玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(一)

 現在私は、「裸木」と題したシリーズものの冊子の完成を急いでいる。タイトルも「カンナの咲く夏に」と決まり、三部構成の原稿も揃い、いまは校正に精を出しているところである。この第3号の第三部には、「さまざまな旅のかたち」と題して3本の旅行記を収録しているのであるが、そのうちの2本はブログには投稿していない。冊子に収録するのだから、わざわざ投稿しなくてもいいかとも思ったが、冊子は大した部数を作るわけではないので、ブログに投稿した方が多くの人の眼に触れる可能性は高い。そんなこともあって、「玄界灘を渡って」と題するこの旅行記を、7回に渡ってここに投稿することにした。以下の文章がそれである。

 はじめは、今回の社会科学研究所の調査には不参加の積もりだった。年老いてきて、あっちこっちと動くのが面倒になってきたこともあるし、近年企画される調査がだいぶタイトなスケジュールのように見えたので、付いて行ったはいいが、同行の諸氏に迷惑をかけてはまずかろうとの心配もあったからである。どうせパスポートの期限ももう既に切れている筈だ、と思ってもいた。ところが、一応念のために確認してみたら、有効期限は今年の9月だった。

 こうなると私のような年寄りも結構現金なもので、急に社研の海外旅行に出掛ける最後のチャンスのようにも思えてきた。村上さんの後を継いで新所長となる宮嵜さんには、毎度毎度お叱りを受けている私だが、高邁な調査目的などはすっかり頭の片隅に追いやられ、旅への期待ばかりが膨らんできたのである(笑)。今回の旅が、いつのまにやら老後の愉しみのようにもなってきたのであるから、お笑い草の話ではある。

 そこで早速参加申し込みと相成った訳だが、そうなると、せっかく出掛けるのだからとあれこれ調べたくなってくる。この際だからお騒がせするような文章を書こうという「下心」が生まれ、そのために暇にまかせてあれこれと資料を蒐集し始めることになった。何故そんな気持ちになるのか私にはよく解らない。自己顕示欲が旺盛な目立ちたがり屋が心底嫌いなくせに、自分もまた謙虚を装った裏返しの目立ちたがり屋だからなのかもしれない。とにかく何か書きたくなってきたのである。

 勿論、真面目でアカデミックな文章などもはや書けはしなし、書きたくもないから、書きたいことを好き勝手に書くだけのことである。もしかすると、調査にくっついて出歩く徘徊老人や怪しげなことを書かずにはいられない瘋癲老人に、徐々に近付いてきたということなのであろうか(笑)。以下の雑文は、旅日記の体裁をとって書き記したその「下心」である。

 韓国と日本

今回の旅は、玄界灘をはさんで釜山、対馬、大宰府を巡る4泊5日の行程であったが、私が最初に興味を惹かれたのは、壱岐と並んで玄界灘に浮かぶ島、対馬である。社研の調査ででもなければとても足を延ばしそうもないような、遥か彼方の遠い場所のように思われたからである。対馬についてはのちに詳しく触れるので、話の順序としてはやはり釜山から始めた方が解り易いだろう。

 旅から帰ってしばらくして知り合いと会ったら、「釜山に行ったらしいが、大丈夫だったか」と問われた。一瞬何のことかと思ったがすぐに気が付いた。釜山にある日本の領事館前に建てられた、慰安婦の象徴とされる少女像の設置をめぐって、それに抗議した日本が、大使と領事を一時帰国させるという事件が起こっていたからである。日韓関係がかなり険悪になっていたので、友人はさだめし釜山の街中は騒然としているかのように思ったのかもしれない。

 たまたま所長の村上さんが気付いたので、移動中のバスの車中から少女像を見ることが出来たが、そこには誰もおらず静かなものだった。特別な日ででもなければ人が集まったりすることもないのだろう。勿論われわれも心配するような目に遭うことなどなかった。少女像の設置も、日韓の合意から言えば大人げないのかもしれないが、わが日本は、戦時中「突撃一番」(なるほど!)と名付けられたコンドームを兵士に配って、軍が管理した慰安所に列を作らせたのであるから(それが、「聖戦」を戦った「皇軍」のもう一つの側面なのである)、韓国の人々の怒りがそう簡単に収まらないのは、当然であろう。

 振り返ってみれば、日本政府の内閣総理大臣や大臣、国会議員たちは、韓国や中国の批判などものともせずに、韓国大使館からさほど離れてもいない靖国神社に毎年奉納や参拝を続けているのであるから、偉そうに抗議出来る立場にあるかどうかははなはだ疑問である。

 靖国神社に参拝し続けている総理大臣は、戦没者に対する慰霊であり他国にとやかく言われる筋合いはないなどと開き直っているが、靖国神社がどんな神社なのかを覆い隠したまったくの戯言というものであろう。出掛けてみればすぐに解ることだが、靖国神社は先の大戦を、「自存自衛」のための戦いであり(それを外国でやっているのが嗤わせるのだが)、「アジア解放」のための「正義」の戦争である(唯我独尊の極みであろう)と位置づけ、「戦犯」をも国家のために命をささげた「英霊」として祀っているような、政治色が豊か過ぎるほど豊かなとんでもない宗教施設なのである。

