二つの写真展に出品して
前回のブログで写真の話に触れたので、続きのような話を投稿してみる。しばらく前から写真に対する興味・関心が深まり、それが昂じて二つの写真展に出品するまでになってしまったことは、既にブログで紹介済みである。二つの写真展とは、青葉芸術祭と都筑区民文化祭である。今回も例年のように、前者は昨年の12月初旬に後者は今年の1月中旬に開催された。芸術祭や文化祭と銘打っていることからもわかるように、写真だけが出品されるわけではない。絵画や工芸、生け花など多彩なものが出品される。私が出品したのはそのなかの写真部門である。
出品者は、当番で2時間ほど受付を担当することになっており、そこに見ず知らずの4人が集まる。お互いが写真愛好家だということもあって、たまには写真談義に花が咲くこともある。多くの方は、撮影技術やカメラの性能や撮影場所、それに構図などについて語る。私には語るべきものなど特にないので、興味深く聞く。出品者の多くは地元の写真サークルに属しているので、私の方からサークルの運営について尋ねたりすることもある。その多くは、会員が毎月作品を持ち寄り、先生を交えて合評会を行ったり、撮影旅行を企画しているようである。他人から自分の作品をお世辞抜きで批評してもらいたい気持ちもあって、いっときサークルに入ろうかと思いかけたこともあったが、忙しくなりすぎるような気もして断念した。
見ず知らずの人間が、当の本人を前にしてその人の作品の印象を率直に語ることなど、とてもできるものではない。そうなると当たり障りのない褒め言葉を口にすることになる。同じ団地に写真愛好家のSさんが住んでいる。彼はもはや愛好家のレベルを超えているのだが、その彼が次のようなことを言ったことがある。「良い写真の基準などないので、自分がいいと思えばそれが良い写真なんですよ」とのことだった。確かのその通りのような気もするが、果たしてそれだけなのであろうか。綺麗、美しい、可愛いと言った褒め言葉に何の意味もないことはこの私にも分かっているが、写真を撮ろうとする人は撮影対象に「美」を感じているのであって、その美意識の深浅や広狭に関してはぼんやりとではあれそれなりの基準があるようにも思えるのである。
我が家の息子が帰宅した際に、自分の撮った写真を見せたことがあった。彼が言うには、「絵葉書のような写真や既視感のある写真はつまらない」とのことだった。風光明媚な場所を撮るだけなら絵葉書ですむ、何処でも見るような写真を撮るだけなら自分が撮る意味がないと言いたかったのであろう。花はそれだけで十分に美しいのだから、美しい花を撮る必要などないとまで宣うた。極論ではあろうが、一面の真理を突いてはいる。
そして、ソール・ライター(1923~2013)という写真家を知っているかと聞いてきた。知らないと答えたら、是非写真集を手に入れて見るようにとのこと。私は気に入った写真集をよく買う方だが、それはすべて日本人の写真家のものである。そこでせっかく教えてもらったのだからと、彼の写真集『永遠のソール・ライター』(小学館、2020年)を購入してみた。ニューヨークを舞台に市井の人々を撮った伝説の写真家だと言われるだけあって、実に興味深い写真が数多く掲載されていた。
この写真集には、文筆家の大竹昭子が一文を書いている。「ライターの写真には雪や雨の日に撮られたものが目立つが、これにも深く共感した。空が晴れ渡った昼日中に撮影に出たいと思うことはまずなくて、光が斜めになって濃い影ができたり、雪が降ってカラフルな色が消えたり、 人やものが水滴にまみれる雨の日にこそ、 写欲が刺激された。 太陽が頭上から照らしていると、 人間の野心や意欲があからさまになりすぎるが、雪の白さや雨滴がそれに幕をかけたとたんに、 人と風景が等価になり、調和が生まれる。 俗世界の生々しさが消えて超現実的な光景が立ちあらわれるこうした瞬間を息を詰めて待つのは、大都市の森に足を踏み入れたかのようにスリリングだった」と。
彼女の一文は次のように結ばれている。「彼のフレーミングには明確な特徴があるにもかかわらず、狙って得たという感じがせず、意図の外から 『やってきた』という印象を見るものにもたらす。 写真に転写された美は「私」が作りだしたものではなく、別の何かと 「私」 が接触した結果として生じたものであり、自分は単にその場に立ちあったにすぎない、 そう彼は思っていたにちがいないのだ。昇るのでもなく、 降りるのでもなく、 何も起きない平坦さのなかに、ふいに見えてくるものがある。 それに立ちあう過程が人生なのだ。 静かな写真の数々から、ライターのそんなつぶやきが聞こえてくる」。
ライターの呟きに共鳴したからなのか、今回の写真展には、いつもの写真とは少し趣の違ったものを出品してみた。青葉芸術祭には、台湾への調査旅行の際に花蓮で撮ったものを「台湾感傷紀行」と題して出品し、都筑文化祭には渋谷に出掛けた折りにたまたま見かけた光景を切り取って、「猥雑と喧噪と汚臭の街で」と題して出品してみた。タイトルに私なりの拘りを持たせたつもりなのだが、果たしてそれがうまく表現できたかどうか…。知り合いの方から、なかなか面白いとの褒め言葉をもらった。滅多にないことなので嬉しかった。
台湾感傷紀行

猥雑と喧噪と汚臭の街で