早春の北関東紀行(四)-太田の日本定住資料館など(下)-
前回のブログで書き逃したことがあったので、もう少し書き加えておきたい。太田市のハローワークで話を聞いた後、帰り際に所内の掲示物を眺めていたら「共生社会は魅力ある職場環境から 外国人雇用はルールを守って適正に」と題したポスターが掲示されているのが目に留まった。管内に外国人労働者を多数抱えているハローワークならではのポスターである。「共生社会」はそう唱えさえすれば実現するというものではなかろう。そのことを改めて教えてくれているようにも思われた。外国人を雇用している事業主に対して、以下のような守るべき雇用ルールが示されていた。何処で生きようとも守られるべき国際基準があるということが、大事なのではあるまいか。
国籍で差別しない公平な採用選考を行っていますか?
労働法令を守り、 労働・社会保険に入っていますか?
日本語教育や生活上 職務上の相談に配慮していますか?
安易な解雇はしていませんか?
外国人の雇い入れ・離職時に、 ハローワークヘ雇用状況の届け出を出していますか?
この機会に外国人労働者問題について知ろうと思い、手軽に入手できる書籍を斜め読みしてみた。宮島喬の『「移民国家」としての日本』(岩波新書、2022年)と、鳥井一平の『国家と移民』(集英社新書、2020年)である。学んだことはあれこれある。宮島の本には、以下のようなことが書かれていた。「1910年の『韓国併合』、そしてかの地を植民地化した日本は、その地に活路を求める日本人を送り込み、一方、その地から、労働者として本土に渡来する朝鮮人が増えてくる。(中略)1930年の在住者は約30万人に上っていた」という。
では日本に渡ってきた彼らはどんな存在だったのか。日本の朝鮮統治下で行われた土地調査事業の結果、複雑な「申告制」によって農民の土地占有権や耕作権が否定され、彼らはこれまで耕作していた土地を奪われたのである。 それらの土地は一部の朝鮮人地主、日本人入植者、日本国家の所有に帰した。 土地が基本的生産手段で、近代産業のほとんどない朝鮮では、旧農民たちは外の世界に生きる途を見いだす他に生きるすべはなかったのだという。また、第一次大戦後に活況を呈した日本の産業界が、大量の安価な労働力を確保するために朝鮮で募集をかけ、彼らの渡日を促したという事実もあるとのことである。
渡日した朝鮮人は、出稼ぎ者というよりは、郷里で生活基盤を失ったために生きる途を求めて海を渡った人々である。彼らは日本国籍とされ、「帝国臣民」に繰り入れられ、皇民化教育を受けることになった。「故郷で生きるすべを奪われ、やむなく本土に渡ってくるひとびとに、日本政府は何らかの特別な援助の措置を講じたか。調べるかぎり、そのようなものはない」というのである。それどころか、日本の統治に対する朝鮮人の抵抗に脅威を感じ警戒心を抱いていたために、それが底流となって関東大震災時の大規模な虐殺へと結びついていくのである(そう言えば、今年はあの虐殺事件から100年目にあたる)。
あるいは鳥井の本にはこんな話も書かれていた。2017年に、ドイツと日本の共同シンポジウムが開催され、そこでドイツの研究者が以下のような発言をしたというのである。「いろいろな人から“どうしてドイツは100万人近い難民や移民を受け入れることができるのか”、と質問されますが、もう一つの事実については全然指摘されません。それは年間80万人近くのドイツ人が、国外に働きに行っているということです」と。そんな現実があることを、これまで私はまったく知らなかった。「受け入れ国」のドイツに話にばかり気を取られていて、「送り出し国」でもあるのドイツのことなどすっかり頭から抜け落ちていたのである。
そこで日本の場合はどうなのかという話になるわけだが、鳥井が調べたところによると、「2018年のデータでは、海外在留邦人のうち、長期滞在者または永住者としての在留資格で海外で滞在している人が、約140万人もいたのです。(中略)これはつまり『この地球上を、日本人を含めて非常に多くの人々が、 いろいろな経済活動や社会活動のために移動しており、その移動先で定住している』ということを示しています。そんなふうに人が移動する際、それぞれの国・地域において、その人たちの人権や労働者としての権利、労働基準など 『国際基準に基づく権利がどのように担保されるか』ということは非常に大切です。そのことについては、日本も例外ではありません」と述べられている。
こちらがほとんど何も知らないでいたこともあって、俄勉強で学んだことを紹介かたがた書き連ねているだけなのだが、それもやむを得まい。ではなぜ何も知らないでいたのかと言えば、もともと私の視野が狭いからではあるのだが、より重要なことは、視野の狭さを恥ずかしいとは思っておらず、その狭さこそが大事だなどと居直っているからであろう。「大説」ではなく「小説」が好きであり、その小説の中でも私小説が好きな人間であれば、そもそも視野が広がるはずもない。しかしながらそんな人間であっても、調査旅行に出掛けて見聞を広めれば、あれこれと考えるようにはなる。
鳥井は言う。これまで日本には外国人を管理する法律はあっても、移民(外国人)が本来持っている普遍的権利を明示する法律はなかったと。しかし2019年末の時点で、日本に暮らす外国籍者は約293万人にも達しており、「移民の人権と基本的自由及び民族的・文化的独自性を保障する」基本法(移民基本法)はどうしても必要なのだと指摘している。彼が重要な役割を果たしている移住連(移住者と連帯する全国ネットワーク)の提案を紹介してみよう。
