遅ればせの暑中見舞い
ゼミの卒業生から、きちんとした文章のある暑中見舞いをもらった。この夏唯一の暑中見舞いである。仕事や子育てに日々追われているであろう彼らや彼女らにとっては、年賀状を出すのがせいぜいのはずなのに、暑中見舞いまで寄越すとはなかなか律儀である(笑)。かく言う当の私は、暑中見舞いなど出したことがない。以下の文章は、それに対する返事である。
「毎日暑いですね」といった挨拶が陳腐に思えるほどの暑さですね。「これはもう災害です」と誰かがテレビで叫んでおりましたが、まさにその通り。風水害に加えて、暑害、熱害、炎害などを加えてもいいのでは。暑さしのぎに暑さの表現を調べてみたら、猛暑、炎暑、酷暑、大暑などにとどまらず、激暑、極暑、厳暑なんていう表現もあるんですねえ。面白いものです(笑)。子育てが楽しくなってきたとのこと、よかったですね。暑中見舞いを寄越すところにも、余裕の一端が現れているのでは。小生、すっかり老後の生活になじみ、好きなことを好きなときに好きなだけやれる、という気分だけを味わっております。人生の折り返し点にさしかかれば、あれこれ悩むこともあるでしょう。その悩みの連続こそが人生です(笑)。悔いなき人生を歩まれますよう。一言お礼まで。
こんなふうに返事を書いてきて、急に暑中見舞いのことが気になった。手元の辞書で確認してみたら、「夏の土用の間に、訪問したり手紙を出したりして安否をたずね励ますこと」とあった。私はこれまで、暑中見舞いは手紙を出すことだとばかり思ってきたが、訪問もそうだったのである。初めて知ったことだった。そんな私は、9月1日に中学以来の友人であるKを訪ね、辞書にあったように安否をたずね励ましてきた。励ますとは言っても、私のことだから直ぐにわかるような言葉で励ましたりはしない。そんなことをすれば、同情された彼も嫌がるはずである。
フリーのライターだったKは、体調を崩したうえに足腰が弱ったこともあって、今は相模原にある介護施設に入所している。クルマで1時間半ほどかかる場所なので、せいぜい年に3~4回顔を出す程度である。この夏は、暑さもひどかったうえに雑用も立て込んでいたので、もう少し暑さも和らいで余裕ができたら出掛けようかと思っていた。しかし、それでは何時になるのかわからないような気もしてきて、月が替わったのをきっかけに思い切って出向いてみたのである。いささか大仰な物言いをすれば、意を決してといった感じが無きにしも非ずであった。
彼はいつものように饒舌で、私を相手にあれこれと難しい話を途切れることなく語った。彼の癖である。難しい話というのは、文学や歴史や政治や社会に関する結構大きなテーマの話である。彼の考えているようなことを少しは理解し、話し相手になれそうな人など周りには恐らく誰もいないであろうから、出掛けた私がいつも「餌食」になるのである(笑)。
時々は話し相手になるのが面倒に思うこともないわけではないが、彼の語る難しい話を聞いていると、元気でいることがわかってほっとする。お互いにそんなことを口にしたことは一度もないが、身動きがままならなくなって一人ベッドにいる彼の、嬉しさの表現なのであろう。私にはそんなふうにも思えるのである。「そろそろ帰るよ」と言うと、彼はいつものように「ああ、じゃあな」と返してきた。
遅ればせの暑中見舞いを終えたこともあったのか、はたまた月が替わったこともあったのか、夕方の渋滞に巻き込まれた帰りのクルマの中で、過ぎ行こうとする夏を感じ少し感傷的な気分になった。フロントガラスに映る周りの日差しには、猛暑の名残がまだたっぷりと漂ってはいたのだけれども…。