盛夏の北海道アイヌ紀行(二)-映画『シサム』を観ながら-
こんなふうに北海道の思い出を辿っていて今頃気が付くことは、これまでの私には、先住民族としてのアイヌの人々に対する関心が皆無だったことである。昔一度だけ阿寒湖の畔にあったアイヌコタンを覗いたことがあったが、それとても観光地の一つとして訪れたにすぎない。アイヌの衣装を着た店の人と一緒に、写真を撮らせてもらったりもした。ただただ物珍しく感じたからなのであろう。今から考えると何と恥ずかしい振る舞いであったことか。
木彫りのスカーフリングやストラップ、あるいは平板に彫られた鮭やアイヌのエカシ(古老)とピリカメノコ(美しい女性)の顔を彫った土産物なども買ったことがあるが、いずれもたんなる民芸品として買ったにすぎない。そこにアイヌの人々面影などは宿っていなかった。しかしながら今回の旅は、これまでとはまったく違った。その照準が、はっきりとアイヌに当てられていたからである。
千歳空港で待ち合わせた後最初に出掛けたのは、白老(しらおい)にある愛称ウポポイと呼ばれる民族共生象徴空間である。空港から貸し切りバスで40~50分で着いた。ここでは、入口付近にあった店で、昼に一人でアイヌ料理を食べてみた。チェプオハウと呼ばれた鮭や大根、人参などのぶつ切りが入った汁物である。博物館の見学の後にアイヌの歴史や文化を思い浮かべながら食べたので、先住民族アイヌの存在が身近に迫ってきた。どこかに太古の懐かしささえ感じたのである。
この夏に映画館で3本の映画を観たことは、すでにブログで紹介済みである。しかしながら、正確に言えば9月に入ってもう1本観たので、計4本ということになる。最後に観たのは公開されたばかりの『シサム』(ムは小文字。監督・中尾浩之)である。新聞の紹介記事を読んでみたところと、アイヌの世界がきちんと描き出されているようだったので、興味を持って観に出掛けたというわけである。ブログに文章を綴る際に、何かの役に立つかも知れないと思ったことも勿論ある。
アイヌの世界を知るうえでは、コミックだけではなく映画化もされた野田サトルの『ゴールデンカムイ』が参考になりそうだったが、コミックは全31巻にも及ぶような長編であったし、映画もまたシリーズで何本もあってこちらも長かったので、高齢者となった私には無理ではないかと感じて早々と諦めた。埋蔵された金塊を巡る冒険譚に、今一つ身が入らなかったこともある。
アイヌの人々も登場するコミックに手塚治虫の『シュマリ』もあるが、こちらは明治政府が行った北海道「開拓」が、「侵略」とも言うべき様相を呈していたことを背景にした男と女の物語であり、アイヌの世界が直接描かれていたわけではない。もっとストレートにアイヌの世界を描いた映像はないのかと探していたところに登場したのが、『シサム』であった。
タイトルのシサムとはアイヌ語で「よき隣人」という意味だとのことで、そこには和人とアイヌはよき隣人たり得たのか、たり得るのかという問いかけがある。手にしたパンフレットには、「白糠(しらぬか)を舞台に描かれた、今の時代に観るべき、壮大な歴史スペクタクル」とあって、「アイヌと和人との対立の歴史を描いた本作は、江戸時代前期が舞台の壮大な歴史スペクタクル映画。蝦夷地と呼ばれた現在の北海道を領有した松前藩が、アイヌとの交易をおこなっていた史実が基になっている。北海道の大自然の中で、激動の歴史の渦に巻き込まれた武家の若者がアイヌの異なる風習や文化に触れ、それらを理解することによって己の人生を見つめ直してゆく物語は、現代に通じる社会問題を訴求させる。アイヌの文化や言葉に対する関心が高まっている今、観るべき映画がここに誕生した」と書かれていた。
「壮大な歴史スペクタクル映画」として成功しているかどうかについては、さまざまな見方があるだろうからここではこれ以上触れないが、史実を下にしてアイヌの世界を描いた映画としては、たいへん興味深い作品となっているように思われた。映画の主題歌は、中島みゆきの「一期一会」である。彼女のこの歌が使われたのは、和人とアイヌの一期一会の遭遇がもたらしたものは一体何だったのかを問うていたからであろう。
