定年退職後二年目を迎えて(前編)
新しい理事会が発行する広報誌の第1号には、新たに役職に就かれた方々の就任の挨拶が載るが、それとともに、前年度の関係者も退任の挨拶を書くことになっている。これまで多くの方々は、ごくごく無難な(それ故、もしかしたら誰も読まないかもしれない)大人の挨拶を書いておられる。私は前年度の広報誌に何かを書く際には、管理組合という「組織」から、そしてまた理事長という「役職」から意識的に離れて、自分の言葉で文章を綴ろうとしてきたので、今回もまたあえてそんな文章を綴ってみた。
だが、私の文章が長過ぎたこともあったようで(もしかしたら、内容も刺激的過ぎると思われたかもしれない)、修正していただけないかと頼まれた。そこで、刺激的過ぎると思われたかもしれない箇所を削除し、半分程のボリュームに圧縮して再提出しておいた。広報誌は新しい理事会が編集しているのであるから、要望に従うのが当然のようにも思われたからである。しかしながら、自分の書いた文章には愛着もあったので、修正のついでに、もしも元の文章を読みたい方がおられたならば、ブログで読んでいただきたいなどと一言付け加えておいた。
だから、ここには元の原稿をそのまま載せておくだけでよかったのであるが、そんな作業をしているうちに、もっと話を広げて自由に書いてみたくなった。せっかく囚われの身から解放されたので、ようやく手にした自由を満喫したくなったからに違いなかろう(笑)。そんな訳で、広報誌に投稿したもとの文章を土台にしているとは言うものの、前後左右にあれこれと付け加えて、かなり大幅に改作してある。その分だいぶ長いものとなったので、2回に分けて投稿することにした。そのような事情を背景にした文章であることを、先に紹介しておく次第である。
昨年の3月末に、私は前の勤め先を定年退職した。それ故、今年の4月から定年後2年目を迎えたわけである。昨年、1年先に定年退職した知り合いから、同行した旅先で「定年で辞めた直後ではなく、2年目が大変なんだよ」と言われた。彼の言によれば、1年目はあれこれと片付けものがあったり、さまざまな手続きがあったり、やり残した仕事を済ませなければならなかったりするので、慌ただしく時間が過ぎていくが、それらがすべて終わった2年目に本当の定年がやってくるということらしい。さてこれからどう生きるか、そしてどう死ぬかといった人生の難問中の難問に、まともに直面しなければならなくなるからだろう。
そうした難問に向き合うのを避けようとすればどうなるか。昔の私のような研究を生業とした人間であれば、その研究を継続するという手もある。恐らく大方はそうしていることであろう。だが、既にご承知のように、私は研究者を廃業した。同工異曲、すなわち二番煎じ、三番煎じの論文を書くことに飽きてしまったからである。これはまあ、言ってみれば消極的な理由である。より積極的な形で言い直すとすれば、「人生の難問中の難問」から逃げずに、まともにぶつかってみたいという衝動に駆られているからである。
昔のことになるが、既に亡くなった一回り程年上の先輩の同業者から、次のような述懐を聞いたことがある。彼の話によると、定年前には、仕事を終えたらあれもやりたいこれもやりたいと思い描いて、期待に胸をふくらませてもいたが、2年もすればたいがいのことはやり尽くしてしまったとのことであった。スポット的なものであれば(例えば旅行やさまざまな芸術鑑賞など)、その気になれば比較的簡単に実現する。継続してやり続けることができるものがなければ、言い換えれば、自己を満足させ、了解させ、承認させるものがなければ、長い時間の空白を埋めることはそれほど簡単ではないということなのであろう。言われてみれば確かにその通りである。
そんな話を聞いていたので、頭の片隅で私は2年目を意識してはいた。しかしながら、3月末から4月にかけて団地の管理組合の仕事がやたらに忙しく、何の感慨に耽ることもなく4月を迎えることになってしまった。定年後2年目をはっきりと意識出来たのは、総会を終えてからである。団地の管理組合の定期総会は、毎年5月末に開かれることになっており、今年は5月25日に開かれた。この定期総会を終えて、「娑婆」の空気を吸い始めてから早2ヶ月近くになろうとしている。自由の身がこんなにも素晴らしいとは思いもよらなかった。毎日かなりの数があった管理組合関係のメールも、今ではほとんどなくなり、何とも清々しい日々が続いている。いささか寂しいくらいである(これは冗談である-笑)。
もうしばらくすると私は72歳になるが、この72年間に受けた批判や非難を、理事長在任中の後半の半年で、まとめて受けたような気分だった。もしかしたら大袈裟に思われる方もいるかもしれないが、まあそのぐらい酷かったのである。もっとも、私は「被虐」に快感を感じるような性癖を有してはいないので(笑)、理不尽だと思われたことに対しては反論もしたが、そうした「不遜」な態度が気に入らないらしく、またまた批判や非難を呼ぶという悪循環であった。理事会では、マンション管理士が毎度のように理事長批判の先頭に立っていたので、ある理事が、臨時の理事会の席上「マンション管理士が理事長だね」などとつぶやいたが、何とも的確な指摘のように思われた。
そんななか、私は「正論」のみを声高に語る人間にすっかり嫌気がさしただけではなく、人間自体にもそしてまた「清く正しく美しい」この団地にもうんざりして、興味や関心や愛着を失いかけた。しかし世の中はよくしたもので、そんな時には助けの手を差し伸べてくれるような優しい人も現れた。ペット問題とは無関係な知り合いが、何度か飲み会に誘ってくれ、酒飲み話のついでに励ましてもくれた(笑)。こちらには愚痴を聞いてもらいたいなどといった思いは余りなかったが、それでも嬉しかったことは言うまでもない。
慰めてくれた知り合いは、私が、「ペットを飼いたくて理事長に立候補」するような人間、言い換えれば、私利や私欲で何かをやろうとするような人間ではないことを、これまでの付き合いで知っていたからに違いない。こうした人もいるところがこの団地のいいところで、そのお陰で、ようやくにして落ち込んでいた気分が上向いた。ついでに付け加えておけば、他者を私利私欲の人としてむやみやたらに批判し攻撃したがる人は、その人自身が私利や私欲にまみれていることも意外に多いものなのである(笑)。お互いに心しておかなければなるまい。