店主の日乗から(続)

 私がかかっている歯医者の側を鶴見川が流れており、土手の桜並木が素晴らしかったことをこのブログでも紹介したが、今回はその続きである。この歯医者には、私だけではなく家人も時々かかっている。私はクルマで行くので大したことはないが、電車で行くと遠回りとなるので、歯医者に着くまでそれなりの時間がかかる。連休明けに、今度は家人が歯医者に行く必要が生じた。今この時期なので、電車を避けるために私がクルマで送っていくことにした。

 この日の治療にはあまり時間はかからないはずだとの家人の話だったので、終わるまで土手で本でも読んで待つことにした。土手に来るのはこれで3度目である。この場所が気に入ったからであろう(笑)。もしかしたら、川が流れ、橋が架かり、土手が続く景色が、田舎の福島を想い出させるからなのかもしれない。故郷には阿武隈川や荒川(昔は須川と言っていた)が流れ、松齢橋や大仏橋、天神橋、八木田橋などが架かり、川の土手からは吾妻連峰が一望できた。懐かしい景色である。大学の入試で上京する日に、土手に登ってこの景色を眺めたので、なおさら懐かしい気持になるのかもしれない。

 今回は対岸を歩いてみようと思って鴨池橋を渡っていたところ、右手の上流の方角に真っ白な富士が聳えているのが見えた。これまでまったく気付かないでいたのが不思議な気がしたが、おそらく春霞で見えなかったのであろう。前々日には雨が降り風もあったので、この日は雄大な姿を現していた。鴨池橋は、私の住む団地からさほど距離は離れていないのに、富士の姿はかなり大きく見えた。

 この日は、桜並木が続いていた土手をのんびりと歩いてみた。ゴールデンウィークも終わったので、もちろん桜は跡形もない。替わりに深緑の青々とした葉がびっしりと繁っており、土手は文字通りの緑道と化していた。五月晴れの天気となったので、葉桜の中気持ちのいい歩みが続いた。当初は土手で本でも広げて待とうと考え文庫本を持参したが、あまりに天気がよすぎて、読書するには眩しすぎた。そんなわけでのんびりと歩くことにしたのである。

 しばらく歩いてから土手を降りてみた。降りたらその近辺は農業専用地区となっており、果樹園や畑が広がっていた。私などには何が作られているのかまるで分からないが、土の匂いが広がった気持ちのいい場所だった。新しい発見である。故郷を離れて優に50年は経つというのに、いつまで経っても田舎の人間のままである(笑)。もっと歩いていたかったが、時間が来たので諦めた。


 ところで、土手を散策中にビルの屋上の看板が目に留まった。対岸だったので少しぼんやりしていたが、そこには「SANGIKYO」と書かれていた。よくある名前ではないので、もしかしたらあれは私が知っている「三技協」かもしれないと思った。帰宅して調べてみたら、「三技協」の社屋は都筑区池辺町にあるとのことだったので、間違いなかった。

 何故この会社を知っているのかと言えば、今は介護施設にいるフリーのライターである友人Kが、この会社の社内誌の編集の仕事に携わっていたいたことがあり、その縁もあって二、三度この社内誌に顔を出したことがあったからである。そのKは、自分の知り合いをそこに次々と登場させており、私もその一人としてかり出されたというわけである。頼みやすかったこともあったのだろう(笑)。

 ホームページによると、この会社は、移動体通信インフラ事業やブロードバンドインフラ事業、さらにはネットワークインテグレーション事業などを手掛けているとあった。私などには、どれもこれもちんぷんかんぷんの世界ではあるのだが…(笑)。そんな会社の社内誌に門外漢の私が顔を出すことになったのは、会社側に異分野の人の話を聞いてみたいという意向があったからなのかもしれない。

 そんなわけで、会社に出掛けて社長の千石さんと対談したこともあったし、また大学の研究室で若手の社員の方と対談したこともあった。K自身のインタビューを受けたこともあったような気がするのだが、その辺りの記憶はもはやぼんやりしている。今から14~5年程前のことではなかったか。千石さんも社員の方も皆さん気さくな方ばかりだったので、普段着で話が出来たことだけはよく覚えている。

 対談のテープを起こして読めるように手直ししてくれたのは、もちろんKである。彼によれば、私の話はあっちこっちに飛んでまとまりがないので、リライトするのに骨が折れるとぼやいていた。会話の繋がりを考えて、私が話していないことも書き加えておいたとも語っていた(笑)。苦労が多かったのだろうと思う。今こうしてブログに雑文を綴っていることからも分かるように、私は話をするよりも何か書いている方が好きな質(たち)である。

 何時頃どんなことを話したのか確認しようと思い、取ってあったはずの「三技協」の社内誌を探してみたが、どうしても見付からない。定年退職後に仕事上の業績をすべて整理し、必要なものだけを製本したが、その際に処分してしまったようである。労働問題に触れた対談やインタビューではなかったからだろう。井上陽水ではないが、捜し物が見付からないと何となく気になるものだが、今頃になって必要になるとは思いもしなかったのでやむを得なかろう(笑)。

 今はKを訪ねることもできないが、この騒ぎが収まったら、久し振りに彼と会って当時の話をしてみたい気分になった。緩やかな川の流れを眺めていると、感傷的な気分になって過ぎ去った過去が想い出されるからであろうか。彼が昔話を好まないことは、よく分かってはいるのだが…(笑)。

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