舞台となった白糠は、釧路市の中心部から西に30キロほど離れたところにある。この町名はアイヌ語のシラリカを起源としているとのことで、もともとアイヌ民族によって開かれた場所である。考えてみれば、そもそも北海道の先住民族はアイヌなのだから、北海道内の地名のほとんどがアイヌ語に由来しているのは、当然と言えば当然のことではあるのだが…。アイヌ語由来の地名には、アイヌ語の発音に漢字を当てはめたものと、アイヌ語を和訳して漢字に当てはめたものとがある。とりわけ釧路の沿岸部は道内屈指の難解な地名の密集地帯なのだという。
今回の調査旅行では日程の都合上立ち寄ることが出来なかったが、ここにはアイヌ協会やアイヌ文化保存会といった団体に加えて、ミュージアムも建てられており、毎年アイヌの伝統行事も行われているのだという。そうした団体の指導や地元の人々の支援を受けて映画が撮影されたようである。時代考証がしっかりしていたからこそ、アイヌの人々の日常の暮らしや篝火の下での宵の鮭取り、そして闘いの様がかなりリアルに感じられたのであろう。アイヌに扮した俳優たちがアイヌ語で会話していたのも、役柄上当然とはいえ立派である。この映画のストーリーをもう少し紹介してみると次のようになる。
江戸時代前期蝦夷地と呼ばれた現在の北海道にあたる地域を領有する松前藩は、米が獲れぬこともあってアイヌとの交易が主な収入源となっていた。 松前藩士の息子である主人公は、武芸に励む青年武士。彼の家は、アイヌとの交易で得た物品を他藩に売ることを生業としていた。持参した米俵を、熊や鹿の皮などと交換するのである。父親が亡くなって1年。 交易の旅で初めて蝦夷地に向かう決心をした主人公に対して、藩の師範は、蝦夷で不穏な動きがあるので警戒するよう忠告する。
やがて主人公は、使用人を伴って、兄と共に家の商場(あきないば)である蝦夷のシラヌカへと旅立つ。海を船で渡って蝦夷地へとやって来た一行は、浜辺に野営。そこで兄は主人公に対して、蝦夷という言葉には蔑(さげす)む意味合いがあり、無礼に当たるためアイヌと呼ぶよう諭す。 主人公は、アイヌという言葉に人間という意味があることを初めて知るのである。
ここにも指摘されているように、アイヌとはある種の誇らしささえ含まれた人間という意味であり、神であるカムイと対をなしているとのことである。神は大自然であり、世界に存在するすべてのものに宿っていると考えられている。アイヌの人々が暮らす大地はアイヌモシリであり、そこに作られた集落がコタンであり、一つ一つの住居はチセと呼ばれる。数軒のチセが集まってコタンが形成されていたのである。
先の映画では、撮影地に伝統的な工法でチセが作られ、その内部での生活の様子も詳しく描かれている。興味深かったのは、夜の川での鮭の捕獲であり、チセの内部での食事を始めとした暮らし振りであり、松前藩の和人とアイヌとの戦闘の様子である。白糠ではシャクシャインの蜂起に呼応して起つことはなかったようだが、それでも戦闘状態となる。草叢に忍んで毒矢を放つアイヌに対して、和人は鉄砲で応戦するのである。
その背景にあったのは、松前藩の交易の相手であったアイヌの側が、藩の行っていた商場知行制(あきないばちぎょうせい)によって、深刻な影響を受けていたからである。わかりやすく言えば、経済学が教えるところの需要独占ということになろうか。アイヌの側は、それぞれの商場を知行地としている松前藩の人間としか交易が出来なくなる。自由な交易が妨げられたことが、和人主導の交易を生み出すとともに、彼らの横暴なる振る舞いをも誘発していくのである。必然の成り行きだったのであろう。先住民族アイヌの苦難の歴史が、こうして始まるのである。勿論ながら、商場知行制に対するアイヌの側の反撥も、徐々に広がっていく。これまた必然の成り行きだったと言わねばなるまい。
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