盛夏の北海道アイヌ紀行(五)-二つの博物館を巡って-
今回の人文科学研究所の総合研究は「北海道道央・道東総合研究調査」と銘打たれていただけあって、道央と道東にある多くの博物館や資料館を巡った。そのなかでも主要な訪問先は、初日の8月7日に訪ねた民族共生象徴空間ウポポイであり、翌日8日に訪ねた二風谷(にぶたに)コタンであった。民族共生象徴空間とは余りにも印象深い名称なので気にはなるのだが、なかなか覚えにくい。それ故、愛称としてアイヌ語のウポポイ(ウポポイとは大勢で歌うこと)と名付けられたのであろう。ここは、国立アイヌ民族博物館と国立民族共生公園からなり(他に慰霊施設もあったようだが、そこまではとても廻れなかった)、アイヌ文化の復興・創造・発展のための拠点となるナショナルセンターとして位置付けられているとのことだった。
アイヌの歴史と文化を主題とした日本国内初の国立博物館には、数多くの民俗資料が展示されていた。展示の手法も斬新で現代的であり、来場者に興味・関心を持ってもらえるようにいろいろと工夫が凝らされているように思われた。旧い民俗資料がいささかきらびやかな空間に展示されていたので、年寄りの私はそのことに若干の違和感を感じないではなかったのだが…。しかしそれは些細な問題である。
より大きな問題としては、アイヌが主に北海道の先住民族として公認されたという今日の事態を踏まえれば、和人とアイヌ民族の共生が前面に出ることに同意できないわけではないが、その前に、アイヌ民族の苦難の歴史がきちんと紹介されるべきではないのか、あるいはまた、先住民族として公認されたのであれば、先住民族の権利の復権についても指摘されるべきではないのか、といったことなどが浮かび上がってくるのかもしれない。現にそうした声もあるようだが、和人もアイヌ民族も一色ではないので、そのすべてを展示に盛り込むことは難しいのであろう。大事なことは、さまざまな展示を見ながらアイヌの歴史に思いを馳せ、自分で学んでみようと思うことなのではあるまいか。学ぶきっかけとなる材料は既に山のようにある。
また、ポロト(アイヌ語で大きな沼の意)湖もある広々とした民族共生公園は、アイヌ文化を直接感じることができるフィールドミュージアムになっているようで、伝統的なコタンや工房を始め敷地内にはさまざまな施設があった。博物館と公園内にあるすべての展示や施設を廻るにはかなりの時間が必要で、短時間ではとても回りきれない。仕方がないので、いつものように興味の湧いたところだけつまみ食いしてきた。大事なもので見逃したものも多かったことだろう。できれば再訪したい場所だった。
次に訪ねた二風谷コタンは、沙流(さる)川の内陸部に入った平取(びらとり)町にある。二風谷とはのアイヌ語のニプタイに由来し、木の生い茂るところという意味である。「アイヌ文化のふるさと」と称されているだけあって、ここもなかなか広いエリアである。予定された時間ですべてを見て回ることは無理なので、二風谷アイヌ文化博物館と沙流(さる)川歴史館と萱野茂二風谷アイヌ資料館に絞って、じっくりと眺めることにした。各施設がそれほど広いわけではないし、しかも三つの施設が案外近くに建てられているので、見学する方からすれば助かる。
見学の後、施設内に椅子に腰掛けてお茶でも飲めるところがあったらいいのだがなどと、勝手なことを考えた。というのは、年を重ねたこともあって、立ったまま見学し続けることに疲れを感じるようになったからだし、さらには、ここで手にした資料をこの場でゆっくりと広げてみたかったからである。旧い民俗資料が、その旧さに相応しい場所に展示されているようにも思われた。しかしながら、入口付近に掲示されていたポスターは、現代的で実に素晴らしい出来映えだったのでいたく驚いた。受付で入手したいと申し出たところ、無料で分けてもらうことが出来た。ダメもとで言ってはみるものである(笑)。今は自宅に飾ってある。
