市民集会での閉会の挨拶から

 年金者組合のウオーキングの話を書いて、これで2023年の出来事に関してはすべて書き終えたと思っていたら、先月末に「トーク19区市民の会」のキックオフ集会で閉会の挨拶を頼まれたことを思い出した。もう書かなくてもいいような気にもなったが、せっかく挨拶の原稿を書いて集会に臨んだので、紹介しておくことにした。自分が書いたものに対す自己愛が強すぎるので、きっとそうなるのであろう(笑)。そんなわけで、ウオーキングの話は年明けに回すことにした。じつは昨日も一日がかりの鬱陶しい出来事があり、遺言めいた話をしたこともあってなかなか気分が晴れなかった。だが、ブログを書いていると波立った気持ちも落ち着いてくる。私にとってのブログの効用である。そう言えば、今日はクリスマス・イブである。年の瀬も押し迫った。

 しばらく前に選挙区の区割りが変更になり、都筑区と宮前区が一緒になって神奈川選挙区の19区が生まれることになった。都筑区は横浜市、宮前区は川崎市に属しているから、市が異なる行政区によって新たな選挙区が出来たことになる。それぞれの区には市民と野党の共闘を目指す市民運動の団体が作られており、この間運動を展開してきている。しかし、先ほどのような新たな状況が生まれたので、両区の団体をつなぐ新たな運動団体を作る必要に迫られたのである。「トーク19区市民の会」はその新たな運動団体の名称である。そしてそのお披露目の集会がもたれたというわけである。開会の挨拶は宮前区の代表が、閉会の挨拶は都筑区の代表である私が担当することになった。挨拶の中身はどれほどのことはない。事前に以下のような挨拶原稿を作成して、その場に臨んだ(しかし、読み忘れたところなどもあるので、実際の話とは若干ずれている)。

 閉会の挨拶をさせていただく前に、一言自己紹介させていただきます。私は、都筑区につくられました市民組織「つながりかえよう都筑連絡会」の代表を務めております、高橋と申します。この市民組織は、市民と野党の共闘によって政治を変え、社会を変えることを目指して運動してまいりました。私は代表だということで今日のこの挨拶なども行っているわけですが、実質的な担い手は、事務局長のMさんであり事務局のメンバーです。私などはお飾りに過ぎません。

 前置きはそのぐらいにして、中身に入らせていただきます。皆さんご存知のように、しばらく前に選挙区の区割りが変更され、宮前区と都筑区の両区一緒になって19区が作られることになりました。私たちはこれまで横浜市内の行政区単位でさまざまな運動を行ってまいりましたが、これからは、市域を越えた運動を展開していかなければなりません。初めての経験ですから、あれこれとぎくしゃくすることはあるかもしれません。しかしながら、私たちは、横浜市民や都筑区民(川崎市民や宮前区民)である前に、日本の社会を構成する一人の市民でもあります。そこに立ち返るならば、地域の利害を超えて手をつなぐことができるはずです。

 先ほど紹介させていただきましたように、私たちは「つながりかえよう都筑連絡会」と言う名称で運動してまいりました。その名称にもあるように、「つながる」ことによって「かえる」ことができるのです。そしてまた、その変えるということのなかには、社会を変えるとともに自分を変えることも含まれています。普通の市民の共感を呼ぶ運動となっているか、そのことを何時も意識して運動を進めていかなければなりません。岸田内閣の支持率や自民党の支持率が大きく低下し、大動乱の予兆も見え始めました。しかしながら、立憲野党の支持率が上向いているわけではありません。まだ政権交代への期待が膨らんではいないからです。だからこそ、いつも自分たちの運動を振り返ることが大切なのではないでしょうか。正しい主張だけでは、人は心を動かされないからです。

 今日の集会はキックオフ集会と銘打っております。試合開始のホイッスルは鳴り、ボールは蹴り上げられました。あとは攻めと守りの陣形をきちんとつくりながら、ボールをゴールに蹴り込むだけです。今日お集まりの皆さんとともに、ゴール目指して頑張りたいと思います。できれば楽しくやりたいですね。今日は、師走の夜だというのにわざわざお集まりいただき、ほんとうにありがとうございました。講師の小林節さんにもあらためてお礼を申し述べます。以上で私の閉会の挨拶とさせていただきます。