 侵略戦争に対する反省がないのは勿論だが、その結果として、戦没者に対する真摯な慰霊さえもどこかに消えてしまっている。天皇制には批判的な私であるが、直接現地に赴いて、日本軍兵士だけではなく戦いに斃れたすべての人々に深く頭を垂れる平成天皇の慰霊の旅の方が、よほど慰霊と呼ぶにふさわしいのではあるまいか。

 釜山では昌原市の商工会議所や人的資源開発院の方の話を聞いたりしたが、私が興味を持ったのは、伽耶(かや)時代の高床家屋や竪穴住居がある鳳凰台、新羅時代のものではないかと推察されている古墳群がある福泉洞(入口の白壁と赤い椿の対照が目に鮮やかだった)、あるいはまた朝鮮通信使歴史館の方である。古代の遺跡やその発掘に詳しい土生田さんは、鳳凰台を訪れた時から自信に溢れた名調子の解説ぶりであった。この3月に定年退職された荒木さんを、以前私は「長話の荒木」と冷やかしたことがあるが、それにならって言えば、まさに「語り部の土生田」である。そんな彼の話を興味深く聞きながら、日韓の交流をめぐる明と暗に関するわずかばかりの知識を想い出したりした。

 「朝鮮通信使歴史館」にて

 朝鮮通信使歴史館は予想外にシンプルな作りだったが、日韓関係が大きな軋みを見せている時であるからこそ、大事にされるべき施設のようにも思われた。歴史館で入手したパンフレットには、「約400年前から両国を行き来しながら誠信交隣の精神を実践していた朝鮮通信使は、今は両国を超えて世界の平和と文化交流の模範として位置付けられる日が遠くない。最近、両国の二つの民間団体が共同で『朝鮮通信使関連記録』をユネスコ世界記録(記憶)として登録を申込み、その価値を高める広報事業をユネスコ本部があるフランスのパリで行ったためである」(釜山大の韓泰文)と書かれていた。あるいは、「今日の韓日両国に求められているのは互いの異なる点を浮き彫りにしながら不信感を増幅させることではなく、両国が共有する質の高い共通点を前面に掲げることで協力と友好を増進させていくことである」(東西大の張濟國)といったメッセージも寄せられていた。

 コリア語の非常勤講師で、今回の旅程に関して事前にレクチャーもしてくれた魏(ウィ)さん(釜山と対馬に同行してくれた彼は、通訳も、ガイドも、そしてその他もろもろの雑用も実に手際よくこなしてくれた)から教えてもらうまで、私は、両国の民間団体が共同で「朝鮮通信使関連記録」をユネスコの「世界の記憶」に登録しようとしていることなど、まったく知らなかった。朝鮮通信使の話なども、歴史の一齣ぐらいにしか思っていなかったが、先のような現代的な意味を付与されて蘇ってきているのである。そう言えば、対馬の市役所にも「朝鮮通信使をユネスコ記憶遺産に登録しよう」と書かれた垂れ幕が掛かっていた。「誠信交隣」という朝鮮通信使の精神を復興させることは、両国にとって意義深い試みと言えるのではあるまいか。

 「誠信交隣」とは雨森芳洲の言葉である。彼は対馬藩において朝鮮外交の第一線で活躍した人物で、その深い学識や優れた外交手腕から、朝鮮通信使の一行にもきわめて高く評価されていたらしい。朝鮮通信使については、仲尾宏『朝鮮通信使』(岩波新書、2007年)をはじめ日朝関係を論じた数多くの文献に登場するので、詳しい話はすべてそれらに譲ることにして、些事に過ぎないことについてだけ、一言触れておきたい。一行は、正使、副使、従事官の三使を筆頭とした400名前後からなる大使節団であり、1607年に往来した第一回目の通信使の正使は、その名を呂祐吉(リョ・ウギル)という。

 彼の名前を関連図書で見てはじめて気が付いたのであるが、なんと私と同じ名前ではないか(笑)。彼の名前は、森鴎外の小品である「佐橋甚五郎」にも登場する。作品では、呂祐吉(「りょ ゆうきつ」とルビがふられている)が江戸からの帰りに、駿府に隠居していた家康に会うところから話が始まる。
 
 ところで、これまたどうでもいいことだが、私の名は父ではなく母がつけた。国文学者で『万葉集』や『古事記』の研究者で知られた武田祐吉からとったとのことだったので、国文学を学んで古典が好きだった母は、きっと彼のことを敬愛していたのであろう。この人物のいい加減さについてはのちに触れるが、それはともかく、呂祐吉の存在を知ってからこれまで以上に日朝関係史に興味がわくようになり、朝鮮が日本を映す鏡のようにも思えてきた。そんなこともあって、最近刊行された関周一編『日朝関係史』(吉川弘文館、2017年)などもパラパラめくってみた。単純といえばはあまりにも単純な話なのではあるが…(笑)。