まじげな長い会話を続けてゐる。葉を落としつくした気楽さが、いまは饒舌へとかりたててゐるかに見える。そこには、初冬の侘しい趣きは、少しも見られない。小鳥たちも、風通しのよくなった空間を、むしろ居心地のよい世界と心得て、暢びやかな飛翔を繰返す。

 自分もまた、定年を迎えてこれまでの仕事からすっかり足を洗った。だからこそ、「葉を落としつくした気楽さ」から「饒舌」へと向かっているに違いなかろう。傍迷惑も顧みずに、そしてまた恥ずかしげもなくはしゃぎ回っているのは、きっとその所為である。荷風の「断腸亭日乗」をもじるならば、「談笑亭日常」あるいは「艶笑亭日常」とでも言えようか(それを過ぎれば、きっと「徘徊亭日常」となるはずである)。

 もっとも、「饒舌」が「饒舌」のままに終わるはずもない。その後には、結城が言うような「暖かくうるんだ春の空や、強烈にぎらつく夏の空は、おそらくほかの誰かのものである」といった寂寞とした気分が、拡がって行くことになる。藤沢周平は「静かな木」で書いている。「福泉寺の欅も、この間吹いた強い西風であらかた葉を落としたとみえて、空にのび上がって見える幹も、こまかな枝もすがすがしい裸である。その木に残る夕映えがさしかけていた。遠い西空からとどくかすかな赤みをとどめて、欅は静かに立っていた」。

 そして小説の主人公は、「木の真実はすべての飾りをはらい捨てた姿で立っている、今の季節にある」といった「老年の感想」を捨てきれないのである。「あのような最期を迎えられればいい」と思っているからに違いない。虚飾を捨てた裸木は、「饒舌」の時期を経てゆっくりと静かな木へと向かっていくのであろう。これまでに刊行した冊子は以下の通りである。

 

シリーズ「裸木」の刊行物

創刊号 『記憶のかけらを抱いて』(2017年)

 第一部 論文集の「はしがき」から
 第二部 ゼミナール覚え書き
 第三部 懐かしい聲、遠ざかる跫音                                                                        

第2号 『「働くこと」の周縁から』(2018年)

 第一部 釧路調査覚え書き
 第二部 大阪調査覚え書き
 第三部 静岡調査覚え書き 

第3号 『カンナの咲く夏に』(2019年)

 第一部 定年前夜を迎えて
 第二部 遠ざかる跫音
 第三部 さまざまな旅の形

第4号 『見果てぬ夢から』(2020年)

 第一部 海外探訪私記
 第二部 東日本大震災私記
 第三部 最後の論文から

第5号 『逍遙の日々へ』(2021年)

 第一部 気儘な逍遙から
 第二部 自画像を描く
 第三部 晩夏の佐渡紀行    

第6号 『遠ざかる跫音』(2022年)

 第一部 「わが町」から
 第二部 店主の日録から
 第三部 遠ざかる跫音

第7号 『いつもの場所で』(2023年)

 第一部 巡る季節のなかで
 第二部 いつもの場所で
 第三部 「近代化遺産」を訪ねる旅へ

第8号 『空と雲と風と』(2024年)

 第一部 空と雲と風と
 第二部 時光を感じながら
 第三部 旅の空を彷徨って