鎌倉を巡って

 前回七沢温泉に宿泊した話を投稿しておいたが、今回は鎌倉である。春休みの最後の週に今度は小僧2人を連れて鎌倉に出掛けた。泊まりがけの小旅行が大分面白かったらしく、またまた行きたくなったようなのである。4月の初めに出掛けたのだが、鎌倉であれば我が家から大した時間もかからないので、通常ならわざわざ泊まりがけで行くようなところではない。

 だが、小僧たちにとっては、泊まりがけで出掛けるというのが何やら特別な感じをもたらすようで、泊まるとなるとやけに嬉しがる。そんなわけなので、ついついこちらの財布の紐も緩むことになる(笑)。こんな機会は滅多にないことなので、まあそれもよかろうと思ったりもした。小僧たちがもう少し大きくなれば、年寄りと泊まりがけで出かけようなどとは思わなくなるに違いない。そして、それがまあ当然の成り行きであろう。

 今回もまた七沢温泉に出掛けた時と同じような天候の具合であった。初日は曇りから小雨、そして翌日は晴れの予報である。私が小僧たちと鎌倉に行くと知った家人は、我々一行のために簡単な鎌倉巡りの計画を立ててくれた。二日目はこの計画に従って動くことにしたのだが、問題は初日である。

 天気が今一つなので、やむなく鎌倉駅の近辺を動き回ることにした。鶴岡八幡宮に加えて、小僧たちの要望があった小町通りでの買い物や大仏の拝観も入れておいた。そんなこんなで、初日は「通俗的な、あまりに通俗的な」鎌倉巡りとなった。何となく昔の修学旅行のような趣きである(笑)。そう言えば、アルバムには、大仏の前で撮ってもらった中学生の時の私の写真がある。あの頃はいったい何を考えていたのであろうか。

 「通」の人であれば、名もなき古刹を訪ねたり、通りから外れた静かで落ち着いた店で食事をしたりお茶を飲んだりするのであろう。それはそれで愉しそうだが、私は「通」ですといった雰囲気をどことなく醸し出しているのが、私にはちょっとばかり恥ずかしい(笑)。私のような俗人は俗のままででいいのであろう。

 センター南駅で二人と待ち合わせ、市営地下鉄で横浜まで行き、そこから横須賀線に乗った。平日だし天気も天気なので、車内は大分すいている。この日私は、下の小僧が三保市民の森に出掛けた際に見付けてくれた棒きれを、ステッキ代わりに持って出掛けた。鎌倉では大分歩きそうだったので、それがあれば楽なような気もしたからである。

 鎌倉駅からまずは鶴岡八幡宮に向かった。これまでにも鎌倉には何度か来ているが、ここに出向きあれこれと真面目に眺めたのは、多分今回が初めてである。時間はたっぷりあるので、ゆっくりと見て廻った。曇りだったり霧雨だったりしたので、人出は余りない。そのために、意外にも趣の感じられた八幡宮だった。源平池の鯉にエサをやったら、沢山の鯉が集まり押し合いへし合いして壮観だった。

 その後八幡宮を後にして小僧たちがお待ちかねの小町通りに向かった。小町通りではいろんな店を覗いて廻った。子供はこうした場所が大好きなのであろう。かく言う私も嫌いではない(笑)。母親や家人にお土産を買ったり、アイスクリームやダンゴ、カレーパンなどを立ち食いした。二人とも愉しそうである。立ち寄った店に昔の映画のパンフレットが並べられていたので、大好きな『ゴッドファーザー』3部作のパンフレットを3冊揃えて購入した。

 駅に戻った我々は、大仏に向かう途中で昼食を食べた。大通りに面しているというのに、なかなかおしゃれな店であった。霧雨の中の大仏も悪くはなかったが、こうしたところには何時までもいられるわけではない。こちらはその大きさに驚いているだけで、与謝野晶子のように「美男」に見とれるような高尚な心持ちには、なかなかなれないからである(笑)。

