春惜しむ季節を歩く
当初は、長い連載の後「陽春の越前・若狭紀行」と題してブログに投稿するつもりでいた。3月に出掛けた専修大学社会科学研究所の調査旅行を巡っての、気儘な旅日記のようなものを書くつもりだったのである。どのみち研究所の『月報』に原稿を書く予定だったので、ブログに綴りながらそれをもとに纏めようかと考えていた。
しかしながら、この投稿もどうやら4~5回は続きそうな気配であり、そうなると終わるまでにひと月以上も掛かることになる。この春には、いつもの年金者組合のウオーキングに2回出掛けたし、また2人の小僧を連れて七沢温泉と鎌倉に泊まりがけで出掛けた。いずれもブログに投稿しておきたいと思っていたのだが(そのために出掛けた節もある)、「陽春の越前・若狭紀行」の連載の後では、何だか季節外れの投稿になってしまいそうである。
そこで、思い切って順番を入れ替えて、まずは3月と4月に顔を出した年金者組合の2回のウオーキングについて書きとめておくことにした。毎月行われるこのウオーキングを、私は何時も愉しみにしている。日頃の運動不足を補うといった目論見もないではないが、それよりも、余計なことを考えることなくのんびりと歩くことが、殊の外性に合っているような気がするからである。
しかも、世話役の方は私が一度も出向いたことのない所に連れて行ってくれるので、そうなると愉しみが倍加する。そして出掛ければ、季節の変化を感じ必ず新しい発見がある。それが嬉しいのである。3月の20日には、長津田にある玄海田公園に出掛けた。この公園入口で待ち合わせとなっていたので、当初は駅から歩いて行くつもりだったが、たまたま数少ない便のバスにうまく乗り合わせることが出来たので、バスで公園入口に向かった。
後で触れるが、当日はかなり歩いたのでバスに乗ることが出来て幸いだった。長津田には、50年以上も前にある用件で出掛けたことがある。その頃は、渋谷から大分時間がかかったので、やけに遠いところだなあとの印象が強かった。ところで、『大辞林』によれば「谷津田(やつだ)」とは「谷津(やつ)」(低地、たに、低湿地)にある湿田のことであり、「長津田」は「長い湿田」のことだという。
今は宅地開発が進み、当時の面影は公園の一部にしか残ってはいないが、それさえも1987年に「玄海田の乱開発を考える懇談会」というものが出来て、緑を守る運動が展開された成果なのだという。玄海田公園は広々としたなかなか立派な公園である。それにしても気になるのは、「玄海田」という名称であろう。世話人に聞いてみたが、よく分からないとのことだった。
この辺りの地名が玄海田というので、そこから公園名が付けられたのであろうが、その地名が何とも興味深い。玄海とは暗い海のことである。暗い海のような湿地が広がっていたから、そんな名が付いたのであろうか。鬱蒼と茂る林に囲まれた人気のない薄暗い湿地、そんなものを連想してしまう。昔のこの辺りの様子を思い浮かべると、いささか怖い感じもする(笑)。
この日は、蛍も生息するという岩川の流れを見てから公園を後にし、近くにある中村牛頭(「ごず」と読む)天王宮に向かった。ここは長津田十景のひとつで、天王鶯林(てんのうおうりん)とも呼ばれているらしい。鶯林とは何とも美しい言葉である。小高い場所にある天王宮に上る道すがら、綺麗な鶯の声を何度も耳にした。
その後福泉寺に向かい、ここでは戒壇めぐりを体験した。お寺の地下に入り、暗闇の中を壁伝いに歩くのである。狭い通路のはずなのに、自分がどこにいるのか分からなくなった。「想像以上にまっくらです」との注意書きがあったが、嘘ではなかった。周りの人も不安そうだったので、やむなくスマホを取り出した(笑)。暗闇の中を通り抜けてこそ御利益に与れるのだろうが、それもふいになった。普段の行いが行いだから、それもやむを得なかろう。
ここで、直ぐに駅に戻る人ともう少し歩きたい人に分かれることになった。私はもう少し歩きたい派だったので、そちらのグループに加わったが、案内人自身が途中で道に迷ってしまい、もう少しどころかかなり歩くことになってしまった。「玄海田」になぞらえるなら、「限界だ」と言ってもいい程歩いた(笑)。こういう分かり易いダジャレを言ったり聞いたりすると、いつも元同僚の福島さんを思い出す。彼にとってははた迷惑なことではあろうが…。
前日には、学校が休みとなった下の小僧を連れて散歩に出掛け、昔住んでいた中山の宮根団地を抜けて三保市民の森まで歩いた。文句も言わず、弱音も吐かずに付いて来る。もしかしたら年寄りの私に気を遣っているのかもしれない。その小僧が森の中で立ち小便をしたので、その笑える恰好をスマホで「盗撮」し、娘に送っておいた。娘も笑っていたが、悪趣味だと言えば言えなくもないのだが…(笑)。
両日ともいい天気に恵まれて、心地のいい散策日和だった。小僧と歩いたのは12,000歩、翌日のウオーキングで歩いたのは16,000歩だから、二日で28,000歩も歩いたことになる。「限界だ」と思ったのは、そんなことも関係していたのかもしれない。そう言えば父も散歩が好きだったが、私もすっかり似てきたのだろう。