仲春の加賀・越前・若狭紀行(一)-金沢まで-

 この間書きそびれていたことを、前回までにすべて吐き出したので、ようやく「仲春の加賀・越前・若狭紀行」と題した投稿に取りかかれることになった。ここまで来たので、何となく一安心である。3月24日から27日かけて、専修大学社会科学研究所が企画した調査旅行に出掛ける機会があったので、気儘な旅日記のようなものを綴ってみたいと思っている。

 当初は「陽春の北陸・若狭紀行」とするつもりだった。旅の終わり近くに京都まで来て、南禅寺の側にある琵琶湖疎水を廻ったのだが、その近辺の桜がちょうど満開の見頃だった。春光に煌めいてあまりに見事だったので、陽春としたくなったのである。しかしながら、旅の前半に廻った加賀・越前・若狭に限定すれば、曇りだったり小雨だったりしたので、とても陽春とは言い難かった。そこで春半ばを意味する仲春とすることにした。

 私の以前の勤め先である専修大学には、社会科学研究所が併設されており、この研究所は毎年春や夏にさまざまなテーマで実態調査を実施している。この間延期が続いた「北前船の足跡をたどるPart4加賀~福井~小浜~京都~大阪」と題した春季実態調査が、今回ようやくにして実施されることになった。

 もらったメールには「決行」すると書かれていたので、思わず苦笑してしまったのだが、主催する側はそのぐらいの決断だったのであろう。私はPart2にもPart3にも参加してきたので、今回のPart4にも喜んで参加することにした。最終地が大阪だというのが気にならなくもなかったが、現地ではすべてバスでの移動だし、集まっての飲み食いもないとのことなので、大丈夫だろうと判断した。

 諸般の事情でPart1には参加できなかったが、「北前船の足跡をたどる」と題した調査のテーマに興味や関心を抱いていたので、その後は続けて参加した。そこで今回のPart4である。これが先のテーマで企画された調査旅行の最終回となるとのことだったので、是非とも参加したいと思っていた。旅情を味わいたい私のような人間からすると、船だから足跡よりも航跡の方が感じが出るような気もしないではなかったが…。

 当日は、夕方6時に金沢の宿泊先であるホテルのロビーで、参加者一同が顔を合わせることになっていた。早めに出掛けて金沢見物するのも一興かと思ったりもしたが、あれこれ考えて遅い便に乗車することにした。今回は出来るだけ手軽な旅装で、あまり時間に追われることなくふらりと旅に出掛けてみたかったからである。年寄りの身の丈に合った旅にする、そんなことを一人で勝手に思い描いていた。

 出掛ける直前までは、小さなボストンバッグにショルダーバッグという出で立ちで出掛けようと思っていたが、間際になって更にシンプルにしたくなり、A4サイズの文書が入るショルダーバッグ一つで出掛けることにした。もともと荷物の少ない旅が好きなのだが、年寄りになってからはその性向が更に強まっている。一寸意地になって身の丈に合わせようとしているところが、無きにしも非ずである(笑)。

 下着や靴下は毎日ホテルで洗い、雨傘は超軽量のものにし、デジカメは持たずにスマホで代用し、上に羽織るものは着た切り雀で過ごすことにすれば(もともとお洒落とは縁遠い人間なので-笑)、ショルダーバッグ一つで十分である。実にシンプルな旅装となったので、我ながら満足した。

 問題なのは、旅先で手に入れた資料をどうするかということだけなのだが、その日のうちにざっと目を通し、いらないものを処分していけば何とかなりそうである。スマホで撮って残しておくこともできる。出掛けるたびに思うことだが、大事なものはそれほど多くはない。Go To トラベルをもじって言えば、断捨離トラベルとでもなろうか(笑)。

 山手線で東京駅に向かう途中に、「高輪ゲートウェイ」と称する駅が目にとまった。そう言えば、そんな名前の新駅が出来たことがニュースになっていたが、「浮世離れ」した暮らしなのですっかり忘れていた。このところ山手線にもまったくと言っていいほど乗っていない。そもそも東京に用がなくなったのである(笑)。もしかしたら自分にもそれほど用はなくなり、「無用の人」になりつつあるのかもしれない。

 北陸新幹線が動き始めたら、日常生活から離れて徐々に旅の気分となり、ビールを飲みながら車窓からの景色を愉しんだ。高崎に近付いた辺りから、春霞の中に山が現れ始めた。俳句の季語で言うところの「山笑う」である。遠出して笑う山を見ていると、心が和らいで何とも愉しい。

 因みに、山を擬人化して表現すると、夏の山を「山滴(したた)る」、秋の山を「山装う」、冬の山を「山眠る」と言うようであるが、一番面白いのはやはり「山笑う」であろう。笑える。遠くに見える山は笑っているだけだが、近くの林の木々には春の光がそそがれているのがわかる。長野に入ると、山々には残雪が見え始めた。季節はまだ3月なのである。

 出掛けた頃は、緊急事態宣言は解除されたとは言え依然としてコロナ騒動の渦中にあったので、金沢での夕食は各自が自分の部屋でとることになった。隣にあるデパートの地下にでも行けば、美味しい弁当が手に入りそうだったので(私の住む街のデパートにも高価な弁当がたくさん並んでいる)、それでもいいかとも思ったが、折角金沢まで来たのだから外に飲みに出掛けたくなった。

 一人でふらりと外に飲みに出てみる、そんなことも今回はやってみたかった。たまたま同行の柴田さんもそんな気分だったようで、二人で外に出た。我々が宿泊するホテルもそうだが、駅前から続く大通りには何やらファッショナブルな店が並ぶ。だが、一寸横丁に足を踏み入れてみれば、落ち着いた雰囲気の飲み屋が点在していた。そのうちの一軒に入って、久方ぶりに知り合いとのんびり話を交わした。

 柴田さんとは研究分野が重なっていたり、問題関心が似通っていることもあって、昔からの知り合いである。こちらが年下なので、甘えさせてもらっているのである。このところ外での飲み会にはすっかりご無沙汰しているので、金沢くんだりまで来て知り合いとゆっくり飲めるのは心愉しい。彼の話では80歳になったとのことだったが、時々論文も書いておられるとのことなので、とてもそんな年齢には見えない。

 ホテルに戻ってロビーで寛いでいたら、そこでは日本酒がただで飲めるサービスが提供されていた。そのため二人でまたしばらく飲んだ。ただの酒ほど美味いものはない(笑)。長らく続いた自粛生活にいささか飽き始めていたので、不真面目な私などは、調査旅行に付随したこうした機会が愉しみだったのである。柴田さんはそんなことはなかったであろうが…。

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