ある集まりに顔を出して

 昨年11月27日に、東神奈川駅の側にある神商蓮(神奈川県商工団体連合会)会館で開かれたある集まりに参加してきた。その集まりとは、「神奈川県レッドパージ反対同盟」の総会であり、総会後の記念講演である。私はこの団体の会員ではなかったから、お目当ては「いまレッドパージが伝えるべき事」と題した講演の方であった。講演されたのは、映画監督の鶴見昌彦さんという方である。

 この鶴見さんは、しばらく前に、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の創立50周年記念映画となる『種まく人びと』を撮っておられる。私は証言集であるこのDVDを視聴したが、そこには、「この映画は、戦前の暗黒政治のもとで、命がけで侵略戦争に反対し、主権在民、平和と民主主義を主張したために弾圧され、今日の日本国憲法の礎を築いた治安維持法犠牲者のたたかいと、その志を引き継いだ人びとの不屈の記録です」とあった。

 まだ若い映画監督である鶴見さんが、過去の歴史と向き合ってこうした映画を撮ったということにも驚いたが、その彼が今度はレッドパージ反対全国連絡センターの支援を受けて、ドキュメンタリー映画『レッド・パージ(仮題)』を撮るのだという。いま気付いたのだが、レッドパージはもともとは和製英語のようなので、「レッド・パージ」の表記方がいいのかもしれないが、私の文章では「レッドパージ」に統一しておく。

 鶴見さんの講演を聴いていて思ったことは、治安維持法やレッドパージによる弾圧をなきものとするために、そこで生み出された犠牲の数々を無視し、隠蔽し、沈黙し続ける社会が、「市民的不服従」ではなく「市民的服従」や「自発的隷従」を広げ、新しい全体主義を呼び寄せつつあるのではないかといった危機感である。

 今時の若い人々には、レッドパージなどと言ってもピンとこない人も多いのかもしれないが、では「赤狩り」だったらどうだろう。ハリウッドの「赤狩り」に抗して闘った脚本家のダルトン・トランボについては、「ハリウッドに最も嫌われた男」との副題が付いた映画『トランボ』(2015年)として公開されたし、その前には、同じハリウッドの「赤狩り」をテーマに、ロバート・デ・ニーロ主演で『真実の瞬間(とき)』(1991年)も製作されている。これらの映画であれば観た方もおられるのではなかろうか。

 当日、会場で受け取ったチラシには、次のようなことが書いてあった。「レッド・パージとは、1949年から51年にかけてアメリカ占領軍の示唆の下で、日本政府と企業が加担して強行された、日本共産党員とその支持者や労働組合活動家に対する不当な解雇のこと。推定4万人以上が『アカ』『企業の破壊者』などの烙印を押されて職場を追われた」とある。明神勲の『戦後史の汚点 レッド・パージ』(大月書店、2013年)によれば、被追放者の数は未だ確定しておらず、下限で27,000名、上限で4万名とされている。

 さらにチラシは続ける。こうした大規模な追放は、「日本の降伏条件を定めたボツダム宣言に違反し、日本国憲法を踏みにじる無法な弾圧であり、レッド・パージによって、高揚していた労働運動や民主化の運動は大打撃を受け、レッド・パージの被害者とその家族は計り知れない損害を被り、自ら命を絶った人も少なくなかった。政府と企業はいまだにその責任を認めず被害の救済はおろか謝罪すら行っていない。被害者とその支援者は、各地で名誉回復と国家賠償を求めて、真相究明と問題の解決を訴え続けている」のだと。

 被追放者が、再就職の門戸をも閉ざされたことは言うまでもない。当時の労働組合運動の主流は反共的な姿勢を強めていたために、その支援も受けられず、直接的な攻撃に曝された共産党も深刻な分裂状態にあって、効果的な闘争を組織することが出来なかった。

 レッドパージにあった人々は、言ってみれば誰の支援も受けることなく裸のままで荒れ野に放り出されたのである。襲いかかる生活の困窮は、彼ら彼女らとその家族の人生を大きく暗転させていったが、そこに生じた苦悩、焦燥、絶望はいかばかりであったろうか。

 また当日配られた他のチラシには、「日本弁護士連合会は(日弁連)は、2度の勤告(2008年と2010年)で、レッド・パージは、『憲法や世界人権宣言が保障する思想・良心の自由、法の下の平等、結社の自由を侵害するものである』と断じ、被害者の名誉回復を『平和条約発効後、容易に行うことが山来たのに、放置したことの責任は重い』と指摘し、申立者のみならず全ての被害者の名嘗回復や補償を含む救済措置をとるよう政府、最高裁に勧告しています」とあった。

 先の明神は、戦後占領軍によって行われた二つの追放に関して、次のようにも指摘している。「ポツダム宣言において『永久ニ除去セラレザルベカラズ』と宣告されたはずの軍国主義者・超国家主義者の追放はわずか数年にして解除され、被追放者たちは政界、経済界、官界をはじめあらゆる所で復権を果たした。これに対して、レッド・パージにより『企業破壊者』『社会の危険分子』」などのレッテルと『前科者』としての汚名を背負わせられた数万人の犠牲者の追放は、未だに『解除』されていない」のだと。

 現在のような日本社会のありようは、こうした二つの追放のきわめて対照的な帰趨に淵源を持っているようにも見える。例えば、日本現代史の歴史家として著名な保阪正康は、今般の日本学術会議の任命拒否問題に関して、こうした人事介入はレッド・パージの再来であり、菅政権は「異端狩り」を始めているのだと警鐘を鳴らしている(『サンデー毎日』2020年10月25日号)。

 任命拒否の理由を示さないということは「問答無用」と同義であり、その意味ではまさにパージなのである。「たたき上げ」の宰相は、例え説明能力が不足していても、例え原稿を読み上げるだけでも、あるいはまた言葉を発しなくても、良心の呵責の欠片もなく権力を行使するのである。保阪によれば、「今論じなければならなのは、『権力者』が公然とパージを始めたという一事」なのであって、われわれもまた、事の本質である現代のパージから目をそらしてはならないのではあるまいか。

 レッドパージ問題の解決を急ぐべきであるとの主張に共鳴した私は、しばらく前に、求めに応じて賛同署名に名を連ねた。賛同者になることが何かの役に立つようであれば、嬉しいと思うからである。肩書は、あまり目立たぬように「敬徳書院店主」としておいたが、逆にそれが目立っているようにも感じられた(笑)。また、少額だがカンパにも応じた。

 だから、こうした問題にもともと関心はあるのだが、それだけであれば今回のような集まりに顔を出すことはなかったであろう。私のような出不精の人間が出掛けるからには、何らかの切っ掛けが必要である。次回は、その切っ掛けを作ってくれた3人の人物について触れてみたい。