愛甲郡愛川町の半原を訪ねて
このところ連日のように酷い暑さである。夏が暑いのは当たり前なのだが、例年よりも度を超した暑さである。いくら老後の道楽とはいえ、こんな時にいささか面倒な話を書く気にはなかなかなれない。年寄りに無理は禁物である。そんなわけで、途中休憩を兼ねて別な話を入れてみることにした。たわいのない雑談のようなものである。5月の半ばに愛甲郡愛川町の半原(はんばら)に出掛けてきた。白内障の手術も4月には終わり、術後の結果も問題はないということになったので、気分転換を兼ねて1人でドライブに出掛けたのである。その日の天気が朝から上々だったので、急に思い立った。何をやろうがやるまいが自由の身なので、そんなこともたまにはある。
しかし、それにしても出掛けた先が、神奈川県の外れにある愛甲郡愛川町の半原地区とはどうしてなのかと、訝る向きもあろう。勿論ながらそれには訳がある。2月に団地の知り合いのSさんが所属している写真サークルの作品展を見に、関内に出掛けた。その帰りに近辺をぶらぶらしていたら、シルク博物館が目に留まった。昨年来社会科学研究所の調査旅行で何度か群馬に出掛け、絹に関わりのある施設を巡って話もたくさん聞いてきたので、せっかくに機会だからとこの博物館に顔を出してみた。そんな話はすでにブログに掲載済みだが、この博物館で入手した資料に半原が登場していたのである。
撚糸(生糸は細いので、それを束にして撚りをかけること)工場が集中していた半原は「糸の町」として全国的に知られ、昭和30年代には集団就職の若い女工たちで溢れており、メインストリートは「半原銀座」と呼ばれるほどの活況を呈していたというのである。しかしその後撚糸業は急速に廃れ、半原に残る工場はわずか1軒のみになったという。そんなことは何も知らなかったので、半原が現在どうなっているのか知りたくなって、出掛けてみることにしたのである。クルマのナビに目的地を入力しようとしていたら、半原教会が目に留まった。教会なら街中にあるだろうと予想して、まずはそこを目指すことにした。急ぎの用ではないので、のんびり運転してその教会には1時間半ほどで着いた。
半原教会を目的地にセットしたのは、もしかしたら正月早々五島列島と島原半島に出掛け、たくさんの教会を眺めてきたことも影響していたのかもしれない。教会の敷居が少しばかり低くなっていたからである。到着して近くの空き地にクルマを止めた。ちょうど昼時だったので、走ってきた一本道の両側を眺め回したが、食堂らしき店など何処にも見当たらない。勿論コンビニなどもなかった。近くに食事ができる処がないかどうか教会で尋ねてみようと思ったところ、教会の隣に「パスタカフェ ルーシー」と書かれた小さな看板が立てられていた。半原にもこんなおしゃれなところがあるんだなあなどと思いつつ入ってみたら、その店はなんと教会の中にあるスペースだった。
聞けば、牧師さんがシェフで、この店は毎月第二、第四水曜日の2日だけ、時間は11時から14時の間開いているとのことだった。私は、日時限定のこの店が開店している時に、たまたま行き会わせたのである。そうはない偶然である。日頃の行いの良さがもたらした賜物とでも言うべきであろうか(笑)。どちらからと尋ねられたので、横浜から来たと答えたら、ウエートレス役の牧師の奥方が大層喜んでくれて、四方山話に花が咲いた。聞けば教会の運営もなかなか大変なようで、地域の衰退と高齢化によって、信者はもはや数名だとのことだった。教会で受け取ったチラシには、「主イエスが『小さな群れよ、恐れるな』と言われるのですから、恐れることも怯むこともなく、活動を続けたいと考えます」と書かれていた。
そのため、コンサートや認知症予防カフェを開いたりして、地域に開かれた教会を目指しているのだという。牧師の澤田さんが作ってくれたパスタはなかなか美味で、アイスコーヒーとケーキも付いてこの値段でいいのかというほど安かった。教会には賀川豊彦の書で「十字架愛」と書かれた扁額や、半原出身の画家大貫松三の作とおぼしき絵もあった。半原の歴史を知りたくて訪ねてきたと告げたところ、道路の向かい側にあった公民館を教えてくれた。
公民館の方も親切で、あれこれと資料を探してくれ、もしかしたら当時のことを知っているかもしれないと、裏に住む年配のおばさんまで紹介してくれた。聞けば、やはり私が走ってきた通りが昔「半原銀座」と呼ばれたところだった。今は往時の面影などもう何もない。クルマもそれほど通らない田舎の一本道である。唯一残っていた洋品店もしばらく前に店仕舞いしたとのことだった。昔は若い女工さんたちが大勢いたので映画館もあったというし、休みの日になれば、女工さん目当てに近隣の若者が半原に押しかけたのだという。そんな時代もあったのである。
必要な資料も手に入ったので、「半原銀座」をのんびりと歩き、その後日向大橋を渡って中津川の土手に出てみた。午後の日差しは眩しいが清流と山の緑の組み合わせが何とも美しい。土手に腰掛けてしばし休んだ。静かである。聞こえるのは川の瀬音のみ。帰り際に、通称レインボープラザと呼ばれている愛川繊維会館があったので、こちらにも顔を出してみた。この会館の方もすこぶる親切で、館内を丁寧に案内してもらった。半原の撚糸の歴史がよく分かるような展示であった。現在力を入れているのは、小学生などを対象とした体験教室だとこと。
聞けば、手織り体験や藍染め・草木染め体験、手漉き和紙作り体験ができるとの話であった。こちらが恐縮するほど丁寧に案内してもらったので、小僧2人の土産にしようと思い安いバンダナを2枚買った。気の弱い私は、何も買わずには去りにくかったからである(笑)。帰宅してしばらくしてからその土産を2人に渡したところ、なんと下の小僧は去年そのレインボープラザに体験教室で出掛けたとのことだった。思いもかけぬ話であり、そんなこともあるのかとかなり驚いた。
愛川町を紹介したパンフレットによれば、町内には戦前陸軍の中津飛行場があり、通称「赤トンボ」と呼ばれた練習機なども飛んでいたらしい。今そこは神奈川県内陸工業団地となっており、100社を超える企業が操業しているとのこと。そこで働く外国人労働者も3,000人を超えるのだという。「糸の町」半原はすっかり衰退してしまって静かな田舎町に変貌していたが、愛川町は別の姿で発展しているようである。
PHOTO ALBUM「裸木」(2023/08/04)
半原残影(1)
半原残影(2)
半原残影(3)
中津川の瀬音を聞きながら(1)
中津川の瀬音を聞きながら(2)
中津川の瀬音を聞きながら(3)