贈られた本を読みながら(一)

 つい先だって年が改まったばかりだと思っていたら、もうすぐ一月も終わろうとしている。節分も間近である。ちょっと前に、近くにある川和町駅の側を自転車で通ったら、既に菜の花が咲き始めていた。大寒に入ったのだから寒くて当然だが、その寒さの中にも春の予兆は潜んでいるということであろうか。ここは、満開となれば一面に菜の花畑が広がるところである。「いちめんのなのはな」が繰り返される山村暮鳥の詩「風景」を思い出す人もいることだろう。大勢の人が春を探しに来るのももうすぐである。

 一月は冬晴れの日が結構多かった。日差しがあり風がなければ、天空には澄み渡った蒼空が広がっているので、何とも清々しい日々である。鬱屈をもたらすような事態にも解消の兆しが見えつつあり、そのことも気持を穏やかにさせている一因なのかもしれない。このところよく空を見上げるようになった。年を取ってきたこともあって、自分自身の存在がどうにもあやふやに感じられてならない。だから、空を見上げることによって、自分の拠って立つ位置を確かめたくなっているのかもしれない。

 綻び始めた菜の花と冬の蒼空を眺めていて、ふと空色という言葉が浮かんだ。空色とは、晴天の日の明るく淡い青を言うようだが、表現があまりにもそのものずばりなので何だか面白い。水色なども似たような表現であろう。土色という言い方もあるが、こちらはあまりいい意味では使われていない。青という言葉を使わずに、空や水で青を表しているところがユニークと言えばユニークである。

 しばらく前に購入した『色の事典』を広げてみたら、空色の項に次のような一文があった。「晴れ渡った空の色のような明るい青。農耕民族である日本人は天候に敏感なはずだが、空の微妙な変化を示す色はほとんどない。季節や地域や時刻などによって色みが移ろうものを細かに定める意味を感じなかったのかもしれない」。その解説を読みながらなるほどと思った。

 因みに、空色はその名称から連想されるように、スカイブルーとほぼ同じ色にあたる。では、そのスカイブルーはどのように定義されているのであろうか。先の辞典には次のように書かれている。「日本の空色に当たる。 米国刊行の色彩辞典では『夏の晴天の10時~ 15時、水蒸気や埃の少ない状況における、ニ ューヨークから20マイ ル以内の上空を、1イ ンチの穴を開けた厚紙を目から30センチ離し て観察した空の色』と定義されている」とのこと。その遊び心に溢れた奇妙な定義に一人笑った。

 空と言えば、思い出されるのは高村光太郎の「あどけない話」であろう。「ちゑ子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」で始まるよく知られた詩である。智恵子は福島の二本松の出身だから、安達太良山の上に広がる蒼い空が「ほんとの空」だと言っているのだが、福島市で育った私であれば、安達太良山ではなく吾妻小富士とでもなるのであろうか。幼い頃から大学に入学して上京するまで、そしてまたその後帰京する度にこの山を眺めてきたからである。

 このところ寝しなに落語を聞き続けているためなのか、本題に入る前の枕の話が長くなってきている(笑)。困ったものである。言いたいことは、人には人それぞれの気になる空があって、その空を絶えず、あるいは時折眺めているに違いないとの思いである。空の青さには濃淡や深浅や精粗が生じているはずだが、その色はいったいどんなものなのであろうか。そんなことがわけもなく気になるのである。

 昨年末に知り合いのお二人から著作を贈呈していただいた。一冊は中野慶さんの『岩波書店取材日記』(かもがわ出版)であり、もう一冊は高木郁朗さんの『戦後革新の墓碑銘』(旬報社)である。お二人の略歴や人となりについては、詳しくはないがそれなりに知っている。だからこそ著作が贈呈されたのであろう。両著ともに、著者が現在仰ぎ見ている空を描きだしているのではないか、そんなことを予感させるようなタイトルである。だからこそ妙に心に引っかかったのであろう。

 既に研究者を廃業した身なので、過去の研究に関連するような著作が贈られてくることはほとんどなくなった。とはいえ、ごくたまにはそうしたこともある。その場合には、贈られた著作の主要な部分に目を通して、あまり時間を置かずにメールでお礼の返事を出すことにしている。早く礼状を出さないと、ついつい出しそびれそうな気がして心配になるからである。

 では、研究関連の著作ではないものが贈られてきた場合はどうか。そんな時は、礼状を出すことにあまり気を取られずに、時間を掛けてゆっくりと楽しみながら読んでみたくなる。仕事のため、勉強のための読書はとっくに終わっている。今は、読みたいものを読みたいときに読むだけであり、それが年寄りの読書のあるべき姿ではないかと勝手に思っている。追われるようにして性急に読む必要など毛頭なかろう。作者の見上げる空が広がっているであろうと思われる著作であれば、尚更である。