 しばらく拝観してから、次にその足で近くにある長谷寺に向かった。鎌倉有数の古刹だけあって、よく手入れされた立派なお寺である。山上からの海の眺めも素晴らしい。古道のような野趣溢れる道もあれこれあり、花を愛でることのできる草木も数多い。季節ごとに花々を愉しむことのできる寺なのであろう。

 本堂の隣にあった店には、原田寛さんの写真集である『鎌倉 長谷寺』(かまくら春秋社、2013年)が置いてあった。わざわざ購入したのは、昔彼の写真集を手に入れたことがあったからである。そのものズバリの『鎌倉』(求龍堂、2003年)と題した、大判のかなり立派な作品集である。彼の名を覚えていたのはその所為である。こんなところで彼の写真集に出会えて、少し嬉しかった。

 泊まったのはなかなかセンスの良いホテルで、小僧たちに似つかわしい所ではない。「猫に小判」あるいは「豚に真珠」といった諺をもじって言えば、「小僧にホテル」といったところか(笑)。料理は夕食も朝食もともに豪勢であったが、二人にとっては、そんなことよりも大きな風呂で思いっきり遊びたかったのかもしれない。自宅並みのバスでは満足しきれなかったはずである。それでも部屋では大いにはしゃいでいた。

 翌日はすっかり晴れ上がり、絶好の散策日和となった。江ノ電で鎌倉に出て、横須賀線に乗り換えて隣の駅の北鎌倉で降り、家人のメモに従って、歩き始めた。朝早いので人は少なく、何とも清々しい散策である。円覚寺、東慶寺、浄智寺と廻り、そこから裏道の古道を通って葛原岡神社に向かった。

 古道と言えば聞こえはいいが、だいぶ荒れ果てた山道で、途中目的地に辿り着けるかどうかちょっと不安になるほどの道なき道だった。小僧たちも「この道で大丈夫なの」などと言いながらも、だんだんと探検気分になるらしく、妙にはしゃいでいる。ようやくにして葛原岡神社に辿り着いた。

 次の目的地は銭洗弁財天である。円覚寺でも熱心に手を合わせる若い人がいたが、ここでは1万円札を一枚一枚水に浸して洗うまだ若い女性がいた。私のような不信心者には何とも不思議な光景である(笑)。地図にも載っている鰻屋で昼飯でも食べようかと思ったが、訪ねたその店は既になくなっており、別な店に変わっていた。やむなくそこで昼食をとったが、ヘルシーな料理のわりには旨かった。

 昼食後まだだいぶ遊ぶ時間があったので、下の小僧のリクエストに応えて再び江ノ電に乗り、由比ヶ浜で降りて海に出た。汗ばむほどの陽気だったから、海は何とも清々しかった。砂浜に続くのは、海の青と空の青である。ここまで来て、持ってきたステッキ替わりの棒きれをなくしたことに気が付いた。途中で寄った古本屋に置き忘れたのである。

 そうしたら、今度は上の小僧が手頃な竹の棒を見付けてくれた。そして、下の小僧は、握り易くなるように頭の部分となる曲がった木片を探してきてくれた。穴に差し込んでみたらやけにぴったり合ったので、そのことが何だかとても嬉しく、鎌倉で手に入れた宝物のようにも思えた。私も小僧のようなものである(笑)。

 そう言えば、朝に顔を出した浄智寺の山門に、「寶所在近」(ほうしょざいきん)と書かれた扁額が掛かっているのを見た。気になる4文字だったので、スマホにも収めておいた。宝の埋まっているような大事な場所は、何処か遠くにあるのではなく、近くにこそあるということなのだろう。まさにその通りである。

 「足許を掘れ、そこに泉あり」とはニーチェの言葉だそうだが、「寶所在近」はそれにも通ずるような名言である。これからも心に留めておきたくなるような言葉だった。小僧たちからもらった手製のステッキは、宝物ででもあるかのように、今も我が家の玄関に立て掛けてある。