「わが町」から(上)
先月末に思い切って電動自転車を購入した。これまで乗っていた自転車も大分がたがきていたし、乗り手のこちらも年を取ってきたので、スーパーに食材を買いに出かけるだけなのに、ちょっとした坂道を上るのが何とも億劫になってきたからである。普通の自転車に乗っている方が足腰の衰えは防げそうだが、負担が過ぎるとかえって危ないような気もしてきた。そこで、この際と思って切り替えたのである。
電動自転車は思いの外高額であった。普段の暮らしは贅沢とは縁遠いので、このぐらいの贅沢ならいいかと考えることにした。乗ってみるとそのアシスト力はなかなかのもので、ちょっとした上り坂でもまったく苦にならない。じつに軽やかな動きなので、何処にでも行けそうな気がしてきた。これまでであれば、クルマなしには出掛けたことのないような場所にも、これを機に自転車で出掛けてみた。まったく苦にならなかったので、自転車での行動範囲が大分広がった。
クルマで移動していたときには気付かなかったような新たな発見もあった。クルマの場合だと、ほとんどの移動は目的地に向かうための行為であり、その目的地にこそ用件はある。だが、自転車の場合はかなり違う。当然ながら目的地はあるのだが、途中で気になる景色に出会えば、いつでも自転車を止めて眺めたりカメラを向けることが出来る。寺社や公園ががあれば気儘に立ち寄って散策しても構わないし、面白そうな店が目に留まればふらっと入ってみることもできる。そんなことが自由自在なのである。移動がたんなる移動では終わらないと言えばいいのだろうか。
クルマであれば勝手に路上には止められないし、もちろん細い道にも入れない。しかしながら、自転車であれば駐車場の心配がいらないので、何処にでも止めることが出来る。目的地までの間の途中下車がどこでも可能だというのが、なんとも素晴らしい。クルマでは、目的地も定めずにふらっと出掛けることはまずないが、自転車であれば、そんな気分で出掛けることも可能なのである。自分が時間と空間を支配しているかのような感覚が何とも心地よい。
私などは、「金はないが時間はある」身なので、行動範囲が広がっただけで嬉しい。この間近隣のあちこちに出掛けてみたのだが、そんなふうにして、ブログの材料などを探しに出てみるのも悪くはなかろう。見付かるのかどうかまったく自信は無いのだが(笑)。出掛けてみると、公園はあり、川はあり、小山はあり、花を販売しているホームセンターはあり、レストランはあり、農協の直売所はありで、私の住まいの周辺は予想外に多彩である。
最近必要があって、都筑区の歴史と現状を調べてちょっとした文章を書く機会があった。その内容については次回以降紹介するつもりだが、その時気になったのは、何故自分が暮らしている地元を「わが町」とは呼びにくいのかということであった。私はと言えば、結婚して横浜市の綱島にあった木賃アパート住み始め、その後中山にの団地に転居し、そしてさらに港北ニュータウンにできた現在の団地に移ってきた。いずれの場所も横浜市内である。
そして、現在の住まいにはすでに30年以上もいるわけだが、神奈川県民とか横浜市民とか都筑区民といった意識が薄く、いつまで経っても「わが町」と呼びたくなるような感覚が生まれてこない。田舎の福島や綱島や中山に住み続けていたならばもしかしたら違ったのかもしれないが、現在のような団地住まいでは、そんな感覚などもともと生まれようもないのだろう。そこに住む人々は皆最初から「異邦人」のような存在だからである。「立ち入り禁止」の看板と監視カメラの存在が、そのことを象徴しているかのようである。お互いに何を生業としているのかもよく知らないのだから、何を考えているのかなど知りようがない。
話は変わるが、フランスの小説家にシャルル=ルイ・フィリップという人がいる。私は、昔同僚だったMさんに教えてもらって、『小さな町で』(みすず書房、2003年)を読んだだけなので、彼についてあれこれ語るつもりはない。山田稔訳のこの本は、若くして亡くなったフィリップの死後1910年に出版された。よく練られた訳だし、たかだか10ページほどの話が33編も並んでいるような本なので、昼食後に寝転がって読むのにちょうどいいのである。いつのまにか睡魔に誘われるからである(笑)。
読んでみると、町の中のドタバタやてんやわんや、悲喜劇、滑稽譚などがゆったりとした筆致で描かれており、何とも心地よく懐かしい感じがする。現在ではとうに無くなった庶民の世界が、そこに浮かび上がってくるからであろう。まさに「小」説そのものである。件のMさんは、木山捷平や小沼丹の熱烈なファンだったから、その繋がりで私にフィリップを紹介してくれたのである。
訳者の解説を読むと、フィリップ自身は「素朴で、清純で、やさしい」だけの存在ではなかったようであるが、「貧困、不幸な恋、病気、老年、死─こうした暗い題材を扱いながらも」、「どこかにとぼけたようなおかしみ、人生そのものの諧謔をしのびこませ」ており、そこには「エスプリというか奇妙なやさしさ」があると記されていた。私のような人間には、そんなところが何とも心地よいのである。「人生を低い視点から、狭く限って鋭く眺め」るという姿勢にも共感するところ大である。彼のように描くことの出来る小さな「わが町」が近くにあったなら嬉しいのだが、それは無い物ねだりというものであろう。
昔は町にさまざまな人がいた。田舎の福島にも、綱島にも、中山にもいて、今から考えると不思議な光景もあれこれと目にしてきた。中山の駅前には、知的な障害を持った小柄なおじさんがいて、駅前にあったバスの車庫の前で何時もうろうろしていた。彼のような存在が、特段周りから冷たい視線で見られていたわけでもなかったのである。私などは、面白いおじさんだなあと妙に親近感を抱いていた。ごちゃごちゃした商店街の存在なども、「わが町」には欠かせないのかもしれない。
雑然としたものを許すような鷹揚さというものが、「わが町」を生み出していくに違いなかろう。そんな雰囲気が懐かしく感じられるのは、子供たちも巣立ち仕事も終えてしまって、「清く、正しく、美しい」だけの世界に馴染めなくなった、こちらの気の弱りなども影響しているに違いない。電動自転車に乗って団地を離れ、あるはずもない小さな「わが町」を探しに出掛けてみるのも、もしかしたら悪くはないのかもしれない。