東日本大震災私記(完)
おわりに
浄土ヶ浜から岩手の県央を抜けて盛岡に戻ってみると、夕方の駅ビルは土産物を抱えた多くの客でごった返していた。同じ県内でも雲泥の差である。ここには寂しさは見えなかった。東京駅に降り立ったら、震災の記憶などはもはや欠片しか残っていないようにも思われた。その欠片でさえも、オリンピックなどに浮かれていけば雲散霧消していくに違いない。記憶する意志がなければ、何事も記憶されることはないからである。「あの日」の「その後」などは、ただの空疎な情報となって、眼前をさらさらと流れていくだけであろう。「忘れ去られること」とはそうした事態をさしているのではあるまいか。
同じようなことは、原発事故についても言えそうである。もう紙数も尽きているのでほどほどにしなければならないが、福島の人間としてはどうしてもこの話に触れないわけにはいかないのである。一例をあげてみよう。首相の安倍晋三は、東京電力福島第1原発の汚染水問題について、「汚染水の影響は完全にブロックされている。世界で最も厳しい安全基準がある。日本にやってくるアスリートに責任を持つ」と述べた。オリンピックの招致のためなら、どんな放言も許されるとでも思っているのであろうか。戯言の極みである。こうしたことの積み重ねのなかで、「あの日」の「その後」は徐々に忘れ去られていくのであろう。
今回の投稿の(二)で紹介しておいた伊丹万作の表現を用いるならば、今日において我々を「家畜的な盲従」に誘いがちなのは、天皇や軍部といった権力神話ではなく、成長や効率といった経済神話のほうであろう。真や善、時には歴史の偽造による美さえ装った(安倍晋三は『美しい国へ』などといった本さえ書いている)そのベールを引き剥がして、人間としての「思考力」と「信念」を再起させなければならないのである。大事なのは、あれこれの雑知識ではなく「思考力」なのであり、流行り物に簡単には流されまいとする「信念」なのではあるまいか。
かつて詩人の宗左近(そう・さこん)は、戦死した若者たちの死を悼んで、生き残った者のなすべきことは「死者の夢を再組織化する」ことだと述べたことがある。そのためには、メメント・モリと言われるように、死をこそ記憶し続けなければならないのであろう。再訪の意味を確かめるために、薄れかけた死の記憶を呼び戻すために、死者の夢を思い起こすために、そしてまた騙されやすい自らを戒めるために、駄文を承知で「東日本大震災私記」などといったとりとめのない文章を綴ってみた。少しは興味を持って読んでいただけたならば、嬉しい限りである。