「裸木」第7号を手にして

 今年もシリーズ「裸木」が出来上がり、贈呈するために印刷所から直接発送してもらったした分を除いた残部が、先日我が家に送られてきた。今号で「裸木」も第7号となる。毎年思うことだが、よくもまあここまで続いたものである。一見淡泊そうにみえてはいるが、どこかに結構粘着質なところもあるので、それで続いているのだろう。冊子は毎年200部印刷しており、そのほとんどを贈呈している。当たり前のことだが、他人様が老後の道楽で作ったようなものを、お金を払ってまで購入する人などどこにもいない。勿論ながらこの私も買わない(笑)。

 印刷所に贈呈先の住所のリストと封入してもらう挨拶文の原稿を事前にを送っておけば、あとはすべてやってもらえる。昔は自分で一冊一冊レターパックに詰めて住所を書いて発送していたのだから、その頃と比べればこちらの負担は格段に軽減されている。家に送られてきた分は、団地の知り合いや、地元の社会運動で顔見知りとなった人々や、ゼミの卒業生などに贈呈している。このブログを読んで、手にしてみたいと思われる方がおられるようであれば、敬徳書院のホームページから申し込んでもらいたい。少しでも繋がりのある方であれば、贈呈させていただくつもりである。

 冊子を受け取った人の反応については、時折風の便りで聞くこともあるが、大したものを送っているわけではないので、特に聞きたいと思ってはない。しかしそれでも、何人かの知り合いからは、いつも丁寧な感想を寄せてもらっているので、それらの方々には深く感謝している。感謝の言葉もないとはこのことか。今回も以下のような挨拶文を同封した。いつもと同じような変わり映えのしない挨拶文ではあるが、紹介してみる。

 今年は梅雨明け前から猛烈な暑さで、連日続くあまりの暑さにいい加減辟易しながら過ごしておりますが、皆様お変わりなくお元気にお過ごしでしょうか。老後の道楽として始めたブログ三昧の生活も6年目に入りましたので、そんな世界にすっかり馴染み、毎週のように雑文を書き散らして日々の無聊を慰めております。世俗の塵埃にまみれた話題からできるだけ身を離し、「焦らず、慌てず、諦めず」を座右の銘として、最期まで生き抜いてみたいものだと勝手に夢想しております。

 毎年誕生日を前に作成しているシリーズ「裸木」の第7号が、今年もようやくにして出来上がりました。道楽で作成しているものですから、ひとに贈呈するような代物でないことは重々承知しておりますが、お近付きの印として、あるいはまた小生が何とか元気でいることをお知らせする遅ればせの中元として、まことに勝手ながら贈呈させていただきます。毎年書き添えていることではありますが、周りの傍迷惑も省みずにお贈りするものですので、読んで感想の一つも送らねばなどとは、どうか決して思わないでください。余計なことかとは思いましたが、今年もいつものように一言付け加えさせていただきました。残暑の厳しさも続いておりますので、皆様くれぐれもお身体ご自愛下さいますように。

 こんな挨拶文をあえて同封するのは、贈った方々に余計な負担を掛けたくないと思っているからである。謙虚を装ってそうしているのではない。この私は、後期高齢者となってもっと自由に、気儘に、勝手に、我が儘に生きてみたくなっているが、同年配の方々も多分私と同じ思いだろうと推測するからである。読んで欲しいなどと思って贈っているのではない。訪問先の玄関の隅から、そっと粗品として差し出したようなものである。はしがきには次のような文章を書いた。冒頭の部分だけ紹介してみる。

 シリーズ「裸木」も今号で7号目となる。よくもまあここまで続いたものである。老後の道楽であると割り切っているから続いたということもあるのだろうし、こうした道楽が思いの外自分の性に合っていることもあるのだろう。冊子のタイトルをあれこれと考えるのも好きである。前号は『遠ざかる跫音』としたのだが、「跫音」(あしおと)という旧字体の表記が、気障(きざ)と言えば気障であった。いつもなら、ここで(笑)を入れたいところだが、前号から使用を自粛しているので止めておく。そこで今号のタイトルだが、『いつもの場所で』としてみた。当たり障りのないタイトルである。
 こうしたタイトルにしたわけは、以下の文章を読んでいただければわかると思うが、年寄りにとっては、たとえ代わり映えがしなくとも、「いつもの場所」にいることが大事だと言いたいのである。今号もこれまでと同じように三部構成となっている。このスタイルに合わせて、毎週のように書き散らしてきたブログの文章を、少しは読みやすくなるように並べ直してみた。果たしてどんなものやら。はしがきとして他に取り立てて書くこともないので、タイトルに関わりそうな文章を載せてみる。(以下略)

 はしがきにもあとがきにも、これまでブログに載せた文章を活用してみた。ことほど左様に、シリーズ「裸木」は全編ブログの文章でできているので、ブログあっての冊子ということになる。ブログの文章が面白ければ面白い冊子が出来上がるだろうが、それがつまらなければつまらない冊子にしかならないだろう。著者の私にとって工夫の余地が残されているのは、三部構成の冊子の組み立てのみである。身辺雑記の文章だけで埋め尽くす気にもなれなかったので、読み物となるように少しは工夫したつもりである。

 それともう一つは、今回冒頭に写真を4葉載せてみたことである。実は前号にも写真は載せている。ちょっと恥ずかしくもあったので、2葉だけではあったが…。前回載せた写真を何人かの方が褒めてくれたので、ついついその気になって今回も写真を載せることにした。相変わらずお調子者の私ではある(笑)。三部構成の冊子の第一部のタイトルを「巡る季節のなかで」として、散策日記風の文章を集めたので、それに因んで春夏秋冬4葉の写真を載せてみた。今回のブログの最後にあるのがその写真である。果たしてどんなものであろうか。

(追 記)

 今号では、第二部「いつもの場所で」の一「二冊の本を読みながら」に、高木郁朗さんから贈呈された著書『戦後革新の墓碑銘』(2021年、旬報社)の読後感のような文章を収録してみた。そんなこともあって、今回初めて冊子を贈らせてもらったのだが、先日彼の息子さんから、高木さんが昨年9月に亡くなったことを知らせる葉書を受け取った。日頃浮世離れした暮らしを続けている私は、そんなことも知らなかった。何と哀しい知らせであろうか。心からのご冥福を祈るばかりである。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/09/15

春ー老木に宿る命

 

夏ー存在の重さ

 

秋ー囚われた世界から

 

冬ー屹立する裸木

 

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