「ものを書く」ということ(一)

 近頃は本もあまり買わなくなったし、雑誌も新聞も斜め読み程度でたいして熱心には読んでいない。半沢直樹だけはついつい引き込まれて観たものの、テレビからもラジオからもネットのニュースからもすっかり遠ざかっている。何とも世間離れした暮らしではある(笑)。そんな暮らしをしていては、世の中にもの申すことなどできはしないし、またもの申したい人は他に大勢いるのだから、まあだいたいは静かにしている。せいぜいのところ、地元でカジノ誘致に反対する運動に顔を出す程度である。

 散々市民に対して「むちゃぶり」の「おもてなし」をしてきた横浜の林市長が、最近「むちゃぶり」はできないなどと宣うたそうである。あまりにブラックジョークが過ぎて、笑うに笑えない(笑)。それにしても、バブル崩壊後「失われた10年」が20年になり30年になって、カジノの誘致を国家プロジェクトだ成長戦略だなどと言わなければならないほど、わが日本は「どん詰まり」のところにまできたということなのであろうか。

 そう言えば、原発の輸出もひところ成長戦略の柱の一つとして持ち上げられていたが、とうとう完全に破綻したようだ。世界の動向を見損なっていたのだから、当然の結果と言うべきなのではあろうが…。ではカジノはどうだろうか。儲かりさえすれば何でもありだという政治思想もあまりに貧しいが、肝腎の儲かることさえどうも危うくなってきているらしい。コロナの時代に3密の典型のようなカジノ誘致もなかろう。

 こんな状況を見ていると、何だか「貧すれば鈍する」を地で行っているような気がしてならない。この諺は、貧乏すると世俗的な苦労が多いので、才知がにぶったり品性が落ちたりするといった意味なのだが、上から下までそんな気配が濃厚である。人生の「どん詰まり」が近付いた私のような年寄りもまた、「貧すれば鈍する」ことにもなりかねないので注意が必要なわけだが…(笑)。「キレる老人」などその典型だろう。

 ついでに書けば、今般の日本学術会議の人事への介入などもその類ではなかろうか。拒否の理由を説明できないようなことをしでかすのは、「総合的・俯瞰的」に論評するならば(笑)、あまりにも「鈍」過ぎてみっともないと言うしかなかろう。わが日本が「どん詰まり」の状況にあることを物語って余りある。他にやることは無いのであろうか。

 こんな状況の時には、自分が「鈍」していることさえ忘れて、「ニッポン頑張れ」、「ニッポン凄いぞ」といった勇ましい掛け声がわんさか出てくる。うんざりである。「貧すれば鈍する」ような日本を批判でもしようものなら、「反日」のレッテルを貼られるようなことにもなる。「反日」などといったあまりに単純な物言いによって、自分が「正義」と「愛国」の人にでもなったかのように思うことこそが、例えようもないほど「鈍」の極みであるのだが…。ことほど左様に、汝自身を知ることが一番難しいのである(笑)。

 そんなことを考えながら積んであった手元の新聞を斜め読みしていたら、「鈍」を拒絶したじつに読み応えのある文章を目にした。斜め読みではあっても、たまには興味のある記事を見付けることもある(笑)。書いたのは翻訳家の池田香代子さん。私は、ナチスドイツの強制収容所の体験記録として世界中に知られた、フランクルの『夜と霧』の新版の訳者として知っているだけだったが…。

 記事のタイトルは「歴史と真摯に向き合う政府を」となっているが、中身は「明治産業革命遺産資料館」の訪問記である。彼女は全国革新懇代表世話人の一人を務めているようで、記事は『全国革新懇ニュース』の423号(2020年10月号)に掲載されている。以下にその記事の全文を紹介するが、当初、他人の文章を自分のブログにここまで長々と使わせてもらっていいものかどうか迷った。

 できたらそのエッセンスだけを引用しようとしたのだが、記事を読むと文章に隙や無駄がまったくと言っていいほど無いので、何処もカットしにくい。スカスカの雑文しか書けない私だが、できたらこんな文章を自分も書きたいと思ったのである。そんなわけで、敬意を払ってあえて全文を紹介させていただくことにした。  

