横浜市長選挙騒動記(完)

 最後の駅頭宣伝が行われた日からちょうど1週間後に、MRI検査を受けるために、駅の側にある昭和大学横浜市北部病院に出向いた。家の近くの医院で横浜市が毎年実施している健康診断を受けたところ、精密検査が必要な箇所が見付かったためである。いささか鬱陶しい気分で病院に出向いた。名前だけは聞いたことがあったが、この検査を受けたのは今回が初めてである。立派な機器の割にはやけにうるさい音がする検査だったので、びっくりした。

 検査が済んで病院を出た後、せっかく側まで来たので駅前の広場へと足を延ばしてみた。広場は、あの日の熱気をすっかり忘れたかのように見えた。静けさを取り戻しており、人通りもまばらだった。日は暮れてはいなかったが、佐藤愛子の著書のタイトルである『戦いすんで日が暮れて』が、ふと頭をかすめた。何やら感傷的な気分になっていたからであろうか。夏の名残はまだ十分にあったが、少しずつ秋の気配が漂い始めているようにも感じられた。たった1週間しか経ってはいないのに、季節は確実に巡っているのである。

 そして9月10日には、当選した山中新市長の所信表明演説が市議会で行われることになった。知り合いに傍聴に行かないかと誘われたこともあったし、私自身機会があれば新庁舎を一度眺めてみたいと思ってもいたので、出掛けることにした。これがカジノの誘致問題に公式に決着を付ける場となるはずだったので、傍聴に出掛けて、自分自身のこれまでの運動への関わり方に一区切り付けたかったのかもしれない。翌々日は私の誕生日である。74歳にもなるので、これからは身の丈に合った生き方を大事にしなければならないなどとも考えた。

 待ち合わせの時間が早かったので、何も食べずに家を出て、駅の構内にあった喫茶店でトーストとコーヒーのみのシンプル過ぎる朝食をとった。この喫茶店は、一昔前のような雰囲気を漂わせた古びた店だった。老夫婦が二人で経営しているようで、客もまた私のような年寄りが多かった。流行のカフェなどよりも気軽に入れて、何となく気持が落ち着くからであろう。私も同じである。目新しいもの、流行のものに近付くことに、どこか気後れするようになってきたのである。しかしそれにしても、横浜のど真ん中に今でもこんな店があったのかと、少しばかり驚いた。

 しばらく歩いて市庁舎に辿り着いたはいいのだが、議場に入るまでの手続きがなかなかたいへんで、大分待たされた。あまりに待たされるので、所信表明の開始に間に合わなくなると苛立った方もおられたようだ。私はと言えば、このところ年の所為なのか昔ほど苛々しなくなった。もっとゆったり構えて生きていきたいなどと願っており、いつもそう心しているからである。もっとも、これはまったくの主観的な願望に過ぎないのかもしれないのだが…。

 傍聴者に渡された紙には注意事項が書かれており、帽子・マフラー・コートをとれ、はち巻・腕章をするな、スマホをいじるな、私語をするな、飴やガムまで含む飲食をするな、発言したり、拍手をするな、などとあった。今時の学生に聞かせたくなるような注意事項がてんこ盛りだったので苦笑いした(笑)。市議会に傍聴に来るような人間は、得体の知れない存在であり、放っておけば何をするか分からない「不逞の輩」とでも思われているのかもしれない。

 注意事項を真面目に読んでいるうちに、市民は議場ではすべからく品行方正であれとたしなめられているような気分に陥った(笑)。市会議員の「先生」方に注意されている「生徒」の市民といった構図である。こんな立派な場でカジノの誘致を勝手に決め、住民投票条例の請求を葬り去ったのであるから、自民党や公明党の諸「先生」方は余程模範的な優等生なのであろう。あまりに馬鹿馬鹿しくて、笑うに笑えなかった。注意事項に「勝手に決めるな」とか「地方自治を守れ」などと書かれていなかったのが、何とも残念ではあったのだが…(笑)。

