盛夏の北海道アイヌ紀行(七)-神田日勝の描いた馬のこと-

 初日に、ウポポイから新ひだか町に向かう途中で、門別競馬場に立ち寄った。翌日は、二風谷コタンから帯広に向かったのだが、そこでは帯広競馬場と馬の資料館を眺めてきた。馬をここまで間近に見たのは初めてだったので、その予想外の大きさに驚いた。私なども、家人に勧められてオグリキャップやナリタブライアンやディープインパクトの飛ぶが如き走りを見て(勿論DVDで見たのであるが)感動を覚えたことがある。だが、賭け事というものに関心がなければ、どうしても競馬をギャンブルとしていささか冷ややかに眺めがちである。

 しかしながら、われわれが訪れた二つの競馬場は、そうしたものだけでは括れない何かを持っているようにも思われた。ローカル色に溢れ、土の臭いを存分に醸し出していたからである。北海道においては、人間と馬が一体となって働いてきた長い歴史があり、そのために馬がきわめて身近な存在となっているからなのであろうか。二つの競馬場に関しては、次のような紹介記事がある。大要を記してみる。

 まずは門別競馬場から。平地(ひらち)では道内唯一の地方競馬場である門別競馬場は、国内屈指の馬産地である日高町にある。全日程でナイトレースが組まれており、ライトアップされた馬場で繰り広げられるレースは見どころのひとつ。美しい馬体を間近で見られるパドック、生産者の思いが伝わる馬産地ならではの雰囲気、レジャー感覚で競馬を観戦できる施設や名物グルメもあり、競馬ファンはもとよりビギナーやファミリーも北海道の競馬の魅力をたっぷりと体感できる。

 次は帯広競馬場である。十勝の中心地・帯広市の市内地に立地している帯広競馬場。ほぼ通年で週3日開催され、4月~11月にかけてはナイターレースを実施。通称ばん馬と呼ばれる馬体重1トンを超す大型馬が、500~1,000㎏の重さの鉄の橇(そり)を曳いて競走する、世界でただ一つの競馬。年間27本の重賞(賞金額が高い重要なレースのこと)が行なわれるが、何と言っても、毎年3月に行われるばんえい競馬の最高峰レース「ばんえい記念」は、ファンのみならず注目のレースです。1mの高さの第1障害と1.6mの高さの第2障害がある、直線200mフルゲート10頭立てのセパレートコース。スタートからゴールまでファンが併走して応援ができ、迫力満点。ゴールは鼻先ではなく、ソリの後端がゴールラインを入ってからなので最後の最後まで見逃せません。レースの途中、騎手が馬の動きをあえて止めて呼吸を整え させるのはばんえい競馬ならでは。馬の位置取りなど、騎手の駆け引きも見どころ。

 読んでいる方も何だか愉しくなるような紹介記事である。しかしながら、よく読めば両者の馬文化の違いも分かる。日高で生産されている馬は、軽種馬(けいしゅば)と呼ばれるサラブレッドのような競走馬であり、門別競馬場でもそうした馬がスピードを競って走っているが、より歴史を感ずるのは帯広に残る十勝の馬文化の方であろう。江戸時代にニシン漁場で働いていた南部馬が厳しい冬を生き延びて、野生化したのが北海道産の馬「どさんこ」のルーツだという。明治時代の開拓期には、切り株を引き抜き、田畑を耕し、山から巨木を運び出し、石炭を掘り出すために、馬はなくてはならない存在だったのである。

 開拓が進むにつれて、より馬力のある馬が求められるようになったこともあり、さらには、日露戦争後には馬を軍馬としても活用するようになったために、馬の品種改良が積極的に進められたようだ。北海道から戦地に駆り出された軍馬もかなりの数に上ったという。消耗品として戦場で見捨てられることを知った馬主の中には、自らの手で馬を殺めた人もいたらしい。何とも悲しいエピソードである。この話はガイドの方がバスの中で紹介してくれた。

 このように、馬と人との関係は深く、開拓の際の労働力として人々と苦労をともにしてきた仲間であり、家族であったのである農業や林業での重要な働き手だった馬の力を競う「お祭りばん馬」が各地で開かれるようになり、やがて重種馬(じゅうしゅば)が橇(そり)を引いて順位を競う「ばんえい競馬」に発展したのだという。競っているのはスピードではなく昔ながらの馬力である。そこがいいのであろう。ばんえいとは漢字で書けば輓曳となり、荷物を引っ張ることだとのこと。帯広競馬場の側にあった馬の記念館では、ばんえい競馬の実況ビデオが流れていたので眺めてきた。泥臭い競馬ではあるが、迫力だけは満点である。

 身近で馬を見てその大きさに驚いたと書いたが、パドックや厩舎で見たその目の優しさや哀しさも忘れられない。この私には何とも深い憂いを帯びた目に見えたのである。馬の資料館には、神田日勝(かんだ・にっしょう)記念美術館のポスターが掲示されていた。彼が馬の絵でよく知られた画家だったからであろう。ポスターに描かれていたのは、彼の絶筆となった半身だけの未完の馬の絵である。1993年に開館したこの美術館は、帯広市内からクルマで45分ほどの鹿追(しかおい)町にある。美術館のホームページには、神田日勝について大要以下のようなことが書かれていた。