このポスターには、間にアイヌの美しい文様が刻まれた5本のイクパスイが並べられている。イクパスイとは、アイヌが儀式で使用する木製の祭具のことで、日本語では俸酒箸と呼ばれるものである。ポスターのうえには NIBUTANI AINU CULTURE MUSEUM と英語で大きく表記され、下には小さな文字で「手作りの民具たちが時を超えてあなたに語りかけてくる」とあり、さらに小さな文字で「狩る、採る、 耕す、織る、編む、縫う、 装う、彫る、 祈る、 弔う、歌う、 踊る、語る…大自然と共存し、人間としての誇りを尊ぶ、その知恵と精神を学ぶための博物館です」とあった。私には、先のウポポイに掲示されていてもおかしくはない、それどころか、そちらにこそ相応しいもののようにも思われた。
もっとも興味深かったのは、萱野茂二風谷アイヌ資料館である。萱野茂は、アイヌ文化やアイヌ語の研究者であり、夥しい著作もあり、またアイヌ初の国会議員にもなった人物である。加えて、北海道文化賞を始めさまざまな賞も受賞しているので、アイヌの世界では最も著名な存在だと言ってよかろう。資料館は、彼のそんな足跡が分かるように作られていた。気になったのは、叙勲の際に撮影された上半身の大きな写真と表彰状が展示されていたことである。
勲三等瑞宝章を受章した際の表彰状には、総理大臣の署名入りで「日本国天皇は萱野茂を勲三等に叙し瑞宝章を授与する」と書かれていた。こうした表彰状を見るのは初めてだったので、たいへん興味深かった。彼は素直に栄誉なことだと思っていたのか、それともアイヌ民族の存在をようやく天皇と総理大臣にまで認めさせることが出来たとでも思っていたのか。本当のところは私には分からない。臍曲りな私には、あの写真の大きさから見て前者の可能性も否定できないように思われたのだが…。
萱野茂に触れたついでに、彼の著作である『アイヌ歳時記』 (ちくま学芸文庫、2017年)の最後に付されていた北原次郎太の解説を紹介してみたい。何とも気になった一文だったからである。そこには、「外からの視点で萱野の研究を見ると、沙流川流域の情報に立脚していることが、研究上の限界をも生んでいることに気づく。つまりアイヌ文化の内なる多様性への言及や周囲の異文化との比較検討は、皆無ではないにせよ多くはない。(中略)細かな差異よりもアイヌ文化としての同質性を強調する場面が多く見られる」と。
さらには、「研究上の領域という点では、衣食住から言語、文学、信仰まで広い領域をカバーしているものの、性に関する研究、差別に関する研究は比較的少ない。性については、蓄積したデータはありつつも、発表を控えた面もあるようだ。差別については、和人からアイヌに向けた差別についての言及がほとんどで、アイヌ社会内部に存在した力の不均衡にはほとんど触れていない」と言うのである。
そしてまた、「萱野は生前から、知里(『アイヌ語入門』の著者で言語学者の知里真志保(ちり・ましほ)のことであるー著者注)と同様に『自身がアイヌである研究者』として特別視される風潮があった。没後にはいっそう巨人として仰ぎ見るばかりで、その言説に疑義を挟むこと、批判的に読むことを躊躇するような雰囲気が強まっていないだろうか。他文化の研究者には『萱野さんが言うんだからそうなんだろう』という態度も見られ、アイヌ研究においても萱野の説だからと無批判に自説の論拠とするものがある」とまで述べられている。アイヌ民族に関して無知だった私が、俄勉強をもとにして偉そうに何かを語る気など毛頭ないが、あれこれと考えさせられる指摘であった。
(追 記)
先日、近くのスーパーに食料品を買いに行った。トマトを買おうと思って棚を眺めていたら、「ニシパの恋人 北海道産びらとりトマト」が置いてあった。あの平取だとわかって直ぐに籠に入れた。そこには、平取町が「国内有数のトマトの産地」だとも書かれていた。ニシパとはアイヌ語で紳士や金持ちを表しているとのこと。ニシパが健康な身体を保つために、真っ赤に熟れたトマトを毎日食べて、恋人のように愛してしまったという物語から、「ニシパの恋人」と命名されたらしい。私も恋人を毎日食べているのだが、トマトも随分と高くなったものである。