 これが私の閉会の挨拶である。「トーク19区市民の会」は、愛称ではなく正式の名称である。神奈川選挙区の19区を、10(とう)と9(く)でとうくと読ませ、それを英語のトークに掛けたということだった。トークとは会話をすることだから、私もまた余り肩肘張らずに会話するように心掛けたいと思った。開会の挨拶は宮前区の代表であるWさんが行った。聞けば彼は牧師さんだということで、落ち着いた物静かな方だった。単純な私は、こうした人物に素直に好意を示したくなる。

 記念講演は、慶應大学名誉教授の小林節さんが行った。タイトルは、「市民と野党の共闘で政治を変えよう」と銘打たれていたが、その中身は市民と野党の共闘に焦点が合わされていたわけではなく、日頃の思いを気儘に語る講演であった。いささか批判がましく書けば、政論まがいの放談の類いとでも言えばいいのだろうか。ほとんど何の準備もせずにあれこれの話を語り続けていたが、一見大学の教授らしからぬ洒脱なしゃべりなので、こうした話でも人気があるのかもしれない。話を聞きながら、相手を口汚く罵ることを批判と取り違えるようなことがあってはならない、そんなことを一人思ったりもした。

 記念講演の後、われわれの市民運動と連帯する各政党の挨拶に移り、立憲民主党、共産党、社民党、緑の党、新社会党の方々の話があった。立憲民主党は連帯のメッセージの代読だったが、他の方々は今日の状況を真剣に憂いていることがよくわかり、すべて聞き応えのある話であった。こうした人々と手をつないで一緒に運動が出来るならば、素晴らしいの一言である。政党挨拶の後集会のアピール文が読み上げられ、拍手で採択された。何処にでもあるアピール文のように思われるかもしれないが、キックオフ集会までこぎ着けた両区の事務局の方々の苦労を思い、せっかくだからそのまま紹介させていただく。

 皆さん、衆院選挙区神奈川19区に、 市民と野党の共闘で政治の流れを変えよう!と新たな市民団体が発足し、今日多くの皆さんの参加を得て、キックオフ集会を開催しました。岸田政権は改憲と大軍拡・大増税、国民生活切り捨て、社会保障制度改悪、子育て・教育への負担増大、原発への回帰、人権・ジェンダー無視、気候変動対策の軽視、さらには相次ぐ不祥事・権力の私物化等を推し進めています。私たちは今日、改めてこうした政治から国民生活を守り、将来世代につなげる展望ある政治の確立に向け、大きな歴史的転換点をつくろうと決意しました。

 政治への不信、「どうせ変わらない」とのあきらめを持つ市民も少なくない中で、政治不信を打開する取り組みもまた重要です。世論調査に端的に表れた政治への怨嗟を、社会を動かす力へと変えていこうではありませんか。そのために神奈川県下をはじめ全国の、思いを同じくする市民と連携し、19区の市民の声を紡ぎ、一人一人の力を集め、大きく発展させ、さらには市民と野党との共闘へと発展させ、「力を合わせれば社会は変わる」 道筋をつくっていきましょう。この取り組みは、決して平たんな道ではないかもしれません。しかしこの道こそ、私たちの未来に希望の灯をともす道であると確信します。今日ここに結集した私たちは、この思いを共有し、明日から力強く歩を進めていくことを決意し、新たなスタートを切ることを宣言します。

 そして最後に私の出番となり、先のような閉会の挨拶を行った。その冒頭で、「私は小林さんのように自由奔放に話せるような才はないので、準備してきた原稿にもとづいて閉会の挨拶をさせていただきます」などと語った。私に出来る精一杯の皮肉である(笑)。こうした人物に「結社の自由」を語らせて、松竹伸幸さんに対する除名処分を正当化しようとしてきた志位さんは、ここでも人物評価を間違えているようにも思われた。「キックオフ集会」の会場は宮前市民館だった。宮前平の駅から思いの外急な坂道を14~5分ほど歩く。道路の両側には立派なマンションが建ち並んでいた。宮前区に住む知り合いのOさんは、用事があって今日は参加できないとのことだったが、彼と会えるようであれば、坂道もそれほど苦にはならなくなるのかもしれない。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/12/28

夕景を歩く(1)

 

夕景を歩く(2)

 

夕景を歩く(3)