晩夏の佐渡紀行(六)-「佐渡版画村美術館」のこと-
ところで、相川の町を巡っている途中で、佐渡版画村美術館の建物が目に留まった。一人旅であれば必ず覗いてみるところだが、ここでは勝手な行動は許されない。調査旅行に連れて来てもらっている年寄りであれば尚更である。そう言えば、宿泊先のホテルの廊下にも毎年佐渡で開催されているという「はんが甲子園」の入賞作品が展示されていた。粒ぞろいの優れた作品がたくさん展示されていたので、佐渡と版画にどのような繋がりがあるのか気にはなっていた。
まず佐渡版画村美術館の方であるが、この施設のホームページには次のようなことが記されていた。版画家で高校教師でもあった高橋信一が指導した版画運動の成果を集めた版画専門の美術館であり、彼の遺作や佐渡在住のアマチュア作家の作品を中心に約300点が常設展示されており、また木版画だけではなく銅版画やシルクスクリーンなど多彩な版画に出会える美術館だというのである。
開館は1984年だから大分前になる。高橋信一(1917~86)についても何も知らなかったので、こちらについてもネットで調べてみると、彼は佐渡の両津高校で教師をするかたわら版画を制作し、また退職後は佐渡を「版画の島」にするという思いで、島内の各地を廻って精力的に版画の指導を行い、「版画村運動」を進めた人物として知られているとのことであった。彼は、農民や漁民による版画制作と普及活動を通じて、「過疎化に対抗する地域づくり」を目指したというのである。美術館が完成して2年後には亡くなっているが、どのようなところにもこうした情熱的で魅力的な人物はいるのであろう。
これを機に、『佐渡版画村作品集』(あすか書房、1984年)を手に入れて眺めてみた。佐渡を描いた土着的な作品も数多く収録されており、土の匂いや海の匂い、さらには佐渡で暮らしている人々の匂いが立ち上ってくるような作品集だった。風土や生活に密着していることから生み出される、生命力溢れるエネルギーが横溢しているとでも言えばいいのであろうか。その素晴らしさに触れているうちに、もう一つの佐渡のイメージがゆっくりと浮かび上がってくるような気がした。
版画村運動の提唱者であり推進者であった高橋は、この作品集の冒頭で挨拶文を書いている。それによれば、1982年に版画村運動が「サントリー地域文化賞」を受賞することになったのだが、その副賞100万円を基金に、市長や地域の計らいもあって、旧相川地方裁判所の建物を利用して佐渡版画村美術館がオープンすることになったのだという。
またこの作品集には、版画家として著名な萩原英雄が祝いの言葉を寄せている。彼は、各地で作られている美術館は中央の美術館を小型化したものにすぎず、地方の特色を備えているものはほとんどないと述べたうえで、佐渡版画村美術館はそれに比して、中央ともまたプロフェッショナルなものとも無縁の地域に根ざした作品群が収められる点に特色があると指摘している。たまたまではあるが、昨年の秋に山梨県立美術館で山梨出身の萩原の作品を観てきたばかりだった。こんなところで彼の文章に出会うとは思いもしなかった。
萩原が言うように、「これこそ、『地方の時代』の夜明けにふさわしい結実として、入れ物は小さくとも、その意味は大きい」ということなのだろう。佐渡版画村美術館は、普通の人々が日々の暮らしを糧にしながら制作した版画作品を数多く展示することによって、佐渡の人々に大きな自信を与えたに違いない。高橋信一についても別の方が書いている。彼は島中どこのどんな人でもその名を知る名物教師で、彼の美術教育に賭ける情熱とエネルギーは桁外れのものだったと。
版画に賭ける高橋の情熱が、佐渡版画村美術館の設立だけではなく、「はんが甲子園」の実現にも結び付いていったのであろう。高橋の提唱した版画村運動の余波が、どれ程大きかったのかが分かろうというものである。「はんが甲子園」のホームページには、以下に紹介するような一文がある。
『佐渡ヶ島』」は、独自の文化と美しい自然環境を兼ね備えた国内最大の豊かな島です。古来より順徳上皇、日蓮をはじめ能楽の祖・世阿弥等文化人が多く流され、また江戸期から昭和期にかけては世界有数の金銀山が我が国経済を支えるなど、日本の歴史に大きく関ってきました。佐渡にはこれらの歴史の中で育まれた「佐渡おけさ」「鬼太鼓」「能楽」等の色々な郷土芸能をはじめとする独自の文化が色濃く残っています。また版画家の故高橋信一氏の指導により島内全域に版画文化が根付いた「版画の島」でもあります。
このように豊かな自然・歴史・文化を兼ね備えた当地は、文化的創造に適した島と言えます。当実行委員会では、全国の高校生の豊かな想像力と創作意欲の向上と、高校生同士あるいは地域住民との交流をとおして思いで深い経験をしてもらうため平成12年度より当地で「全国高等学校版画選手権大会」(はんが甲子園)を開催し始めました。
佐渡が「版画の島」であることを今回初めて知って、私はあらためて今ここにある現在の佐渡に興味と関心を覚えた。佐渡は過去の島や歴史の島であるだけではなく、今この島に生きる人々にとっての島でもあったのである。「版画の島」という言葉が教えているのは、まさにそのことなのではあるまいか。こう書いてしまうと、何とも当たり前の話に過ぎなくなってしまうのではあるが…。
高橋は、「過疎化に対抗する地域づくり」を目指して版画村運動を始めたということだが、そこには、佐渡を過去の島や歴史の島としてしか見ない島の「内」と「外」の眼差しに対する強い違和感があったに違いない。版画村運動に賭ける彼の情熱は、そうしたところから溢れ出たようにも思われる。