 こうしたものを真顔で決めた人々は、議場を神聖な場で権威の象徴ででもあるかのように勘違いしているのであろう。拍手をした私に衛士の方が注意に来られたが、彼は立場上そうしているのであろうからと、あまり気にもせずに適当に聞いておいた(笑)。品行方正とは縁遠い人間なのでやむを得ない。所信表明の冒頭、山中市長はカジノ誘致の撤回を文字通りきっぱりと「宣言」した。何とも見事な言いっぷりであり、長らく続いてきた市民運動の成果が実った瞬間だった。少し前から運動に近付いた私などでも、柄にもなく感ずるものはあったから、7年も前からこの運動に携わってきた方々は感無量であったことだろう。

 この日はついでだからと、新市長の所信表明だけではなく自民党の代表質問まで聞いたが、自分たちの右往左往振りをすっかり忘れた、嫌みたらたらの質問だった。そして自民党席からは拍手もあった。「品行方正」とはとても言い難い質問であり拍手であった(笑)。市長選挙に大差で負けたことが余程悔しかったのであろう。そのことがいささか鈍い私にも手に取るように分かったので、我が身を省みることさえ知らない質問者に、哀れを催した。そしてたいそう愉快であった。その後、新聞報道でオペラハウスの構想も撤回されたことを知った。当然のこととはいえ嬉しかった。

 帰り際に外から眺めた市庁舎は、何だか勝利のモニュメントのようにも見えた。もっとも私のような時代遅れの人間は、「権威」の外観を削ぎ落とした、もっと庶民的で気軽にサンダル履きで入れるような建物の方が、好みではあったのだが…。すぐ近くにあったにも拘わらず、古びた喫茶店とあまりにも立派な市庁舎との落差が、何とも大き過ぎるような気がした。市長室が何処にあるのか私などは知らないが、見晴らしも素晴らしいであろう立派な市長室から外界を睥睨(へいげい)していたら、IRやオペラハウスは構想できても、古びた喫茶店に象徴されるよう市民の存在などは、ほとんど目に入らなくなっていたのかもしれない。

 当初は2~3回で終わるはずだった「横浜市長選挙騒動記」も、書き始めたら5回にも及ぶような長いものになってしまった。書いている本人も驚くような予想外の長さである。しかし、それも今回で最後となる。柄にもなく政治の話に足を踏み入れてみたのだが、面白く読んでいただけたようであれば幸いである。ある旧知の読者からは、筆が滑べり過ぎているのではないかと真顔で心配されたぐらいだから、もしかしたら、品のない書きっぷりに辟易された向きもあったかもしれない。いや、きっとあったことだろう。妄言多謝。

 コロナ禍のなかでの五輪開催の強行によって、日本は「第三の敗戦」を迎えたのではないかと思われるのだが、そうした社会にこれから必要とされているのは、見かけ倒しの「成長」や無闇にあくせくするだけの「効率」や流行り物を追い回すだけの「改革」などではなく、大人の落ち着きなのではなかろうか。そんなことを恥ずかしげもなく偉そうに書きたくなっているくせに、大人の落ち着きなどとは縁もゆかりもない文章を、よくもまあだらだらと綴ったものである(笑)。それでも、ここまで書いて書くべきものを胸の内からすべて吐き出したら、当初の興奮もようやく収まってきた。

 ブログには、胸に詰まったものを吐き出して、ありのままの自分を取り戻す「解毒剤」のような効用もあるのだろう(こうなると、書いたものは「げろ」になってしまうのだがー笑)。暇になるとブログに向かいたくなるのは、もしかしたらその所為なのかもしれない。そして、これで何時もの自分に戻れるに違いないなどと思ったりもした。帰り際に、駅への通路となったデッキから空を見上げてしばし佇んだ。鮮やかなスカイブルーの空には、秋の雲がゆったりと浮かんでいた。夏の雲とは違ってどこか所在なげに…。

 秋雲は 老いの心に さも似たり  虚子