「ものを読む」ということ(二)
伊藤正直さんの『戦後文学のみた〈高度成長〉』を恵贈いただいたのと相前後して、今度はかながわ総研の事務局長をされておられる石井洋二さんから、『和の会俳句集 第百回記念誌』が送られてきた。表表紙も裏表紙も、そしてまた文中の挿絵も美しく、手元に置いておきたくなるような句集である。
送られてこない時は誰からも何の音沙汰もないのだが、送られてくるとなると立て続けに送られてくる。何だか不思議である(笑)。しかし、こうしたことは人生によくあることなのかもしれない。句集などは急いで読むようなものではないので、味わいながらのんびりと読んでみた。
このブログでも、石井さんのことについて触れたことがある。夏に作成したシリーズ「裸木」第4号の『見果てぬ夢から』のはしがきでも、彼の俳句について一言触れている。彼とはごくたまにメールで遣り取りするだけなのだが、そこに添えられた俳句がなかなか味わい深いからである。何時も感心して読ませてもらっている。
石井さんがかながわ総研の事務局長になられてから、何度かお目にかかる機会があったが、その時は挨拶程度の言葉を交わしただけだった。彼から俳句の話を聞いたのは、思いもかけぬ場所である。横浜では、カジノについてずっと「白紙」と言い続けてきた林市長が、昨年の夏に突如誘致を表明し、市民を驚かせるとともに憤慨させた。カジノ誘致の是非を選挙で問わないのだから、そうであれば住民投票で問うべきだという、至極もっともな主張が大きなうねりとなって広がってきた。そして、昨年の10月には関内ホールで決起集会が開かれた。
そこに私は顔を出したのであるが、その場でばったり石井さんと顔を合わせた。折角の機会だったので、隣に座り話を交わした。こんな時、親しい友人であれば話は滑らかに流れていくのだが、そこまで親しいわけではないので、二人の共通の話題となりそうな俳句の話をした。私は俳句に少しばかり興味や関心はあるものの、句作をしているわけではない。たんなる一鑑賞者に過ぎない。だから、実作者である彼の話を聞いてみたかったのである。
そこでの話から、彼が東横線の妙蓮寺で毎月開かれているある句会に参加していること、その主催者が『俳句とエロス』(講談社現代新書、2005年)の著者である復本一郎さんであること、などを知った。復本さんには他にも数多くの著作があるようだが、私が読んだのは『俳句とエロス』だけである。昔から思ってきたことだが、自分はどうも「性的人間」のような気がしている。一般的に性に関心が強いことを言いたいのではない。どこかに、性を通じて人間を凝視しようとしている自分を感じるからである。
世の中では、俳句は花鳥風月や人生観照の一瞬を詠んだもののように思われているはずだが、生身の男女のエロス的な行為、あるいはそうした行為を暗示させる状況を句作の対象にしてもおかしくはない。復本さんの本を読んで、そうした句がこれまでにもたくさん作られていることを知って、何だか嬉しかった。もっとも、意外性にのみ走れば際物に堕すことも多いので、エロスを扱っただけで評価するわけにはいかないのだが…。
まあそんなことはともかく、先のようなタイトルの本であれば私は必ず買う。それどころか珍しく精読した(笑)。そんな復本さんが主催者の句会なら、是非とも顔を出させてもらいたいと思い、石井さんから推薦してもらえないかと頼んでみた。しかし残念ながら、句会を開催している場所の関係で会員はもう増やせないとのことだった。
そんないきさつがあっての『和の会俳句集 第百回記念誌』の恵贈であったから、興味深く読ませてもらった。復本さんはこの句集に序文を寄せてるが、それによると、句会は、石堂さんという方が妙蓮寺で営んでいる書店の二階で開かれており、この石堂さんは復本さんとは昔なじみの方だという。愉しそうな様子が伝わってくる句集だった。
石井さんは編集後記で次のように書いている。「自分の句が、一顧だにされなかったときの口惜しさ、採られたときの満足感、合評会での忌憚のない意見のぶつかり合いが渦巻く句会は、実に充実したひと時だった。場所を変えての反省会で聞く先生のお話も滋味溢れるものであった」と。
会員の句の下には短いエッセーが添えられており、そこにもそれぞれの人生が垣間見られた。会員の方々の句もいずれも味わい深く、百回記念と言うだけあって大分年季が入っていることがよく分かった。私のような素人が、遊び半分で顔を出せるようなところではない。
石井さんは「俳句と落語」と題して小文を書かれている。俳句にも落語にも造詣が深いことを窺わせるような文章である。川添紀子さんの「小さき人」もよかったが、面白かったのは、仲村初穂さんの「句集に望む」と題した一文である。こんなふうに書かれている。
句集。珍しい本だと思います。小説のように「先が気になり読むのをやめられなく」はなりません。有名俳人の句集でも、半分も読むと飽きてきて「まだ半分も残っているのか」とうんざりします。そうなると、句集は「読者のため」ではなく「作者のため」にあることになります。それでは俳句は、一人遊びのゲームに過ぎません。
でも、本であるからには、読者に苦痛を強いてはならないのです。私は、夢中でぐいぐい読まされたい。そのために句集に必要な物、それは、ストーリー性です。思いを叙情的かつ率直に述べてよいとされる短歌や、時に冗漫になりがちな詩や小説ではなく、俳句がストーリー性を持ったなら、句集は、生き様も美しさも哀れさも、うんと凝縮されたエッセンスだけでできた贅沢な文芸本となるはずです。そんな句集を私は読みたい!
