早春の台湾感傷紀行(三)-夜市を彷徨きながら-
海外に出掛けて面白く感ずることの一つは、庶民の日常の暮らしを直に眺めることが出来ることである。有名な観光地や旨い食べ物にそれほど心を動かされなくなってしまった私のような人間は、とりわけそう思うのであろうか。言ってみれば俗世間に蠢く人間が好きなのである。ところで、人文科学研究所は今から5年前の2019年にも台湾に出掛けている。この時には、『人文科学研究所月報』の300号(2019年5月)で特集が組まれた。私は参加しなかったから、その時はどんな旅程だったのかを知りたくなり、今回この特集号を手にしてみた。そこには堀江洋文「スペイン及びオランダの台湾植民地支配」と大谷正「遠藤写真館と台湾」の二本の論文に加えて、「蝶王国」台湾を論じた櫻井さんの論文なども収録されているのだが、私のような年寄りにはそうした学術的な論文を読み通すだけの気力ははもやない。
そこで、これらの論文はざっと目を通すだけにして、面白く読めそうに思われた「台湾8日間縦走記」だけをきちんと読むことにした。この縦走記も先の堀江さんが書いている。この時の台湾行では、髙雄、台南、嘉義、霧社、台中、基隆と中西部から北部を廻ったようだ。今回の総合研究調査同様実に精力的に多くの場所を訪ねて見聞を広めている。この縦走記を読むと、訪問先に関する知見を交えた大変詳細な記録として纏められていることが、よく分かる。私などは、タイトルだけを見て旅日記のような文章を想像していたのだが、中身がかなり濃いうえにたいへん真面目に書かれていたのですっかり当てが外れた。しかし、その分いろいろと勉強させてもらったわけだから、文句を言えるような筋合いではない。読み進めていたら、一カ所だけ私の期待するような記述にぶつかった。紹介してみる。
淡水(たんすい、ダンシュイ)に向かう途中、寄り道をすることにした。海辺の金山の町(新北市金山区)から細い道をかなり登って行くと、東シナ海を見下ろす山の上に富裕層のための金寶山墓園が広がる。この広大で豪華な墓園の一角にある、「アジアの歌姫」鄧麗君 (テレサ・テン) が眠る紀念墓園に参った。彼女の両親は外省人、父親は元国民党軍の軍人であったが、 中国民主化への強い思いを抱いてタイで客死し、台北で国葬が執り行われたことは日本でもよく知られている。 鄧麗君は自分の曲の他に、多くの曲を日本語でも中国語でもカバーしているが、我々が墓園を訪れた時に中国語で流れていたのは 『北酒場』。 やや興が醒めてしまった。
カラオケ道場の宗匠でもあった故中村平治さんの正統なる後継者を任じている、堀江さんらしい文章である。テレサ・テンと言えば、私は5日目の夜に同行のAさんと連れ立って近くの公園までイルミネーションを見に行った。なかなか豪華な光のトンネルだった。そこをぶらついていたら、ギターを抱えて歌を歌っている若者がいたので、投げ銭を入れて歌をリクエストしてみた。リクエストしたのは、テレサ・テンも歌っている「夜来香」(イェライシャン)。台湾に来て中国語の「夜来香」を聴いていたら、いっぺんに旅情をかき立てられてしまった。日本から来た観光客だと分かって、今度はテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」を日本語で歌ってくれた。
この日の午前中に鯉魚山公園を巡った。廟巡りに飽きてしまった私は、皆が戻ってくるまで勝手に近くを散策し写真を撮ることにした。公園の一角では、中年のおじさんたちがテーブルを囲んで賭け事に熱中していた。また別の場所では、おじさんやおばさんたちがカラオケに興じていた。愉しそうである。カラオケの機器と大型のモニターが軽自動車に積んであったから、どこにでも簡単に移動できるのであろう。朝っぱらから野外でカラオケとは何とも元気ではないか。結構な音量だったと思うが、誰もうるさいなどと言わないところが台湾らしいのかもしれない。日本語の少し分かるおじいさんもいて、日本の歌も歌えると自慢していた。
その他に、宜蘭(イーラン)の酒廠(酒の醸造所のこと)内の広場ではサキソホンを吹いていたおじさんや、花蓮(ホワリエン)の文化創意産業園区では一人で太極拳をやっていたおじさんとも言葉を交わした。サキソホンのおじさんは、私が日本の観光客だと知ると日本の歌謡曲を演奏してくれた。異色だったのは、台湾の友人のところに長逗留しているという日本人のおじさんであった。このおじさんは宜蘭設置記念館の側でハーモニカを吹いてくれたのだが、そんなことをしていても誰にも変だとは思われないのが、台湾なのかもしれない。こんなことを書いていると、ステレオタイプ化された台湾の「親日感情」言説なるものに、すっかり飲み込まれそうになっている自分を感ずる。
せっかくだから、ここで文化創意産業園区について一言触れておきたい。2000年代に入って、各地でこうした名称の施設が続々とオープンしたようだ。その多くは日本の統治時代に建てられたさまざまな工場の跡地を活用したものである。ノスタルジックな佇まいを見せる古い建物の中には、劇場やギャラリー、ショップ、カフェ、レストランなどが入っているとのこと。クリエイティブな要素(文化創意産業)を組み込んだ公園(園区)ということか。政治の世界における民進党の躍進によって、自らのアイデンティティを確立するために台湾の文化的な環境を一新しようとする動きが広がってきたようだが、その一環と言うべき動きである。
