晩夏の両毛紀行(五)-桐生の町を散策しながら-

 2日目は前橋から桐生に向かい、市内の伝統的建造物保存地区などを各自で自由に見学し、昼食もそれぞれでとることになった。当初は別の施設を見学する予定であったようだが、コロナの関係でそれが難しくなったために変更されたのである。不真面目な私などは、中身の濃い実態調査の間に挟まれた貴重な自由時間のように思われて、少しばかり嬉しかった。年を取ってきたこともあって、目一杯見学が続くと疲れるようになった所為もあるし、街中をぶらぶらしながらあっちこっちを見て回るのが好きな所為もある。

 私は件のAさんやBさんと連れ立って、保存地区に出て桐生天満宮に向かうことにした。この場所は、前回の調査でも見学しているので私自身はそこに出向く気にはならなかったが、連れの二人は前回の調査には参加していないので、まっすぐに天満宮に向かったようである。私としては、街中を気儘にぶらついてできたらいい写真を撮ってみたかった。勿論前回も写真を撮ったのだが、それほどゆとりなく動いていたこともあってか、どうもいい写真が撮れなかった。今ゆとりがなかった所為のように書いたが、ほんとうのところはこちらの腕前が今ひとつだからであろう。

 とりわけ有鄰館は格好の撮影地だったが、そこでの写真が、光があまり差し込まない場所だったこともあってピンボケになってしまったので、今回は是非とも納得できる写真を撮りたかった。当日は曇り空の昼前ということもあって、天満宮に向かう本町通りは人もクルマも少なかった。絹織物の最盛期には群馬一の人口を誇った桐生市だが、今その面影はない。依然として人口減少が続いているようである。そんなわけだから、通りを好き勝手に横断して、あっちに行ったりこっちに行ったりして、写真を撮った。

 写真集があればそれで済むようなものだが、前回も土産物屋で尋ねたのだがないとのことだった。ネットで検索してもそれらしきものが見つけられなかったから、今回も無理だろうと思っていたところ、町歩きの終わり近くに立ち寄った土産物屋で、『ノコギリ屋根の風景』と題した写真入りのエッセー集(あるいはエッセー入りの写真集か)を見つけた。今年の5月に出たばかりの本であった。著者は写真、文ともに簔﨑昭子(みのさき・あきこ)という方である。あとがきによると、2014年から20年にわたって「桐生タイムス」紙上に連載されたものが、この本の元になっているとのことである。

 彼女は、桐生に残るノコギリ屋根を一軒一軒訪ね歩き、写真とともにその由来を丹念にインタビューして纏めており、ここには、150棟ほどののこぎり屋根が紹介されている。最盛時には500棟はあったというが、地元の研究者によれば、今でも370棟はあることが確認されているようだ。絹織物業が衰退してからかなりの時間が経つというのに、結構な数のノコギリ屋根が残っているので、正直驚いた。はしがきには、ノコギリ屋根の由来について、そしてまた多くのノコギリ屋根が残った理由について、次のように書かれている。

  屋根の形状がノコギリの歯のような三角屋根の建造物で、歯が連続しているものだけでなく、一つだけでもOKである。三角の短辺が急傾斜あるいは垂直になっている面に大きな採光窓が開けられ、多くが北向きで、一日中安定した間接光を得ることができる。織物、染色、紡績などの工場で布の色柄や繊維の組織をみるに適していた。電力供給が不安定な時代にも、明るさを確保できたのだ。

 騒音を吸収し、天井高があって柱が少ない構造のため、各種の機械を入れることができた。増改築も転用も容易であり、業績の好調によって連を建て増したり、逆に繊維産業から撤退して鉄工場になったりアパートになったり、近年は飲食店や美容室、ブティック、ワインセラー、ギャラリー、イベントホール、資料館、工房、共同アトリエなど、さまざまに活用されている。 融通無得な、元祖エコ建築といえる。

 市のホームページにも次のような記述がある。「桐生市内には多数のノコギリ屋根工場が存在し、貴重な産業遺産として評価されるとともに、観光資源としても期待されています。役目を終えたノコギリ屋根工場が解体され、年々減少しており、保存が大きな課題となっているなか、最近では新たな役割で再活用されている工場が人々の関心を集めるようになり、桐生市工房推進協議会にもノコギリ屋根工場の利用希望者等からお問い合わせをいただいています」。そんなわけで、この協議会では、「ノコギリ屋根工場に興味・関心をお持ちの方にお応えするとともに、一層の活用促進が図られるよう、市内のノコギリ屋根工場についての情報発信に取り組んで」いるというのである。

 絹織物業の繁栄によって蓄えられた富は、さまざまな歴史的な文化財に名残をとどめており、そのいくつかは前回の実態調査で見学した。個々の文化財の保護も勿論大事なことではあるが、それだけでは町おこしは難しかろう。現在桐生市は、中心市街地の活性化を図るため、桐生新町重要伝統的建造物群保存地区とその周辺地区を重点区域とする「桐生市歴史的風致維持向上計画」を策定し、旧市街地を中心とした歴史的建造物と祇園祭などの伝統行事を生かしたまちづくりを進めているのだという。市のキャッチフレーズは、「伝統と創造、粋なまち桐生」だとのこと。キャッチフレーズもなかなかおしゃれで小粋である。

 町おこしの具体的な様相やその意義については、関村オリエ「縮小する国内蚕糸業と絹へ回帰する産業遺産-群馬県桐生市の事例-」(『専修大学社会科学研究所月報』No.710・711)などを参照してもらいたい。私のような素人がしゃしゃり出る必要はない。話はまた先程の『ノコギリ屋根の風景』に戻るが、蓑﨑さんは次のようにも書いている。桐生に対する愛情溢れるいい文章なので、是非とも紹介しておきたい。

 はしがきは、「天を指す鋭角、ギザギザと空を刻む。ガシャコンガシャコンとリズミカルな機音を響かせて、ノコギリ屋根って、カッコいい。 桐生のまちを行き来しながら、路地奥にその姿を見つけるたび、心がスキップした。」で始まり、「ノコギリ屋根といえば桐生 桐生といえばノコギリ屋根。繊維産地、織都の顔であり続けてほしいし、個性を生かした多彩な業種を内包して、新たな刺激を発する場になってもらいたい。ますますカッコいい存在として、天空を刻み続けてほしい。」で終わっている。

 有鄰館で件の二人から離れて写真を撮っていたら、中庭で丸いテーブルを囲んで地元の方が何やら話し合っておられた。町おこしに携わるボランティアの人々ででもあったのだろうか。通りには「伝建まちなか交流館」という建物もあった。お調子者の私などは、「何を話されているんですか」などと声を掛けたくなったのだが、真剣に議論されているようだったので、つい声を掛けそびれた。大通りに戻ってふらふらしていたら、天満宮から戻ってきた二人と顔を合わせた。この狭さが何とも心地よい。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2022/12/02)

桐生雑景(1)

 

桐生雑景(2)

 

桐生雑景(3)

 

桐生雑景(4)

 

桐生雑景(5)