 表通りから路地に入って道なりに曲がった先、長い万年塀の端に入口はあった。プレートには「総務省統計局」。入り口からの殺風景な空間の先にその建物はあった。すぐ前まで来てようやく、「産業遺産情報センター」の標識が確認できた。ここまでの道のりはわかりにくい上、歴史と向き合う心構えを促すしつらえは何もない。

 入るなり、住所氏名電話番号を書かされた。こんな施設がほかにもあるのだろうか。 赤いブレザーの年配の男女が待ち構えていた。ボランティアガイドだと言う。 ひとりで先に行こうとすると、警備員に制止された。自由な見学は許されないのだ。

 展示室に入ってすぐのところに、佐藤地(くに)ユネスコ大使 (2015~17在任) の言葉が掲げてある。明治産業革命遺産群を世界遺産に登録するにあたり、「いくつかのサイトにおいて1940年代に、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと、また、第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる」、「犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む」。そう、ここは戦争末期に強制徴用強制労働があったことを明示せよという、韓国の要請に沿ってイコモス (国際記念物遺跡会議)が提示した登録条件に応えるための施設なのだ。

 第一第二ゾーンは、幕末からの産業化の動きを紹介する。反射炉や港、藩主や士族の写真が並び、技術史上の興味深い知見が散見されるものの、全体を有機的に関連づけるダイナミズムは感じられない。

 第三ゾーンでは、端島(軍艦島) の元住民たちがガイドを引き継ぐ。証言者たちの巨大な写真パネルが壁の一つを占め、証言ビデオやデータベースを見るブースがいくつかと、若干の展示パネルからなるこの広めのゾーンで、日韓の市民や研究者が意見を交え、理解を深める催しが開けるかと問えば、答えは否だ。端島の元住民に一任されたという展示はどれもこれも、朝鮮人差別はなかった、と訴えているのだから。佐藤ユネスコ大使の言葉が再び掲示され、しかしここではそれを否定する文言が続く。ガイドは、「日本政府が弱腰なんだ!」と語気を強めた。

 長崎造船所で働いていた台湾人徴用工の給与明細表は、端島の徴用工がただ働き同然ではなかったことの証拠ではないし、端島のいい思い出を語る唯一の在日二世の証言者の父は、1920年代から端島で働いた熟練坑夫だ。韓国が問題視しているのは、戦争末期の徴用と未経験者の強制労働なのだから、この一例に端島の朝鮮人の境遇を語らせるのはおかしい。

 もちろん、故郷に差別や人々の苦しみが刻まれているなど、愉快な話ではない。そして、韓国の証言者の主張をすべて認めよと言うつもりは、私にもないが、これでは韓国の主張にたいする反論のための展示と見られても仕方がない。さらに言えば、ここで取り上げるべき強制労働は端島だけ朝鮮人だけに関することではなかったはずなのに、展示は端島の朝鮮人関係に限られる。

 収蔵書籍はまだ少なく、しかも玉石混交だ。たとえば「月刊Hanada」を専門家が選ぶだろうか。展示全体に、ものごとを多角的に捉えた先にテーマを浮き上がらせるという学芸員的な見識が感じられず、ひとつの主張を押し出すことに力点が置かれている。歴史の犠牲者の尊厳を回復する場、市民の学習の場、国際的な学術交流の場として機能するとは、とても思えない。これを最新の研究成果を反映した、本来の目的にふさわしいものにするには、市民が異議を唱え、誠実な政治家に動いてもらうしかない。政権交代の四文字が頭をよぎったが、まずは国会で議論してほしいと切に願いながら、施設を後にした。

 以上が引用させていただいた文章である。私に言わせれば、「貧すれば鈍する」とはまさにこうした政府の対応を指すのである。そしてまた「鈍」を拒絶した文章とは、池田さんが書かれたようなものを指すのである。きちんと自分の目で事実を確かめたうえで書かれているので、静かだが胸に食い入る文章である。「内」ではこうした「鈍」なことをやりながら、「外」に向けては少女像の設置などにいちゃもんを付けてみても、世界に通用するわけがなかろう。

 ブログに雑文を綴っているだけの「どん詰まり」の私ではあるが、この記事から大いに刺激を受けた。先日、大学時代の友人二人と都内で会食する機会があった。そこで驚いたことは、二人とも世の中の動きに実に旺盛な関心を示し続けていたことである。もしかしたら、二人から受けた刺激なども今回の投稿に影響しているのかもしれない。