ジム通いの日々(上)

 今回の話は、昨年暮れにあった細やかな忘年会にまで遡る。知り合いのAさんと二人だけの飲み会を、12月の初めに新宿の居酒屋で催した。いつものように、あれこれの四方山話を尽きることなく語っているなかで、たまたまマッサージがお薦めだという話になった。Aさんは毎週のように身体を揉みほぐしてもらっているとのこと。首や肩や腰の凝ったところを揉んでもらうとかなりすっきりするらしい。私も彼と同様にパソコン接触時間がかなり長いうえに、身体を動かすようなことを何もしていないので、彼の話をとても興味深く聞いた。いつものことではあるが、私は彼が提供してくれる情報をかなり真面目に聞く。彼を一人の人間として信頼しているからであろう。

 マッサージをしてくれるところがどんなところであり、また何処にあるのかもまったく知らなかったので、彼に尋ねてみたらスマホで調べればすぐに分かるとのこと。ものは試しと思って帰宅してから調べてみたら、近所に全身揉みほぐしの店があることがわかった。手広く店舗を展開しているチェーン店である。費用もそれほど高額だというわけではない。こうなるとますます興味が湧いてきた。まったくの年寄りに見えてはいても好奇心は結構旺盛なのである。「後期」高齢者の「好奇」心とでもいう奴であろうか。偽悪的に表現すれば、のぞき趣味と言い換えてもいいのかもしれない。体重と違って足腰の動きはかなり軽目なので、忘年会の後2~3日して近くの店に出向いてみた。会員登録し予約システムを教えてもらい、マッサージを施してもらうことになった。

 ベッドにうつ伏せに寝て1時間ほど全身をマッサージしてもらったところ、すっかりいい心持ちになった。大の大人がかなり力を入れて揉んでくれるので、よく効く。施術をする人が身体のツボというものを知っているからなのだろう。恐らくどの客に対しても言う台詞なのではあろうが、「お客さん、首や肩が大分凝っていますね」などと言われた。毎日パソコンの前に座りっぱなしでいては凝って当たり前だし、考えてみれば不健康そのものである。Aさんのように毎週マッサージしてもらうのもいいかもしれないと思って、師走に4回ほどその店に通った。

 そんな話を家人にしたところ、「身体が気になるのなら、ジムに通うのもいいんじゃない」などと言われた。週1回のマッサージぐらいでは、前屈みになりがちな猫背の姿勢を矯正することも、出てきた腹を引っ込めて減量することも、足腰を鍛えて外出先で転ばないようにすることも、どれもこれも難しいのではないかとのご託宣だったのだろう。言われてみれば確かにその通りである。家人は長い間ヨガに励んでいるので、その経験からアドバイスしたくなったのではあるまいか。マッサージを受ければ身体は整えられそうだが、やはり鍛えるというわけにはいかないだろう。そこで今度は、マッサージからスポーツジムに切り替えてみることにした。年金生活者は自由の身なので、変わり身も結構早いのである(笑)。

 実は家人からスポーツジムに行くことを勧められたのは、今回が初めてではない。かなり前から勧められてはいたのである。しかし当時はどうしてもその気になれなかった。その理由としては、ブログの投稿に精出していたこともあったが、それよりもスポーツジムというものに対する偏見があったからであろう。身体を鍛えるのも悪くはないが、その前にもう少し頭を鍛えた方がいいんじゃないかなどと、心底では不遜にも思っていたのである。

 健康志向が強くやたらに前向きでアグレッシブな人は、概して押しが強くついでに気までが強くなりがちである。気弱な私などは、すぐにマウントを取りたがるその手の人が、昔から大の苦手なのである。そうした苦手意識を生み出したものは、スポーツジムに対する偏見というよりも、スポーツというものに対する偏見であったのかもしれない。しかしながら、加齢による衰えが余りにも顕著になってくると、先のような生意気な口は利きたくても利けなくなってくる。ジムで身体を鍛えて筋肉ムキムキになろうなどとは勿論思わないが、できうれば現状を維持したいものだし、あるいはせめて老化のスピードを遅らせたいと真剣に思うようになってきた。

 何故かと言えば、足腰がふらついて何度も転倒するようでは、社会科学研究所や人文科学研究所の調査旅行に付いて行くこともままならなくなるからである。ブログの文章を綴るだけではなくいい写真も撮りたいのであれば、機会を見て外に出掛けなければならないが、そうであれば自分の身体を自分でコントロールできるようにしておかなければならない。当然のことであろう。老後の道楽をもうしばらく愉しんでみたいのである。ジムでのトレーニングを道楽にしたいというわけではない(笑)。人間生きている限り老化を防ぐことはできない。そのことをしっかりと頭に叩き込んだうえで、慌てふためくことなくジム通いに勤しんでみるのも悪くはない、そんなふうに思うようになった。