七沢温泉にて

 上の娘から、小僧二人を何処かに連れて行ってくれないかと頼まれた。私はと言えば、「毎日が日曜日」と言えるほど閑ではないが、それなりに自由な時間はある。上の小僧は中学生になったので、こちらの方が塾だ部活だと結構忙しいらしい。そんなものだから、休みの日にどこかに遊びに出掛けたくなったのであろう。

 あれこれ考えて、七沢温泉に1泊する小旅行を考えた。まずは宮ヶ瀬ダムに向かい、その後七沢温泉の福元館に泊まり、翌日県立七沢森林公園で遊び、ついでに大山詣りもするというコースである。何となく目一杯詰め込んだ感じがしないでもない。私のお目当ては七沢温泉の福元館だったが、このコースであれば小僧たちも満足するのではないかと思われた。

 行くのなら土日しかないのだが、2月末から3月初めにかけて、平日は晴れが続くのに土日に天気が崩れるというおかしなパターンが繰り返されたため、計画は延び延びとなってようやく3月13日に出掛けることになった。この日も、日曜日は晴れるものの土曜日は小雨の予報だったが、もうこれ以上は延ばせないということで、出掛けることにした。

 最初は私と小僧2人の3人で行くつもりだったが、娘も同行することになった。仕事もなかなかたいへんな様子なので、きっと息抜きがしたくなったのであろう。まずは宮ヶ瀬ダムに向かったのだが、この辺りまで来ると横浜と同じ神奈川県内だとはとても思えないほどの山奥である。ダムの一部は清川村にかかっているとのことだが、この清川村は県内で唯一の村だというのだから、それも当然なのであろう。

 時々小雨がぱらついたし、しかもダムは県の施設だということで、コロナ禍のためにサービス施設はトイレのみ使用可で、あとは閉館中。1組ほど見学者がいたが直ぐに戻ったので、我々の他には誰もいない。田舎が過ぎるほどの閑散とした状況だった(笑)。宮ヶ瀬ダムはなかなか立派なダムで、上から覗くと吸い込まれそうで少し怖いぐらいである。誰もいないのだから尚更であった。

 ダムのサービス施設で昼食をとるつもりだったのだが、それができなくなったので、少し遅くなった昼飯を七沢温泉に向かう途中の道の駅でとった。空腹だったこともあってどれもこれも美味だった。田舎の食べ物は美味い。ここでは竹で作られた鷹の精巧なオブジェを買い込んだ。

 元々は高額なものだったようだが、いつまでも売れないためか大分安くなっていた。この鷹は実によく出来ており、現在は自分の部屋に浮かんでいる。こんなものを欲しがるのは、地上の俗世を離れて悠々と空を舞う鳥に、どこかで憧れているからなのであろうか。

 宿泊先の福元館は大分古びた旅館だった。トイレも部屋にはないのだが、小僧2人には古いが故の面白さもあるのだろう。鹿の剥製や大木の切り株なども置かれていた。宿泊客も少なかったので、露天風呂も貸し切り状態であった。風呂で泳いでも騒いでも誰にも文句は言われない(笑)。そこには雨の日用の編み笠まであった。名物の猪鍋とビールで七沢温泉の夜は更けた。

 翌日はすっかり晴れ上がり、昨日のぐずついた天気が嘘のようだった。まずは福元館のすぐ側にある離れに入れてもらい、弱冠29歳で息絶えた小林多喜二を偲んだ。彼は、あらん限りの拷問を受けて、逮捕されたその日のうちに虐殺された。1933年2月20日のことである。この離れに多喜二が逗留していたことが明らかにされたのは2000年になってからのようだから、つい最近の出来事なのである。

 ここには、虐殺の2年ほど前に書かれた色紙も飾られていた。その色紙には、「我々の藝術は飯を食えない人にとっての料理の本であってはならぬ」と記されていた。日頃ぼんやりと暮らしている私だが、何やら粛然とした気持にさせられた。彼はこの離れに一か月ほど滞在して、「オルグ」という作品を執筆している。この話の続きは次回に触れることにしたい。

 福元館には、蠣崎澄子という方が書かれた『七沢温泉と多喜二』(市民かわら版社、2016年)という冊子が置いてあったので、これも買い込み次の目的地である七沢森林公園に向かった。春の陽気に恵まれて気持ちのいい散策が続いた。山上から眺めた春霞のなかの田園風景も美しかった。広々とした公園なのでとても全部は歩けない。もう一度来たくなるような所だった。

 最後は大山である。ここには昨年の3月にも小僧たちを連れて来たことがある。その時は豪勢にも中川温泉に2泊した。遊びに出掛けようということで大山に向かったのだが、その日は寒さがぶり返したために、下社となる阿夫利神社に着いた時には春の雪がチラチラと舞っていた。そんなわけで、寒さに震え這々の体で下山した。

 今回は汗ばむような陽気となったので、あちこちをゆっくりと見物し、神社の側にあったカフェの屋外テラスで、相模の海を眺めながらのんびりとお茶を飲んだ。もっとも小僧たちにとっての関心事は、カフェでのお茶などよりも外でのソフトクリームであり、こま参道でのお土産探しであったわけだが…。

 あちこちの店を覗きながら、ああでもないこうでもないと何とも楽しそうである。そんな2人を眺めている娘も嬉しそうだったので、私も同じような気分になった。こんな機会は、これから先そうそうあるものではなかろう。「末期の眼」で3人を見ている自分がいるのを、どこかに感じた大山詣りだった。

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