鎌倉から江ノ島へ

 この日は二つの美術館に顔を出したわけだが、その印象は余りにも違った。中川一政美術館では画家のスケールの大きさに圧倒されたが、湯河原美術館で観た高良眞木の作品は、如何にも私小説風であった。ところで、ミュージアム・ショップで購入した冊子によると、この高良眞木の妹が、詩人であり女性史研究者として知られる高良留美子(こうら・るみこ)であるとのこと。ちょっと興味深かったのは、夫の影響もあったのか、日中友好協会のメンバーとして中国のプロレタリア文化大革命時に中国各地を訪問していたことであった。私小説風の絵とは違った彼女の一側面である。夕暮れが迫るなか、美術館を後にしてバスで湯河原駅に戻った。この日は大船に泊まる予定だったので、すぐに東海道線の電車に乗って大船に向かうつもりであった。

 駅に着いて空を見上げたら、暮れかかる空に浮かんだ雲が余りにも大きく美しい。大船のホテルにはいつ戻ってもいいようなものだから、駅の近辺を彷徨いてさまざまな角度から雲の写真を撮った。こんなことが気儘に出来るのが一人旅のいいところであろう。誰に気兼ねする必要もない。二晩目に泊まることにしていたのは、大船駅前にあるビジネスホテルであった。ビジネスホテルとは言ってもなかなか立派なホテルである。値段も結構高いが、鎌倉に近いので外国人観光客はそれでも来てくれると踏んでいるからなのかもしれない。夜外に出て美味い店を探すのも面倒なので、ホテルに併設されていたレストランで夕飯を食べた。端では懇親会が催されていたようで、時折うるさい声がする。料理はまあまあなのだが、それだけが残念だった。いやもう一つ残念なだったことがある。朝食付きのホテルだったが、バイキングの内容が何とも貧しすぎた。前日のペンションは、夕食も朝食も申し分なかったのだが…。

 大船に宿を予約したのは、朝早くから鎌倉に向かいたかったからである。翌日その貧しかった朝食を撮って大船から横須賀線に乗り、隣駅の北鎌倉で降りた。朝早いのだからそれほど人はいないだろうと思っていたのだが、それなりに観光客はいる。冬晴れの日に観光地にハイキング出掛ける、そんなことは普通の人が普通に考えそうなことなのであろう。この私もまたそんな普通の人々の中にいるわけだ。駅から東慶寺、浄智寺を見学して、浄智寺の裏道から結構アップダウンのある山道を経て、葛原岡神社に出た。このコースは、何年か前に小僧たちと来たところである。懐かしくなってあの頃を思い出しながら歩いた。当時はまだそれほど大変だとは思わなかったが、ここ数年足腰が大分弱ってしまったので、思った以上に大変だった。こんな所で転んで骨折でもしたら大事だと思って、ゆっくりと慎重に歩いた。もう無理は出来ない。

 葛原岡神社の境内は広い公園になっていたので、そこでのんびりと一休みした。冬晴れの柔らかな日差しが何とも心地よい。年寄りにはぴったりである。こんな一時を日向ぼっこと言うのか。調べてみると、日向ぼこりとも日向ぼことも言うらしい。辞書には高浜虚子や村上鬼城の句も紹介してあった。虚子の「人を見る目細く日向ぼこりかな」もいいが、鬼城の「うとうとと生死の外や日向ぼこ」にも感じるものがあった。朝早く出てきたのでまだまだ時間はたっぷりある。鎌倉駅に向かってのんびりと歩き出した。目的地に向かって歩くのではない、途中のぶらぶら歩きを愉しむのである。小僧たちと一緒ではなかなかできない芸当である(笑)。途中銭洗い弁天により、あれこれの店を覗きながら駅に向かった。

 そんなことをしていたら、小さなギャラリーで写真展が催されていた。興味が湧いたので立ち寄ってみたが、展示されていた写真は飼い犬の写真であり、私の期待していたものとは違った。適当に眺めて立ち去ろうと思ったのだが、写真を撮った方が現れて私に話しかけてきた。見に来てくれた人と雑談を交わしたかったのだろう。しばらく写真談義を交わしているうちに、ふと本心を言ってみたくなった。余計な一言だとは思ったが、「ペットとか家族とかの写真は、対象を客観化するのが難しいので、作品にしにくくはないですか」と尋ねてみた。この私は、可愛い、綺麗、美しい、楽しいといった言葉で表されるような写真を撮りたいとは思っていないので、ついついそう言ってみたのである。彼も「確かにそうですね」と言って、道を挟んだ向かいのレストランにも飾ってあるという写真も紹介してくれた。それはモノクロームの野菜の写真であり、同じ人が撮った写真とは思えなかった。ペットの写真とは格段の違いがある。

 鎌倉駅に着いたが朝が早かったこともあってまだ昼前である。そこから江ノ島電鉄に乗って江ノ島に向かうことにした。江ノ島はかなり昔に行ったきりで、最近の様子は何も知らない。電車は大仏見物の客でごった返していた。江ノ島駅で降りて大橋に向かったのだが、道の両側には飲食店だけではなくいろんな店が並んでいた。先ずは腹ごしらえということで、美味そうな店を探してしらすイクラ丼を食べた。観光地の店なのだからたいした味ではなかろうと思っていたが、予想外に美味かった。こうなると嬉しくなり江ノ島が好きになる(笑)。現金なものである。歩いていると面白い店が見つかる。灯台のグッズだけを扱っている店や立派な骨董品を扱っている店もあった。大橋からは富士も遠望された。誰もが撮りたくなるようないい構図なので私も何枚か撮ってみたが、やはり月並みの感は否めない。自分なりの目の付け所を探そうと、あちこちを彷徨いた。
 
 大橋の上は風が強く、何度か被っていたハンチングが飛ばされそうになった。帽子が飛ばされるとそこに突然禿げ頭が現れるというのも、笑うに笑えない光景なので、しっかりと目深に被って飛ばされないように気を付けた。大橋を渡り終えるとすぐに江島神社に向かう参道となる。ここも道の両側に土産物屋がぎっしりと並んでおり、観光客でごった返していた。不信心な私は神社に参拝しに来たわけではないので、年末のその混雑振りをカメラに収めてみたかった。しかしながらそれがなかなか難しい。他人の顔が正面に入るような写真は撮りにくいので、背中越しに撮るしかない。観光客も動き自分も動きながら撮るので、構図が決まりにくい。結局いい写真は撮れずじまいだった。仕方が無いから、岸壁に押し寄せる波を撮ってみた。一日中歩いて疲れたこともあって駅まで戻るのが面倒な気分であったが、すぐ側から大船駅まで向かうバスがあることが分かった。バスの中で、山本コウタローの歌った「岬めぐり」(1974年)を思い出していた。その彼も2022年に73歳で亡くなっている。 

旅日記

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