運転免許証更新始末記
今年は運転免許証を更新しなければならない年であった。現在私が所持している免許証の有効期限は10月12日までであり、この日で前回交付された年から3年が過ぎることになるからである。運転免許証の有効期間には違いがあって、交通違反の有無や年齢などにより異なっている。免許取得後5年未満の人や違反運転者、71歳以上の高齢者は3年であり、それ以外の人の有効期間は5年だということである。
上記のようなことは、クルマを運転している人にとっては常識なのかもしれないが、当の私はそんなことさえよくは分かっていなかった。多分、クルマというものにそれほど興味や関心や愛着がないからだろう。 免許証の有効期限が満了する直前の誕生日の1ヵ月前から1ヵ月後の2ヵ月間が更新期間となっているので、その間に手続きをする必要がある。70歳になるまでは、警察署からの案内葉書通りに対処するだけのことなので、何か特別な事態が生ずるわけではなかった。
だが、70歳を超えると高齢者講習というものを受けなければならなくなる。そう言えば、前回の更新の際にもこの講習を受けたことを思い出した。今回はそれに加えて、有効期限までに75歳となる私のような年寄りは、認知機能検査というものも受けなければならなくなった。法律が改正されたからである。75歳を超えるあたりから認知機能が衰える人が多くなるので、安全上の観点からそんな検査が義務付けられることになったのであろう。今月9月に後期高齢者となる私のところにも、当然ながら警察署からの案内が届いた。
すぐに予約をするようにとの注意書きもあったので、予約の電話をしたのだが、その電話が大分混み合っているとみえて何回かけてもつながらない。例のコロナ騒動の時の、ワクチン接種を巡るてんやわんやの事態を思い出した。警察署の方からすると、高齢者が検査を受け忘れると免許証の更新ができなくなるので、早い予約を促しただけのことだったのだろうが、それが裏目に出ている感じだった。
この間、高齢のドライバーによる重大事故が、度々報ぜられたことも影響して、認知機能検査に対する関心が高まっていたのであろうか。そうした事故を、他人事ではなく自分のこととして心配された方々が多かったように思われた。好意的に見ればそうなるのだが、直ぐに慌てて対処しようとすること自体が、年寄りの兆候であると言えなくもない(笑)。何事についても言えることだが、大騒ぎや大慌てし過ぎないのが肝要であろう。
電話がつながらない時に、電話の側にいて繰り返しかけるのも何だか愚かな気がして、大分たってから前回の更新の際に出向いた藤が丘にある青葉自動車学校に電話してみた。予約はすぐにとれた。コロナの時と同じである。こっちもすっかり年寄りだし、泰然自若としているなどとは言いかねる人間でもあるので、あれこれのことで慌てたり騒いだりすることも多いが、大慌てや大騒ぎはもともと性に合わない。もっとのんびりでもいいのではないか。
7月の半ばに、先の自動車教習所で高齢者講習と認知機能検査を受けてきた。この日もやけに暑い日だった。興味深かったのは認知機能検査の方である。私が予約した時間帯に集まった高齢者は12~3人だった。教習所の指導員の方が、年寄り相手だということで丁寧に優しく検査の概要を説明してくれたが、説明の途中に勝手に質問し始める人もいた。どこにも慌て者はいるということか(笑)。認知機能の検査ということで、軽い緊張と興奮状態にあった所為なのかもしれない。
検査の中身を紹介してみると、まず4つの絵が描かれた紙を順次4枚見せられ、次いで乱数表のなかから特定の数字をチェックする作業を行い、その後最初に見せられた16個の絵を思い出して名前を書き出し、そして最後に今日の日付や生年月日、予想した現在の時刻などを記入した。絵を見せた後でその名前を思い出して書かせるのが検査のポイントなのであろうが、面白かったし興味深かったのは、その間に別な作業を挟んでいたことである。
検査がすべて終了してから、指導員の方が教えてくれたことだが、乱数表から特定の数字をチェックする作業は、認知機能の検査とはまったく関係がないとのことだった。間に別な作業が入りそれに熱心に取り組んでいると、最初に見た絵の記憶がどんどんぼやけていくのである。たかだか16個の絵なのに、私は全部を思い出すことができなかった。記憶力のいいことが自慢の家人であれば、もしかしたら全部思い出せたかもしれないが、それだけでクルマを運転できるようになるわけではない(笑)。
検査の後に目の検査や運転の実習もあり、当日やるべきことをすべて終了してから、認知機能検査の結果が書かれた通知書を受け取った。そこには、「『認知症のおそれがある』基準には該当しませんでした」とあった。その日からしばらくして、警察署から免許証の更新手続きの案内が届いた。私が一抹の不安を抱いていたのは、視力の検査である。ブログを書き始めてからパソコンとの接触時間が長くなっている所為もあるのか、どうも目が霞み始めたような気がしていたからである。
夜のクルマの運転や高速道路を走る際に軽い不安や緊張を覚えるようになったので、運転免許証の更新の前に近くの眼科に出掛けて詳しく調べてもらった。その結果は、視力は0.9あるので免許証の更新に差し障りはないし、白内障も出始めてはいるが急いで手術しなければならないほどではないとのことだった。事実警察署での視力検査でも難なくパスした。そして9月末に新しい免許証が交付されることになった。
そうなれば、あと3年はクルマを運転できることになるわけだが、果たして3年間乗り続けるかどうかは分からない。途中で返納しそうな気配もある。次の更新はしないことに決めているので、これが最後の免許証の更新となる。すでに断捨離すべきものはあらかた片付けたので、残る大物はクルマのみである。たいして乗ってもいないクルマの維持にお金をつぎ込んでいるぐらいなら、別な交通手段を考えた方が利口なのだろう。
だが、クルマを手放すことには別の意味があることも、よくわかっている。クルマから離れると、自由に行動できる範囲が狭められるような感覚に襲われそうなのである。実際には大して動き回っているわけではないが、思い立った時に何処にでも行けるという可能性が、クルマによって与えられているような気がするからである。手放す時にはきっと寂しく思うのであろう。もう来ることはない青葉自動車学校を後にして、藤が丘駅に戻った。
駅前にはなかなか力強い彫刻が置かれていた。清水晴児という方の「掌(たなごころ)の家族」という作品である。優しそうなタイトル名が付けられているが、そこからはすぐにイメージできないような力感溢れる作品だった。バスのロータリー内にあるので誰にも見向きはされていないようであったが、興味を持った私は、近くに寄ってカメラを片手にゆっくりと眺めてきた。風景の中の彫刻を撮るのも好きなのである。ついでに、ホームから眺めた夏空にもカメラを向けてみた。