ところで、先のようないささか開けっぴろげな大らかさが全開しているのが、夜な夜な開かれる夜市(よいち)であろう。日本であれば縁日の際の屋台や夜店、露店のようなものだが、規模は大きく食のバザールのようでもある。夜市とはいったいどんなところか。中華圏や東南アジアには、夕方から真夜中にかけて営業する屋台や露店などがある。熱帯や亜熱帯地域においては、昼間の暑さを避けて比較的快適な夜に人々が外出するために、夜市が発展しているようなのである。われわれは、2日目の夜には先に触れた宜蘭の羅東観光夜市に、続いて3日目の夜には花蓮の東大門国際観光夜市に出掛けたのだが、こうした名の知れた夜市ともなれば、もはや観光名所なので年がら年中やっている。前者は狭い路地にびっしりと露店が立ち並んでいて、大変な賑わいだったし、後者は天候のせいで人出はいまひとつだったが、テントも張られていたので、そこでゆっくりと食事をすることができた。
夜市は台湾だけにある訳ではないが、台湾の夜市は数の多さ規模の大きさから見て別格である。ではいったい全国に何ヶ所の夜市があるのだろうか。最近の政府機関の調査によると、登録されている夜市は164ヶ所にものぼるのだという。この調査対象は不定期に開かれる夜市だけなので、それよりも規模の大きな観光夜市まで含めれば、その数はさらに膨らむことになる。今では、夜市は台湾の庶民にとってなくてはならない存在となっており、台湾の食文化を象徴する存在であるといっても言い過ぎではない。では何故これほどまでに広がり、庶民の暮らしに定着したのであろうか。夜市には食べ物も飲み物もあるからだが、それに付随してパフォーマンスやゲームも楽しめるし、衣料品や日用品なども売られているため、日常の生活ニーズをほぼ満たすことができるからであるとのこと。
それに加えて、次のようなこともある。もしかしたら、こちらの方が案外重要なのではないか。しばらく前に見たテレビ番組で、台南の夜市に出掛けてきた家族連れにインタビューしていたが、妻によれば、旨いし、安いし、夕飯を作らなくてすむから助かるとのことだった。食生活を簡便化し家事負担を軽減してくれるのであれば、定着するのは当然なのかもしれない。もちろんレストランで外食しているわけではないから、食べるものは庶民的なB級グルメであるが、実にさまざまな屋台が並ぶので、しょっちゅう出掛けて来ても飽きることはないのであろう。しかも、日本の夜店に漂っているある種のいかがわしさも感じなかったし(もしかしたら、観光夜市だったからかもしれない)、しかも大勢の人々が普段着で集まる賑わいが、独特の熱気を醸し出していることもあって、庶民の生活や憩いの場として殊の外愛されているようなのである。夜市は食に関する文化創意産業園区とでも言うべきか。
台湾の夜市の歴史は、100年余り前までさかのぼることができるようで、今では世界に知られる台湾グルメの多くも、夜市から誕生したらしい。名の知られた食堂やレストランの多くも、最初は道端の屋台から始まったとのことである。港や廟の門前などには、天秤棒を担いで軽食を売り歩く露天商が集まっていたようだが、手軽に食べられて安くておいしいというので人気となり、現在の姿にまで成長してきたのだという。それに加えて、不安定就業と一括りされるようなこうした仕事が、戦後台湾に移入してきた人々の生活を支えていたことも付け加えておかねばなるまい。
当初は、生活水準が上昇していけば夜市は徐々に消滅していくであろうと思われていたようだが、日本のようにはならなかった。戒厳令(1949~1987年)下では、夜市の存在は公共秩序を乱す都市の社会問題として認識されていたようで、そのため無許可の露店商の取り締まりが強化されたという。その後、戒厳令の解除によって台湾社会が急速に民主化され自由を謳歌出来る社会へと変貌していくなかで、夜市は再び活気を取り戻し今日に至っている。もしかしたら、夜市は台湾における自由を象徴した存在となっているのかもしれない。近年では、エリアの整備が行われ、国内外の観光客をターゲットにした大型の夜市へと変貌を遂げる所も生まれてきた。そうした場所は、観光ガイドブックには必ず紹介されているから、それだけ人気のエリアであり人気のスポットなのであろう。われわれの出掛けた夜市などは、まさにそうした場所である。
宵闇迫る頃に、夕涼みを兼ねて気軽な格好で夜市に出掛け、台湾ビール(ライトな味わいなので中華料理に相性がいい)でも飲みながら食べ物を頬張り、豆花(トウファ)やタピオカミルクティー片手に若者たちの歌や楽器の演奏でも聴いていたら、日本の気忙しさや息苦しさを忘れることができるのかもしれない。台湾の夜市を彷徨きながら感じた、年寄りの春の夜の夢である。
PHOTO ALBUM「裸木」(2024/04/19)
台湾・宜蘭にて(1)
台湾・宜蘭にて(2)
台湾・宜蘭にて(3)