小人閑居して映画をみる
定年退職後に、これまでの業績らしきものを掻き集めて製本したことは、既にブログでも紹介してある。何故そんなことに熱中したのかと言えば、人生の最終章に進むために、どうしても過去を整理しておきたかったからである。整理したのは、主に論文等の書き物の類であるが、うまく整理しきれなかったものもある。エッセーらしき小品の類である。この際だからと思い切って処分したものもあるが、何処かに愛着があってすぐには捨て切れなかったものが今でも残っている。
これまで私は、日本の労働問題に関する現状分析らしきことを仕事にしてきた。しかしながら、現状分析のような仕事は、時間が経過するとだいたいが旧くなってしまって読めなくなる。時代の変化が速いし大きいからであろう。ことの本質はそれほど変わっていないような気もするが、表層を撫で回したものを書いているだけだと、どうしてもそうなる。しかしながら、時々に書いたエッセーのようなものは案外長持ちする(ような気がするー笑)ので、どうしてもすぐには捨て切れないのである。
そこで、パソコンに残っていたもので、今でも読めそうなものを、この後何回かに分けてブログで紹介してみることにした。研究者を廃業したと宣言しながら、何時までも過去に未練たらたらではないかと冷やかされそうであるが、研究がらみの文章ではないので、どうかお許し願いたい(笑)。この作業を終えれば、すべての過去の仕事はパソコンからも消去されるので、あとは冊子「裸木」にかすかに痕跡を留めるだけとなる。
以下の文章は、1994年の6月に発行された専修大学の教員組合の新聞に掲載されたものである。今から25年も前のことになる。タイトルは、「小人閑居して映画をみる-土井先生のことなど-」とした。「小人閑居して不善を為す」という諺があるが、それをもじってみたのである。現在ちょうどある雑誌の「名画紹介」欄を担当しているものだから、まず最初にこの文章を投稿しておこうという気になった。まだ若かったので、今から読むと如何にも文章は稚拙である。こう書くと、今は立派な文章を書いているかのような口振りだが、勿論大した変化はない(笑)。
上の娘が中学二年生の時だったか、勉強していた彼女が私にこんなことを言った。「ねえねえ父さん、教科書にすごく感動的な話がのってるよ」。娘が感動したというのは、歴史の教科書にのっていたスパルタクスの話だった。彼女が土井正興先生が監修者の一人となっている教科書を使っていたことを、私はそれまで知らなかった。読ませてもらったが、たしかに心動かされる文章だった。
表層を撫で回すだけの現状分析にうつつを抜かしている私だが、先生の略歴について少しは知っていたので、娘に話してやった。娘は、遠い昔の古代ローマの奴隷の反乱のことを、長い間熱心に研究し続けている学者がいるということに驚いていた。しかも、そんな学者がいる大学が専修大学で、そこに父親も勤務しているということも不思議だったのだろう。土井先生のおかげで、父親の評価もわずかばかり高まった(笑)。
じつは土井先生には昔一度だけお会いしたことがある。私は専修大学に勤務することになる前に、大学の近くにある労働科学研究所というところで働いていた。そして、そこにも小さな労働組合があった。年中財政難にあえいでいる研究所の組合が獲得できる成果などたかがしれていたが、それでも研究所の組合らしい「こだわり」だけはもっていた。
今ではもうこんな組合はどこにもないと思うが、毎年2月11日の「建国記念の日」に抗議集会と称して集まり、ゲストの話を聞いていたのである(たしか1994年の現在も続いているはずだ)。毎年「もうやめようか」という声が出るが、「ここまでやってきたんだから」ということで細々ながら集会を続けてきた。そして私が委員長の時に、この日のゲストとして土井先生をお招きしたのである。私がまだ30ちょっとの1978年のことである。 先生も、いまどき珍しい組合だと思われたのだろう、小さな集まりにもかかわらず気軽に出掛けて来てくれた。
先の娘との会話の後で、たまたま教職員食堂で先生の向かいに座り昼食をとったことがあった。せっかくの機会なので、先生に娘が感動していたことや研究所で講演をしてもらったことを話した。先生は娘の話には静かに笑っていただけだったが、研究所のことは覚えておられて、「あなたはあそこにおられたんですか」と驚かれ懐かしそうだった。やはり、変わった組合があるものだと思われて出掛けられたということだった。私は今でも、組合にもいろいろな個性があっていいし、むしろそれを大事にすべきだと思っている。
ところで、娘がスパルタクスの話にいたく感動していたので、近くのビデオ屋から映画の『スパルタカス』(1960年)を借りてきて、家族全員で見た。私は学生時代に既に見ていたが、細部などはもうすっかり忘れていたので、見直して感動を新たにした。子供たちも何かを感じたようだった。
土井先生は、『生きること学ぶこと』(三省堂選書、1980年)のなかで、ハワード・ファスト原作、ダルトン・トランボ脚本のこの映画について、「スパルタクスの人間像が、その『圧制下にあえぐ人間の日をきざみ時をきざみ秒をきざんで闘う“自由”へのなまづめをはぐような苦しさ』(淀川長治)が表現されており、……奴隷蜂起の動きとローマの支配階級の動きとの対応関係が実に見事にリアルに描かれている」と高く評価するとともに、スパルタクスの蜂起をここまで描きえたのは、マッカーシズムの嵐のなかで「最後まで節を屈しなかったトランボの強靭な自由と人間性への信頼によるものであった」と述べている。(続く)