なるほどなあと思い感心して読んだ。座を囲んでの句会は愉しいのであろうが、句集として纏めてみると、それは「読者のため」ではなく「作者のため」になってしまっている、その思われざる結果を指摘しているのである。では『和の会俳句集』はどうであろうか。序文や挨拶文、編集後記もあり、句作者の短いエッセーも付いているので、一読者としての私は、ある程度の「ストーリー性」を感じつつ読むことが出来た。句が並んでいるだけだったら、私も仲村さんと同じような感想を抱いたかもしれない。
送られてきたこの句集には、石井さんの次のような手紙も同封されていた。それを読んで、彼が「暮雪」と号していることを初めて知った。暮雪とは、夕方に降る雪や夕暮れの雪景色のことだが、こんな静かで落ち着きのある号を名乗るところも石井さんらしい。
清涼の秋気が身に入む頃となりましたがお変わりございませんか。ご無沙汰ばかりしておりますが、当方もコロナにも罹らず、何とか日々を過ごしております。さて、2012年7月から地域で俳句のサークルが発足し、月一回の句会に参加を始めました。宗匠は神奈川大学名誉教授の国文学者復本一郎先生です。この10月で百回をむかえることになり、記念誌を会で作成しました。駄句のオンパレードではありますが、秋の夜長にお目通しいただければ幸いです。なお、会員の大山奈々子さんは小生の後輩で、早大教育学部卒で現在神奈川県会議員二期めを努めております。寒暖の差が激しい時節柄、くれぐれもご自愛下さい。
手紙を読んで気になったのは、「駄句のオンパレード」という表現である。石井さんは謙遜してそう言われているのだろう。すべてが秀句だなどと世辞を言うつもりもないが、私が気になったのはそこではない。「駄句」という言葉のほうである。辞書には「駄句」は収録されているが、あとの短歌や詩や小説については、駄作や愚作や凡作と言った言葉しか思い浮かばない。拙吟などといった言葉もあるようだが、これは短歌についてのみ言うのかどうかよく分からない。
俳句についてのみ「駄句」とあるのは、誰にでも親しみやすい短詩の形式なので、俳句人口がたいへん多く、その分「駄句」もまた多くなるからなのかもしれない。しっかりとした鑑賞者になる前に実作者になることはできないはずだが、多くの人はすぐに実作者になろうとする。そうしたところには「駄句」が生まれ易いのであろう。誰にでも親しみやすいというところに、落とし穴はあるのかもしれない。そこに気付いている方の句にはいい句が多いような気がする。これは私の勝手な推測なので、あたっているかどうかは知らない。
石井さんの句でいいなあと思ったのは、次の四句。
白魚の歯に透き通るかたさかな
花散るやただそれだけのことなれど
この国の崩れてゆくか蟻地獄
枯れ芒東横線の高架跡
素人のくせに何とも僭越至極な振る舞いである(笑)。図々しいにもほどがあると言うべきか。石井さんどうかお許しあれ。近々東横線の綱島に出掛ける用事があるので、その際妙蓮寺にまで足を延ばし、石堂書店にも顔を出して見たいと思っている。
(追 記)
11月12日の午後に、家人とともに妙蓮寺駅に降り立ってみた。駅前の小さな商店街にある「石堂書店」は、すぐに見付かった。昭和の匂いの残る本屋だった。50年近く前に、事情があって家人は妙蓮寺のNさん宅に下宿していたが、そこにも辿り着くことができた。
探しあぐねていた時に、通りすがりの若い女性に道を尋ねたのだが、その彼女がわざわざ戻って近くまで案内してくれたからである。そんな優しい振る舞いに心が和んだ。駅の側にある妙蓮寺にも顔を出してみた。若い頃はすぐ近くにあるこの寺に一度も来たことが無かったが、それも追われるようにして生きていた故なのであろう。