暮れゆく年の瀬に
今回のものが今年最後のブログへの投稿となる。敬徳書院のサイトをネット上に公開し、「店主のつぶやき」と称するブログを始めたのは、今年8月21日のことである。その後ほぼ4ヶ月経過したことになるが、この間に今回のものも含めて計27回投稿した。当初頭にあったのは、1週間から10日に一度ぐらいの頻度で投稿することだったので、予想していた回数を上回ることになったわけである。そこまでできるとは思ってもいなかったので、何とも嬉しい誤算ではある。しかしながら、調子に乗って身の程も知らずにスピードを上げ続けていると、あっという間に息切れするという危険もある(笑)。日頃我が身に言い聞かせている、「焦らず、慌てず、諦めず」の精神を忘れないように心掛けなければなるまい。
比較的長めの文章を、ここまで途切れることなく投稿し続けることが出来たのは、既にあちこちに書いたものを大分活用したからである。それなしには難しかったはずである。さらにもう一つの理由を付け加えておくならば、こうした雑文を綴ることがかなり性に合っていたからなのではあるまいか。この年になって、そんな自分を「再発見」することになった。そのことが、裸木となった身に、少しは軽やかさや淡い彩りを与えてくれているような気がしないでもない。密かな愉しみや細やかな充実感、そうしたものから生まれる心穏やかな日々をしみじみと味わうことができるのも、老後ならではの贅沢と言えるのではなかろうか。
果たしてこの後どうなるのか私にもわからないが、もしも元気であれば、年が改まってからも引き続き同じように投稿し続けたいと思っている。退職後は、地域の社会運動や市民運動に顔を出し、日頃の運動(sports)不足を別な運動(movement)で解消しようなどと不埒なことを考えているのであるが(笑)、しかし、それはたんなる愉しみとは違った性格のものなので、心身にあれこれのストレスをもたらすことになる。多様な人間関係によって生み出される鬱陶しさが降りかかってくるのである。年を取ったら面倒な人とは付き合いたくないし、そんな我が儘を通してもみたいのだが、現実はなかなかそうもいかない。身から出た錆なので我慢するしかなかろう(笑)。
いささかささくれだった気分の時に、ブログに投稿するために一人パソコンに向かっていると、いつしか心が静まってくる。私にとってのブログは、格好のストレス解消剤なのかもしれない。老後の道楽に過ぎないこのブログの熱心な読者など、ごくごく少数のはずであるが、そうした方々に引き続きお読みいただけるようであれば、店主にとってそれに勝る喜びはない。夜ベランダに出てみると、「木枯らし途絶えた冴ゆる空」には、かすかに星が瞬いている。「ものみな憩える静寂(しじま)のなか」に浮かんだ裸木の枝先は、繊細ではあるのだが何やらたおやかさを増しているようにも見える(以上文部省唱歌『冬の星座』より)。私にとっては忘れ難い年となった2018年も、残すところあと僅かである。皆様どうぞよいお年をお迎え下さいますように。
裸木に明日見えてゐる高さあり (岸本砂郷)
独り居て諦めもせず冬構え (店主)