春を探しに-遠近三題-(下)
もう一つは、3月下旬に出掛けた仲町台近辺の散策である。娘の家は、下の小僧から始まって家族全員が次々とインフルエンザに罹り、学校は勿論だが仕事も休まざるを得なかったようだ。その後程なくみんな治ったのは良かったのだが、親はどうも片付けなければならない仕事が溜まってしまったようで、祝日の春分の日にも仕事に出掛けることになったらしい。上の小僧は高校受験も済んで、一人で父親の実家の宮崎まで遊びに出掛けており、下の小僧だけが家に取り残されることになった。一人置いて仕事に行くのもかわいそうなので、相手してやってくれないかという娘の依頼であった。そこで、これまでにまだ出向いたことのない仲町台近辺の寺を訪ねることにした。
当日は、デパートの食品売り場で美味そうな弁当を買い込んで、市営地下鉄の仲町台駅から歩き始めた。事前に地図帳で二つの寺の名前と大体の位置を確かめておいたので、それで辿り着けるだろうと思った。行き当たりばったりではあるが、近くの人に尋ねながら行けば何とかなるだろうと考えていたからである。このあたりは、案外ずぼらなのである(笑)。ぶらぶら歩く散歩が好きなので、どうしてもそうなりがちである。曇り空だが寒くはない。「花曇りの日の散歩だなあ」などと言ったら、小僧がその意味を聞いてきた。桜の咲く頃の曇り空のことだと教えてやった。そう言えば花冷えとか花明かりいった言葉もある。何とも美しい日本語である。
最初の目的地である長福寺は、駅からそれほど離れてはいないので、迷うことなく直に着いた。比較的新しい寺で、なかなか立派な造りである。ここで花見でもしながら弁当を広げようと思っていたのだが、寺の桜はまだ三分咲き程度で見頃には遠かった。山内をぐるりと廻ってみたが、弁当を広げたくなるような場所がない。それどころか、彼岸の中日だということで墓参りに出向いて来る人が結構いるので、そんなところではどうも弁当を広げにくい。私などは墓参りからすっかり足が遠のいているので、一時我が身を振り返えらざるをえなかった。やむなくここで食べることを諦めて、次の寺である真照寺に向かった。
この寺までは少し距離があるようなので、途中で昼食にしたかったが、なかなかいい場所が見つからない。そこで、やむなく脇道に入り、畑の縁(へり)に腰を下ろして弁当を広げた。誰も人が通らないようなところで、小僧と二人だけで弁当を食べるのも幸せな気分である。食べ終えた頃に、向かい側の竹林から一匹の野良猫が現れた。食べ物が残っていればやったのだが、空腹だった所為もあって弁当は既にすっからかんである。小僧は猫が好きなようであれこれと声を掛けるのだが、警戒しているためかなかなか近付いて来ない。食い物にありつけないことを悟ったのか、そのうちふっと藪の中に消えた。
農作業で働いていた人に道を尋ねたところ、とても丁寧に教えてもらった。そんなわけで、道端に咲いている花を眺めたり、畑の作物をあてたりしたりしてぶらぶら歩いているうちに、真照寺に辿り着いた。そう言えば、道を教えてくれた人は「真照寺さん」などと言っていたが、そんな言い方も懐かしさを感じさせた。のんびりした散策気分で真照寺に足を踏み入れたのだが、入ろうとした途端とんでもなく大きな鐘の音が間近で響き渡った。私もびっくり仰天したが、下の小僧はまさに飛び上がらんばかりの驚きようであった(笑)。勝手に入るなと言われているような気がしたものだから、二人で顔を見合わせて大笑いした。
この寺には佐藤惣之助の詩碑があった。寺に詩碑があるというのも珍しいのではないか。調べてみたら、『図説 都筑の歴史』(2019年)にも、「都筑の農村に憩う詩人」という題で、佐藤惣之助と真照寺にあったこの詩碑に関して触れられていた。彫られていたのは、「佐藤惣之助の詩 大なる田舎 光栄の川 自然の祭 詩集満月の川より 麟静書」という文字であった。惣之助は、ここ折本町近辺の田園風景がいたく気に入ったようで、何度も出掛けてきたらしい。その折に真照寺を訪ねて、この寺の麟静師と懇意になったようだ。惣之助は開放的な人物だったようだから、お互いに肝胆相照らす仲となったのであろう。
この詩人の詩業に関しては何も知らないので、特に触れることはないが、講談社の『日本近代文学大事典』によれば、戦時中は戦争詩や時局詩をたくさん書いたようである。多才な人なのか、歌謡曲の作詞もあれこれと手がけており、彼の作詞した「赤城の子守歌」や「人生劇場」、「湖畔の宿」などは、私のような世代の人間にはよく知られていることだろう。阪神タイガースの「六甲おろし」の作詞者でもある。こんなことを知って、ブログの読者の方々も驚かれたのではあるまいか。こういう人物を詩人と呼んでいいのかどうか私には判断しかねるが(こう書いて既に判断しているわけだが-笑)、大きな鐘の音と同じような驚きである。
真照寺で一休みしてから帰宅することにしたのだが、そうであればもと来た道を戻って駅まで行くしかなかろうと思っていた。ところが、周りを見渡したところ、遠くに青と白のツートンカラーの煙突が見えた。家の近くにある清掃工場の巨大な煙突である。あれを目指して歩いていけば帰宅できることがわかったので、二人で農道を歩くことにした。地図がなくとも道に迷う心配もない。周りは、クルマも通らないし人影も見当たらない。一面に畑が広がっている。惣之助の愛した田園風景の名残であろう。都筑区は農業が盛んな区として知られているが、そのことがあらためて実感された。
時々煙突を確認しながら、よく知らない道をのんびりと歩いた訳だが、それがちょっとした冒険のようにも思われて、存外に面白かった。小僧も同じような思いだったのではあるまいか。大分歩いてよく知っている東方(ひがしかた)公園に着いた。ここまで来ると煙突はすぐ側である。公園で満開となった桜を存分に堪能し、写真を撮り、ひとしきり少年野球を眺めてから帰宅した。なんと言うこともない散策ではあったが、それでも花曇りの幸せな一日だった。
PHOTO ALBUM「裸木」(2023/04/09)
仲町台散策(1)
仲町台散策(2)
仲町台散策(3)
仲町台散策(小僧撮影)