最後のゼミの集まりに顔を出して
私の誕生日に合わせて、毎年9月の半ばにゼミのOB・OG会が開かれており、今年も例年のように新宿の居酒屋であった。この私は、このところ夜に盛り場の飲み会に顔を出し、遅くまで飲み食いし喋っていることに何とも言えぬ疲れを感じるようになった。雑踏にも満員電車にも大都会に氾濫する匂いや音や目映い光にも、深い違和感を覚えるようになってしまったのである。言うまでもなく年の所為であろう。もう無理は禁物である。今年喜寿を迎えることもあって、私がゼミのOB・OG会に顔を出すのは今回を最後にしたいと、いつも幹事を引き受けてくれているMさんに伝えておいた。丁度いい区切りのように思われたからである。
今年の集まりには、一次会、二次会合わせて20名近くの元ゼミ生が集まった。ゼミ生の一人一人には私なりの思い出もあるので、彼・彼女らの語る昔のゼミの話や近況報告を興味を持って聞いた。結婚、転職、家族、マイホーム、健康とさまざまな話題が登場した。聞いていると、ゼミ生の多くが40代に入り、人生の転換点を迎えているようにも感じられた。不参加だったゼミ生たちは今頃どこでどうしているのだろう。毎年思うことだが今回もまたふとそんなことを思った。夜遅く帰宅して、疲れもとれた翌々日にお礼の一文をLINEに書き込んだ。このゼミのLINEには、40名を超えるゼミ生が加わっており、そこに書き込めば全員に伝わることになる。その一文は以下のようなものである。
ゼミ生の皆さん
一昨日はゼミのOB・OG会に1年ぶりに顔を出したわけですが、その場で喜寿の祝いまで催していただき、本当にありがとうございました。そんなことをまったく予期しておりませんでしたから、感激もひとしおでした。青いバラの花まで入った立派な花籠、感謝状の文字が入ったケーキ、それにお車代までいただきました(他に個人的なプレゼントもありました)。当初は一次会で帰宅すると心に誓って参加したわけですが、ここまでされては二次会に顔を出さないわけにはいかなくなりました(笑)。連休の初日にも拘わらず参加された皆さんには、大分散財させたのではないかと思い、感謝するとともにいたく恐縮しております。
当初は、昨日直ぐにでもお礼のメールを出そうかと思いましたが、前日の疲れか残り頭がぼんやりしていたため、パソコンに向かう気力が出ませんでした。それに、スマホで長い文章を書くのはたいへんだなあとも思ってもいましたので…。今日は通常の状態に戻りましたので、お礼のメールを書くことにしたのですが、その時はたと気が付きました。パソコンでメールの文章を書き、それを私のスマホに送り、そして次にその文章をコピーしてLINEに貼り付ければいいのだということを。そんなやり方でこの文章を今書いているところです。ぐっと気分がらくになりますね(笑)。
新宿では、東口に出てから道に迷ってしまいました。慣れない手付きでスマホのマップをいじってみましたが、年寄りには使いこなすのがなかなか難しい。10冊の冊子を提げて駅の近辺を彷徨いたわけですが、こんなことをするのもこれが最後だなあと思うと、何とも感傷的な気分になりました。去りゆく夏と重なりましたから、尚更そんなふうに思えたんでしょうね。定年後に「第二の人生」に足を踏み出したわけですが、その際研究者を廃業し雑文家を目指すことにしました。その後、皆さんにも思い出深いであろう5階の隠れ家を売却し、書籍をあらかた処分し、クルマを売り払い、固定電話を解約し、年賀状を辞することにしました。
そうした流のなかで、今年喜寿を迎えたことを機に、ゼミのOB・OG会への参加も最後とさせていただくことにしたというわけです。励まし半分やお世辞半分で「まだまだ元気じゃないですか」などと言われることもないわけではありませんが、惜しまれたり、大事にされたり、喜ばれたりしているうちが華なのではないかと思います。たいしたものではありませんが、例え僅かでも華が残っているうちに、ひとつひとつに自分の手で区切りを付けながら、人生の下り坂をゆっくりと降りていく、そんな生き方も悪くはないような気がします。少なくとも自分の性には合っているように思われるのです。広い意味での美意識がなせる術なんでしょうね。
