真鶴から湯河原へ
この間、二つの旅日記を続けてブログに書い継いできた。一つは「盛夏のアイヌ紀行」であり、もう一つは「処暑の岡山・倉敷紀行」である。前者は計10回、後者は計9回の長期に渡る連載となった。調べてみたら、「盛夏のアイヌ紀行」の第一回目をブログに載せたのが10月11日だったから、あれから3ヶ月ほどの月日が経ったことになる。この3ヶ月の間にもあれこれと書きたい出来事が生まれたが、連載しているものを途中で切ってしまうのは読者に失礼な気もして、連載が終わるまで新しい話を書くのを止めていた。
しかしながら、しばらく前に二つの連載も無事に終わることができた。読者の方々はいささか飽き飽きしたのではないかと想像するが、ブログを書いている私としては、ようやく一段落ついてほっとしたというのが正直なところである。老後の道楽でやっているブログなのだから、愉しいことは愉しいのだが、旅日記となると話にそれなりの纏まりも必要となる。ましてや、このブログの文章をもとに人文科学研究所と社会科学研究所の『月報』に一文を掲載してもらうつもりでいたので、そうなると少しは読むに堪えるものにしなければといった気持ちが働くことになる。だから尚更纏まりが気になるのである。
そんなこんなで少しはばたばたしたが、『月報』向けの一文もそれぞれ締め切り前に完成させることが出来た。人文科学研究所の分は校正も終えてあとは印刷を待つばかりとなり、社会科学研究所の分も締め切り前に原稿を送付してある。こんな時にこそ、「自分を褒めてやりたい」などといった聞いたふうな台詞が登場するのかもしれない(笑)。昔知り合いのMさんから聞いた話だが、「締め切り前に届くような原稿にろくなものはない」とのこと。著名な作家の言葉らしい。何とも言い得て妙ではないか。私の書くものなどはその最たるものに違いあるまい。
長い連載が終わるまでの間に年をまたいでいるので、話が前後するだけではなく季節もいささかずれているのだが、身辺雑記のような話を何回かに分けて書いてみる。二つの旅日記が結構真面目な文章だったから、これからはいつもの調子に戻して、くだけた短い話を書いてみたい。2月末には、人文科学研究所の調査旅行で今度は「島根県・鳥取県総合研究調査」ということで、石見(いわみ)、出雲、松江、安木(やすき)、境港などを廻る予定なので、出掛ければ出掛けたでまたまた真面目な旅日記をブログを綴ることになるはずである。すでにタイトルだけは決めてある。そんなわけで、くだけた短い話も「春浅の出雲・松江紀行」に入るまでの束の間に過ぎないような気もするのだが…。
昨年の11月末から12月の初めに掛けて、真鶴・湯河原・鎌倉・江ノ島、それに三浦半島に二度出掛けてきた。短期の間に計三度も出掛けてきたのだから、我ながらなかなかのフットワークの良さである。頭も軽いが足腰はもっと軽い(笑)。冬の海を眺めていい写真を撮りたいと思ったので出掛けたわけだが、年金生活者のこちらはまったくの自由の身なので、そのつもりになればいつでも気儘に出掛けることができる。天気予報を眺めていたら、冬晴れの日が続きそうだったので、この機会を逃してはならじとさっさと一人で外出することにした。「思い立ったが吉日」と諺にも言うではないか。いい写真を撮るには一人で出掛けるに限る。誰にも邪魔されたくないし、誰にも遠慮したくないからである。
二度にわたって出掛けた三浦半島の岬巡りは、ともに日帰りの撮影行だったが、最初の旅は二泊三日の一人旅であった。私がこんな旅に出掛けるのは何とも珍しい。いい写真を撮りたいとの思いが強かったこともあるが、ここで気分を変えないと身が持たない、と思わせるような事態に見舞われたこともある。自分の意見を通そうとして「闘争」することも大事だが、時には「逃走」も必要であろう。我が身は自分で守るしかない。最初に出掛けた二泊三日の旅では、先ずは真鶴に向かった。ここでは真鶴岬と中川一政美術館に顔を出す予定であったが、それは翌日に回すことにして、初日は駅の近くにある福浦港まで歩いてみた。そして港にある食堂で遅めの昼食を摂った。
この福浦港は、中川一政の作品に印象深く描かれているので、一度眺めてみたかったのである。少し風はあったが、冬晴れの海は清々しかった。誰もいない海ではあるが寂しくはない。どこかにキリリとした強ささえ感じた。のんびりと散策しながら駅まで戻り、駅から予約しておいたペンションに電話して行き方を尋ねた。そうしたら、駅まで迎えに来てくれるとのこと。しばらくして宿のクルマが来た。値段は安かったのに、ペンションの外観はなかなか立派だった。不思議に思って尋ねたところ、企業の保養施設だったものをご夫婦が買い取ったとのこと。部屋から海が眺められたのにも、比較的広めの風呂に貸し切りで入れたのにも、そしてまた、夕食に立派な舟盛りと鰺の茶漬けが出たことにも満足した。
翌朝食堂で朝食を食べていたところ、私より少し若いやはり一人旅のAさんと言葉を交わすことになった。遣り取りのなかで、真鶴岬と中川一政美術館に行き、その後真鶴駅に戻って湯河原美術館に向かう予定だと伝えた。そうしたら、私も行くのでクルマに乗りませんかと誘われた。「旅は道ずれ」とも言うから、言葉に甘えて乗せてもらうことにした。
真鶴岬の先端に出て海岸まで下り、冬の海の写真をたくさん撮った。岬の茶店で一休みした後、今度は美術館に向かった。ここにはこれまでも何度か顔を出しているのだが、いつ来ても彼の作品の力強さに圧倒される。彼は1991年に98歳で没しているが、これだけ長命であるにも拘わらず、絵はまったく枯れていない。私などはその生命力に憧れているのかもしれない。土産に絵はがきを何枚かと「氣宇如王」(きう王の如し)と書かれたファイルを買った。この書は85歳の時のものであった。何とも凄いの一言である。
その後真鶴半島のあちこちを眺めながら、湯河原美術館に向かった。美術館に併設されたレストランでちょっと変わったヘルシーな昼食を摂り、ここでAさんと別れた。何とも不思議な出会いであり別れであった。Aさんはこの後奥湯河原へ行くとのことだった。美術館では、真鶴に住んだ高良眞木(こうら・まき)という女性画家の作品展を観た。ペンションに貼ってあったポスターが気になったからである。「まなざしの奥に」と題されていただけあって、そこには鋭さと優しさと細やかさが同居していた。手にしたカタログには、「対象に向けられた鋭い眼差しによって画面上に探り当てられた線や色彩は、迫真性を超えて存在感を放ち、観る者の心にせまってきます」と書かれていた。そうかもしれない。