家を売る(一)
前回まで、長々と投稿を続けてきた「仲春の加賀・越前・若狭紀行」も、ようやくのこと終わった。もともと、研究所の『月報』に投稿するつもりで書き始めたものなので、10回分の原稿の骨格は案外早くに出来上がっていた。そのために、投稿間隔が何時もより短くなった。ブログに投稿したこの文章を、まとめて組み立て直し、また、いらぬ箇所や遊びが過ぎている箇所(結構ある-笑)を削除して、体裁だけは紀行文らしきものに整えてみた。 しかしながら、果たしてこうしたものが『月報』に載せるに足るものになっているかどうかは、わからない。多分なっていないであろう(笑)。だが、この程度のものしか書けないので、今更じたばたしても仕方がない。そんなわけで、出来上がった原稿を研究所の事務局宛に送付しておいた。
ここまで済ませて、ようやく一段落着いた気分になった。原稿の締め切りは連休明けだと言われていたような気もするが、それを守って原稿を提出した方は恐らく皆無であろう(笑)。私自身は、原稿の締め切りを比較的きちんと守ろうとする方である。それは、真面目だからと言うよりも、追われて仕事をするのが嫌いな質だからである。できることならさっさと片付けて身綺麗にし、次に進みたいのでる。昔知り合いが、ある作家の言として私に教えてくれたのだが、「締め切りを守った原稿に碌なものはない」とのことである。なるほど、たしかにそうかもしれない(笑)。悪戦苦闘して、絞り出すように書かれたものではないからである。
今回のブログから、また元のスタイルに戻して書いてみる。タイトルを「家を売る」としたので、そのまま素直に読んで、転居でもしたのかと思われた方もいるかもしれない。このブログを読んでいただければ、そうではないことが分かる。私が現在の団地に住み始めたのは、1986年のことでまだ39歳の時である。前年には専修大学に転職できたこともあって、これまでの手狭な住居からの脱出を考え始めるようになった。あちこち廻ったが、一長一短あってなかなか転居先が決められなかった。一生に一度の高い買い物なので、迷って当然であろう。そんな時に新しい団地の売り出しがあることを知り、たまたま3階の部屋が抽選に当たったこともあって、今のところに決めたのである。
思い返すと、あの頃は何と輝いていたことだろう。広い新居への転居だったので、家族全員が何となく夢見心地であり、溌剌としていた。思い返せばピカピカの楽しい時代だった(笑)。当時から35年も経った現在、団地は往時の輝きをすっかり失い、住民の多くが私と同じように70代に入っている。落ち着いてきたと言えば言えなくもないが、やはり寂しくなってきたというのが本当のところであろう。私はと言えば、特段新しいものが好きな人間でもないので、もうこれから先転居するつもりはない。住み慣れたこの場所にいられる間は、これまで通り気儘に暮らしていくつもりである。
そんな話はともかく、新築の団地に転居してから18年が過ぎた2004年に、団地の同じ階段の5階の部屋が売りに出た。私が57歳の時である。そこに住んでいたSさんが、一戸建ての家に転居するとのことだった。その当時、家人の両親を近くに呼び寄せるような話もあったので、私と家人は団地内の空き部屋を探し始めていた。私が住んでいるのは3階だったが、売りに出たのは同じ階段の5階だったから、何とも好都合のように思われた。翌年には家人が勤め先を退職することにしており、退職金が手に入ることも分かっていたので、この機会に購入することにした。
しかしながら、当の両親はやはり住み慣れたところから離れたくはなかったようで、転居の話はいつの間にか沙汰止みになってしまった。一戸建ての家から知り合いのまったくいない団地に移ってくるのは、年寄りにとってはやはり気が進まないことだったのだろう。例えば私の場合でも、子供から近くに越して来いと言われたとしても、丁重に断るような気がする。今だからそんなふうに言えるのであり、当時は80歳に近い高齢者の気持ちがよく分かってはいなかった。そこで買った部屋をどうするのかあらためて考え直した。結局、勤め先の研究室に置いてあったものをすべて家に持ち込み、5階を私の仕事部屋にすることにした。
もともと落ち着いた場所でないと原稿に向かえないような神経質な質だったので、研究室でものを書いた記憶はない。そうであるならば、研究室は大学でのただの居場所とし、そこにあったすべてを家に持ち込んだ方が、仕事ははかどりそうな気がした。そこでこの機会に、5階を本や雑誌や資料の置き場所にしたのである。また、自分の好きなように部屋をデザインできたことも嬉しかった。言ってみれば、「男の隠れ家」であり、またすぐ側にある「別荘」のようでもあったから、外に出る必要のない日はここに籠もった。何とも贅沢な日々であった。そして、何本かの論文を書き、それをもとに2冊の本と1冊のテキストを作った。一応それなりに仕事はしたのである(笑)。