現在は、毎週のようにブログに雑文を書き、1年間書きためたそれらの文章をもとにして、シリーズ「裸木」という冊子を毎年作成しております。自分出版社でもあり一人出版社でもある「敬徳書院」を立ち上げ、そこから刊行しています。ブログへの投稿といい冊子の刊行といい、いずれも老後の道楽にすぎませんから勿論たいしたものではありませんが、飽きもせずに愉しく雑文を綴り続けているところをみると、こういうことが殊の外好きなんでしょう。さらに、最近風景写真の面白さに目覚めたこともあって、時折カバンにカメラを放りこんであちこちに出掛けることもあります。いい気分転換にもなります。そんなわけで、今後ゼミのOB・OG会で皆さんと顔を合わせることはなくなりますが、こちらが生きていればたまには顔を合わせることもあるでしょう(笑)。その時にはどうぞよろしくお願いします。
ところで先の冊子ですが、年賀状をもらうなどして住所の分かっている方は、送付先のリストに載せて贈呈させていただいておりますが、それ以外の方には送っておりません。もしも読んでみようと思われる方がおられましたら、私の電話番号にショートメールを送っていただき、住所を教えていただけませんでしょうか。電話番号は090-5320-4089です。いったんリストに載れば、後は毎年冊子が自動的に届くことになります。それから、結婚された方もおられたようですが、こちらも連絡いただければお祝いの品をお送りするつもりです。遠慮なくお申し出下さい。ただし、お祝いは一度のみに限らせていただきます(笑)。
そしてまた、私の近況などはブログで知ることが出来ますので、もしも機会がありましたら覗いてみて下さい。「高橋祐吉」または「敬徳書院」で検索していただければ、直ぐに辿り着けます。2018年の8月に「敬徳書院」のホームページを立ち上げましたが、しばらく前に新規の閲覧者が1万名を超えました(こう書いてたっぷり自慢しているわけですが-笑)。勿論ほとんどはチラ見の方だろうとは思いますが、ここまで到達できて何とも嬉しい限りです。そこで、これを機に閲覧者の数を数えることも止めることにしました。冊子の方は現在8号まで刊行できました。当初の目論見通り10号を終刊号とする予定です。
とんでもなく長い文章をLINEに送り付けることになりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。ゼミ生の皆さんも、俗に言う男盛りや女盛りの時期を迎えています。人生の折り返し点に立って、「常識にとらわれない自由な精神」を思い出し、心身をいたわりながら踏ん張って生き抜いてもらいたいと願っています。最後の最後になりましたが、ゼミのOB・OG会が今回まで長きにわたって毎年続けてこれたのは、Mさんを始め幹事の方々の尽力があったからでしょう。随分と長い間お世話になったものです。ありきたりの感謝の言葉しか言えませんが、本当にありがとうございました。-陰の立て役者であった今は亡き内田君を偲びながら-
以上が先日ゼミのLINEに投稿した一文である。こう書いたら二人のゼミ生が住所を知らせてきた。そこで、第8号となる冊子と結婚祝いを贈った。また別のあるゼミ生は自宅まで顔を出すとのことだった。こんな話を朝食後に家人に話したら、彼女も我が家に顔を出したゼミ生のことをよく覚えていて、思い出話に花を咲かせた。そんなことをしていたら急に昔が懐かしくなり、創刊号の『記憶のかけらを抱いて』に収録しておいたゼミ論文集のはしがきを読み直してみた。今から振り返ると、あの頃ゼミ生もそして私も眩しいほどに輝いていた。ゼミに恋していたのである(笑)。ゼミ生と会うのが愉しかったから、毎週のゼミや打ち上げの飲み会やゼミ合宿が待ち遠しかった。当時から大分時間が経過したが、あの頃の煌めきはいつまでも胸を離れない。
(付 記)
この夏には二部のゼミ生たちとも顔を合わせた。いつも幹事役を引き受けてくれるI君から、「みんなで集まるので先生も来ませんか」と声を掛けられたので、集合場所となった東京駅構内の食事処に出掛けてきた。こちらの集まりは比較的小規模であり、しかも毎年毎年定期的に集まっているわけでもない。たまたま集まるきっかけがあると、私にも声が掛かるといった関係である。二部のゼミにもあれこれの思い出はある。当日集まったゼミ生たちも、当時が愉しかったから集まるのであろう。しかしながら、こちらの集まりに顔を出すのも今年で終わりにするつもりである。一部のゼミのOB・OG会への参加を最後にしたのと同じ理由である。惜しまれているうちに去るのがいいのであろう。