①在留資格や在留期間を問わず、すべての移民は、その国籍、人種、皮膚の色、性、民族的及び種族的出身、ならびに門地、宗教その他の地位によるいかなる差別もなしに、日本国憲
法と国際人権法が定める人権と基本的自由を享受する権利を持ち、またいかなる差別もなしにその保護を平等に受ける権利を持つ。とくに直接に、政治に参与し公務にたずさわる権利、いかなる国籍も自由に取得し離脱する権利は重要である。
②すべての移民は、経済的、社会的及び文化的権利を享受する。とくに労働・職業選択の自由、労働条件ならびに同一労働同一賃金に関する権利、住居についての権利、社会保険と社会保障に対する権利、教育を受ける権利は重要である。 ③すべての移民は、国際人権法に基づく法律 (改正入管法)が定める正当な理由と適正な手続きによることなく滞在・居住する権利を制限もしくは剥奪されない。
④すべての移民は、いつでも自由に出国し、その在留期限内に再入国する権利を持つ。
⑤すべての移民は、日本国内において、その家族構成員と再会し、家庭を形成し、維持する権利を持つ。
⑥すべての移民は、国際人権法が保障する「民族的、文化的及び宗教的マイノリティの権利」を個人的にも、集団的にも享有する。とくに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰し、
かつ実践し、自己の言語を使用する権利、自己の言語、文化、歴史及び伝統について教育を受ける権利、民族名を使用する権利は重要である。
⑦ すべての移民は、これらの権利享有を達成するために必要な特別措置(アファーマティブ・アクション)を求める権利を持つ。
⑧国と地方自治体は、この法律「移民基本法」が認める権利をすべての移民に保障するために、立法、行政、財政その他必要な措置を取らなければならない。
そしてまた、上記のような内容を骨子とする移民基本法は、「移民に対してあまりに過酷な現在の日本の法制度からすれば絵空事のように見えるかもしれません。しかしこれらは日本がすでに加入している難民条約や、国際人権自由権規約・社会権規約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、人種差別撤廃条約など、国際人権法が締約国に求めている国際基準であり、多くの国が採用している法規範」なのだと言う。こんな文章に触れていると、閉じられた眼がゆっくりと開いて遠方を見晴るかすかの如くである。鳥井の本でとりわけ興味深く感じられたのは、あとがきの一節である。労働組合運動の活動家でもある鳥井は、次のように書いている。長くなるが紹介してみる。
本書のおわりに際して、筆者が出会ったいくつかの言葉を読者のみなさんに贈りたいと思います。まず、「明日のために」という言葉。 これは私が労働組合に参加して最初に獲得した言葉です。「今しかない!」ではなく明日のために活動する、生きていくということです。「明日があるさ」と、軽快に言うのと同じ響きです。次に紹介したいのは、私が全統一労働組合で1992年の「組合のつくりかえ」 運動のときにいきついた三つの合い言葉です。 これは参加型自主対応型運動をわかりやすくしようと考えまとめたものです。
一つ目は「Everybody is Different (違いを尊重しょう)」。 従来の「労働者はひとつだ!」という労組のスローガンは間違いではないですが、実感がありません。むしろ労働者間には環境や背景をはじめ「違い」があるのが当たり前だからです。人はさまざまであり、違っているからこそ、その違いを尊重しようという意味を込めました。 この言葉は横浜の赤ひげ先生こと、天明佳臣さん(昔労働科学研究所で働いていた頃にお会いしたことがある-引用者注)からいただきました。二つ目は「United We Stand (ひとりじゃない!)」。つまりお互いに立場や境遇がさまざまな私たち労働者だけれどもひとりではなく、支え合っているのだ、ということです。この言葉はアメリカの鉄鋼労働組合のポスターから拝借しました。三つ目は「Positive Approach (できることから始めよう!)」。 中小・零細企業をフィールドとしていると、企業そのものの経済基盤も脆弱なのが普通です。資金をかけた改善などをすぐには求めることはできません。しかし労働条件の向上や職場環境の改善は必要です。ですから、できることから始めていくことが大切です。 これは、運動づくりにも言えることです。つまり一見バラバラなような労働者が違いを尊重し、支え合い (孤立させない)、できることから始めれば道が開ける、変えられる、ということです。 これが外国人労働者の問題が浮上する時期と期せずしてマッチしたのです。
鳥井は上記のようなことを書いている。自分たちの運動に対する眼差しの転換が外国人労働者問題と結びつき、外国人労働者問題への接近が自分たちの運動を見直す動きにも繋がっていく、そんなふうに言い換えてもいいのであろうか。「多様」とか「普遍」とか「人権」といったいささか抽象度が高く生硬な感じもする言葉が、私にとって少しだけ身近になったようにも思われた。「明日のために」から思い出されるのは、漫画『あしたのジョー』で、丹下段平が少年院に収監された矢吹丈に送る葉書のことである。その葉書には「あしたのために」というタイトルが付けられていた。すべての社会運動は(そしてまた、すべての人々は)、よりよき「明日のために」存在し生きているに違いなかろう。
PHOTO ALBUM「裸木」(2023/07/25)
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