 神田日勝(1937~1970)は、東京の練馬で生まれ、1945年8月、終戦直前に両親とともに拓北農兵隊の一員として北海道鹿追村に疎開してきました。北の大地で農民として生き、厳しく過酷な開拓者の日常を背負いながら、たくましく成長していきます。彼は、やがてリアリストの目で人間を見つめるようになり、「あの真っ白なキャンバスの上に、確かな生命の痕跡を残したい」と、自らの生きざまを作品に描きこんでいきます。驚くほどの画風の変遷を経ながらも、リアリズムの画法を独自に切り拓いていきました。

 厳しい開拓の労働の寸暇を惜しんで、地元の平原社展、全道展、そして独立展を中心に応募し、徐々に高い評価を受けるようになりますが、1970年8月、あまりにも突然に病魔に倒れたのです。最後まで描き続けた馬の絵は、半身が未完成のままでした。絵を描くことに短い命を燃やした孤高の画家、神田日勝。彼の残した作品は、いまなおその輝きを失わず、多くの人々の心をとらえています。当館は、わずか32歳の若さで生涯を閉じた画家の死を悼む多くのファンの熱意に支えられて、1993年6月に鹿追町立神田日勝記念館として美術館の第一歩を踏み出しました。

 彼の馬に対する愛着は殊の外強かったようである。その馬は勿論ながら何とも無骨な農耕馬である。デビュー作が帯広の平原社展で奨励賞を受賞した「痩馬」であり、絶筆が未完に終わった「馬」である。美術全集を広げると、1965年には「死馬」や「馬」が、翌66年には「開拓の馬」が描かれている。それだけであれば彼を「農民画家」と言っても間違いではないのだろうが、「北辺のリアリスト」の鋭い眼差しは数多く描かれた静物画にも向けられ、ついには1970年の大作「室内風景」へと結実していく。「北辺のリアリスト」と呼んだのは、道立近代美術館の学芸員であった鈴木正實(『神田日勝』北海道新聞社、1984年)であるが、日勝の北辺の地に注がれた眼差しを的確に捕らえているように思われる。

 鈴木は、絶筆となった「はん欠けの黒い馬は、多くの可能性を残したままで夭折した日勝自身の像でもある」と述べているが、だからこそ気になる絵なのであろう。よく見ると赤みを帯びた優しく虚ろな眼が見る者に何かを語りかけてくるかのようである。先に、「あの真っ白なキャンバスの上に、確かな生命の痕跡を残したい」との日勝の言葉を引いたが、もしもそれだけであれば特段言及する必要もない一言なのかもしれない。日勝の生涯を描いた作家である高橋揆一郎の『未完の馬』(十勝毎日新聞社、1995年)を眺めていたら、先の一文の前に次のような文章があることを知った。「室内風景」に描かれた男の顔は、己の偽善と卑小を知った日勝自身の顔だったのであろう。未完の馬は、その顔を優しく見つめているかのようである。

 あの白いキャンバスは己れの心をのぞき込む場所であり、己れの卑小さに気づき絶望にうちひしがれる場所でもあるのだ。だから私にとってキャンバスは絶望的に広く、無意味なまでに深い不思議な空間に思えてならない。私はこの不思議な空間を通して社会の実態を見つめ、人間の本質を考え、己れの偽善さを分析していきたい。己れの卑小さをトコトン知るところからわれわれの創造行為は出発するのだ。あの真っ白なキャンバスの上にたしかな生命の痕跡を残したい。

(追 記)

 先日『しんぶん赤旗』(11月18日号)を広げていたら、ある記事が目に留まった。札幌で、アイヌが先住民族であることを否定する団体が催している展示や講演会に対して、抗議行動が行われたとの記事である。アイヌ民族を貶めるような団体に興味を持ったが、先の記事によるとその団体を後援しているのは日本会議だとのこと。では、日本会議はアイヌ民族をどのような存在として認識しているのであろうか。そこが気になる。

 調べてみたら、日本会議北海道本部は、しばらく前に北海道博物館宛てに公開質問状なるものを提出していた。質問状の中身とそれに対する回答は、検索してみると直ぐに出てくるのでここで詳しく触れることは避けるが、その遣り取りもなかなかに興味深いものだった。史実にもとづくこともない自らの「史観」を大上段に振りかざして、博物館の展示が「偏向」しており「プロパガンダ」だと本部側は息巻いているのであるが、それに対する博物館側の応答がたいへんに冷静・沈着であり、しかも史実に即した回答となっていたように思われた。一読すれば、どちらがまともなのかはまともな人間には直ぐに分かるだろう。ブログの読者にも是非一度閲覧されるよう勧めたい。

http://www.nipponkaigi-hokkaido.org/hokkaido-museum/