管理組合の理事長となって
この3月に定年退職した私は、5月から自分の住まいがある団地の管理組合の理事長などという仕事に、就かなければならなくなった。閑居の身となるつもりであったが、どうもそう簡単には問屋が卸しそうにない。そんなわけで、居住者に配布する広報誌に以下のような理事長挨拶を書いた。
こうしたところに書く理事長挨拶には、おおよその定型というものがあって、そうしたものに則って書けば無難でそつもないことは、頭では重々わかってはいる。しかしながら、どうしてもそれができない。もっと自分の言葉で自分らしく書きたいのである。こうした人間が、組織のまとめ役となる理事長などに向いているはずがない。できるだけのことはやるつもりであるが、この1年あれこれと迷惑をかけそうな気配が濃厚である。どのみち頭を下げることになるはずなので、のっけから下げておくことにする(笑)。
人気のサンドイッチマンのイントロではないが、団地で興奮するのは、自治会の役決め、管理組合の役決め、そして駐車場の選定である。しかし、駐車場の選定は全車両の駐車場が確保され料金体系が見直されたおかげで、あまり興奮しなくなった。残るは二つの役決めである。私事で恐縮であるが、私はこの3月に定年退職してこれまでの仕事からすっかり足を洗った。管理組合の役決めの夜に最後の送別会があったので、会合にはカミサンに出てもらった。夜遅く帰宅したら開口一番「サプライズ」だと言う。ふつう「サプライズ」と言えば、その後には嬉しい出来事が待っているはずだが、とんでもない「サプライズ」であった。
綾小路きみまろ風に言えば、「古希を迎えて足腰がコキコキしてきた」ので、のんびり好きなことでもやろうかと思っていたが、すっかり目算が狂った。「親の心子知らず」という諺があるが、それをもじるならば「夫の心妻知らず」とでも言えようか。とんだカミサンではある。しかしながら、時間が経つにつれて何時までも嘆いているのは余りにも大人げないような気もしてきた。これまでの多くの理事長経験者は、日々たいへんな仕事を抱えながら管理組合の仕事をこなされてきたのであろう。そうした方々と比べたら、年金生活に入って、「金はないが時間はある」身となった私が、こうした形で地域に貢献するのもありかもしれないなどと思えてきた。何とも殊勝な心がけではないか(笑)。
今期もいろいろな課題があるが、なかでも気遣いが必要となるのはペット問題であろう。私事のついでに隠し立てなく書いておくが、私の家には猫がいる。しかも3匹もである。いろいろな事情が重なってこうなった。管理組合規約の第20条に違反していることは承知しているので、臨時特別細則をしっかり守って隣近所に迷惑をかけないように努力してきたつもりである。この細則の期限が来年の5月に切れるので、その後どうするのかが検討課題となる。一方では、管理組合規約および臨時特別細則の主旨を十分に尊重しながら、また他方では、「動物愛護法」に示された時代の変化をも受け止めながら、よりよい着地点を探したいと思っている。
ちなみに、この「動物愛護法」には、「動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない」とある。緑あふれる周囲の自然を愛し、適切なルールの下に命ある生き物を慈しみ、人と人とが集い支え合い共感を育んで生きていくことができる、そんな団地のために少しでも役に立つことができるようであれば幸いである。そしてまた、そんな振る舞いが年寄りの惚け防止にも効果があるとしたら、なおのこと嬉しい(笑)。
そんなこんなで、老後の楽しみは1年後に取っておくことになった。今は管理事務所に足繁く通って菅井さんに会い、あれこれの書類に印鑑を押し続け、あっちこっちの会合に顔を出す日々である。禿頭に直射日光を浴びつつ駆け回っているので、この夏の暑さはひとしおである(笑)。